元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

過食症、ウツ……母との葛藤を克服して 

2016-05-19 18:31:48 | 日記

ピアノ・レッスン

「そこ! 左手の音、違ってる! 何度言ったらわかるの?」

母のヒステリックな罵声が浴びせられ、次の瞬間、私は床に倒れこんでいました。
幼稚園の年長から習い始めたピアノ。
その毎日の練習に、母は欠かさずつきあい、ぴったりと私の横に座って、厳しく指導していました。

うまく弾けないと、容赦なく私を叩き、胸ぐらをつかんで床に押し倒しました。
私は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、「早くこの時間が過ぎ去りますように……」と、ただただ、そう願うことしかできませんでした。
母の厳しいピアノのレッスンは、私が小学校3年生でピアノをやめるまで続いたのです。

1980年、私は横浜市に生まれました。
父は努力家で、一流大学卒のエリート銀行マン。

母は名家から父のもとに嫁いできました。
両親とも教育熱心で、私が何か習い事をしたいと言えば、すぐに何でも習わせてくれました。

けれども、ボーッとしたタイプだった私は、学校の成績は今ひとつ。
にもかかわらず、小学校5年生になると、友人たちの影響から、私は中学校受験をしたいと両親にせがみ、塾に通うことになったのです。

中学受験

塾の勉強だけでは足りないからと、父が理科と算数を、母は社会と国語を担当し、つきっきりで私の勉強を見てくれました。

そして、またしても母のスパルタ教育が始まったのです。
父が異動になり、単身赴任すると、母の厳しさはいっそうエスカレートしていきました。

一問一問私に問題を解かせ、私が解けないと、「昨日、塾でやったでしょう! 何でできないの!」と怒鳴っては私を叩き、床に倒れて泣いている私をさらに何度も蹴りました。

私は、リビングに敷き詰められた絨毯(じゅうたん)に頬をぴったりと押しつけて、絨毯にこびりついている染みや汚れをぼう然と見つめながら、「ああ、一日でいいから、一人で勉強させてほしい……」と、心のなかで叫んでいました。

結局、成績はそれほど伸びず、私立のミッション系中高一貫校にかろうじて補欠合格した私は、その学校に進学しました。

私って価値のない人間?

中学入学後も、成績が悪いと、母は私を叩き、体罰は、私の体格が母のそれを追い越すようになるまで続いていたように思います。

さまざまな情報から、母の行為が「虐待(ぎゃくたい)」に近いということを初めて知った私は、母に対して反抗的になっていき、来る日も来る日も、母との激しい言い争いが続きました。

そんななか、私は絵を描くことの楽しさに目覚め、美術部に入部。
そのうちに、「美術大学に進学して、美術の教師になりたい」という夢を抱くようになりました。

けれども、父からは、「美大なんてだめだ! まともに勉強をしない人間に価値なんかない。お前は人間としての価値が低い」と、美術の道に進むことを猛反対され、目の前が真っ暗になりました。

「勉強ができることだけが、すべてなの? 美術を志す私には価値はないということ?」

私は両親が押しつけてくる価値観に対して、強い疑問を感じました。

こうして、中学校・高校時代は、両親、とりわけ母との衝突が絶えず、私はやることなすことのすべてを否定されて、もう、いっそ死んでしまおうかと思うことがよくありました。

反対する両親を何とか説得し、私は1年浪人して、美術大学に進学しました。
美術の道を選んだ私を、両親にも認めてもらいたい――その一心で、大学入学後は、絵にも学業にも真剣に取り組みました。


「学費は全額は出せない」と父から言われていたため、私は奨学金を得て、さらにアルバイトもして学費を稼ぎました。

けれども両親は、そんな私の努力を評価しようとしないばかりか、2人の妹たちと私とを、何かにつけて比較しました。
2人とも同じ中高一貫の有名私立進学校に通い、私より学校の成績が良かったからです。

「私はこんなに頑張っているのに……。何で私だけ認めてもらえないの?」

私は激しい憤りを覚えました。
このころ、私が外出先から帰宅すると、母と妹たちは、よくリビングでヒソヒソ話をしていました。
実は、すでに高校2年生のころから、私には軽い「過食症(かしょくしょう)」の症状があり、夜中にこっそり台所へ行っては、母が買い置きしてあった大量のお菓子を全部食べ尽くしていたのです。
そのことを、3人で噂していました。

「私だって食べたくて食べてるわけじゃない! やめられずに苦しんでいるのに……」

外ではアルバイトで疲れ果て、家はまるで針のむしろ――。
私の心は崩壊寸前になっていました。

心身のバランスを崩して

そして、大学2年生のある日。
突然、幼いころ母から浴びせられた「あんたなんか、生きる価値がない!」という言葉が、そのまま耳元でリフレインされ、頭が割れるように痛みました。
いわゆる「幻聴(げんちょう)」でした。


さらに、母から叩かれているときの光景がフラッシュバックして、心がしめつけられるように苦しくなりました。

何も手につかなくなって、私は学校のカウンセリングルームに通い、何とか心を立て直すことができました。
けれども、私がどん底のときにも積極的に助けてくれようとはしなかった家族に対しては、冷ややかな感情がこみあげてきました。

「もう、この家には居場所がない……」

大学3年生の夏ごろから、私は友達の家を転々として家には帰らず、4年生の春、アパートを借りて一人暮らしを始めました。

大学卒業後は、経済的に早く自立しようと、昼間は知的障害者の作業所で働き、夕方から深夜まで、居酒屋でアルバイトをしました


家を出たことで、両親と衝突することがなくなり、幻聴などの症状は消えていきました。

居酒屋のバイト仲間や常連客と交わす会話だけが、寂しさを紛らわせてくれました。
しかし、ハードな生活がたたり、私は再び心身に変調をきたし、心療内科で、「軽度のウツ」と診断されたのです。


新しい生命の誕生

そんなとき、親身になって支えてくれたのが、現在の夫、Sさんでした。

「胸に鉛の塊が入っているように苦しい。起き上がるのも辛い……」

そんな私を心配したSさんは、「静岡に転勤が決まったから、僕と結婚して、静岡で一緒に暮らそう」と言ってくれました。
そして、両親の大反対を押し切って、翌年、彼と結婚。
ほどなく長女が誕生し、静岡の地で新生活がスタートしました。

義母は、本当に優しく私を迎え入れてくれました。
訪ねてきた義父の親友までもが、「いい嫁をもらったなぁ。ご両親にもちゃんと許してもらえるといいなぁ……」と心配してくれるのを聞いて、何てあたたかい人たちなんだろうと涙が出ました。
主人の家族や親族の愛情に包まれて、私のウツの症状は徐々に快方に向かっていったのです。

しかし、出産後の子育ては、想像以上に大変でした。
娘が泣きやまないとイライラして、つい「うるさい!」などと怒鳴ってしまうこともありました。
幼い彼女は、とても不安な表情を見せ、おびえています。

すると、幼い私を叱っていた母の姿と、自分のそれとが二重写しになり、「母を責め続けてきたけれど、私も同じことをしている……」と愕然としました。

「母が私を虐待したように、私もこの子を虐待してしまうのでは……」と、子育てが不安で不安でたまらなくなりました。
思いあまって、私は、美大受験のときに予備校で知り合ったNさんに話を聞いてもらおうと、東京に住む彼女の自宅を訪ねてみることにしたのです。

幸福の科学の支部を訪ねて

Nさんは、幸福の科学の熱心な信者で、その日、私は、彼女に誘われて、初めて幸福の科学の支部へ行きました。

支部長と面談していただき、自分がいかに母に不当に扱われてきたか、どれほど辛い思いをしてきたか、延々と訴え続けました。

「あなたは、『私はあの母親に育てられ、ひどいことをされたから不幸になった』と思って、お母さんを恨んでいるでしょう? でも、恨み心で恨みは解けないのですよ。『人を呪わば穴二つ』とも言うように、恨み心は、相手を不幸にするだけでなく、あなた自身をも不幸にするのです」

「え? 私がこんなに苦しいのは、母のせいじゃなくて、私が母を恨んでいるからなの?」

私はとても驚きました。
さらに支部長は、「親子には深い縁があって、子は親を選んで、あの世で約束して生まれてくるんですよ。あなたが、お母さんの子供として生まれてきたのにも、必ず意味があるのです」と、教えてくれました。

「自分がよりによって、あの母を選んで生まれてきたなんて……。いったい、なぜ?」

私は母を、「勝手に産んだくせに!」と責め続けてきました。
そして、大学を浪人したのも、過食症やウツになって苦しんだのも、すべて母のせいだと思ってきました。
しかし、支部長の語る言葉には力があって、最後は前のめりになって聴き入っていました。

そして、母と調和できないと、よい子育てはできないこと。まず、私の心を善念で満たすこと。そして、母にも善念を向けてみること――そうアドバイスしていただきました。

私は、「この子を幸せにするためにも、支部長のアドバイスを信じて実践してみよう」と決意して、支部を後にしたのです。

母への善念

そのころ、母とは1週間に1回程度、電話で話をしていました。
長女が生まれたことで、育児の話などをするようになっていたのです。
けれども、愚痴っぽい母の話に嫌気がさし、いつも最後は喧嘩になっていました。


私は、「母に善念を向けるなんて、とても無理だ……」と思いましたが、まず、「お母さんと仲良くなりたい!」 と、一日に何度も思うようにしてみました。

そして、喧嘩してしまった日は、電話を切ったあとに心を落ち着かせて反省し、勇気を出して私のほうからかけなおして、「さっきは、ごめんね」と謝るようにしました。

すると、母も「私も、ごめんね……」と言ってくれるようになったのです。

過去のことまでは水に流すことはできませんでしたが、ガチガチの石のように頑なだった私の心が、しだいにやわらかくなっていくのを感じました。

私は、少しずつ少しずつ、母を受け入れられるようになり、母との言い争いの頻度は、みるみる減っていったのです。

幸福の科学へ入会

ある日、以前Nさんからもらって、ずっと、そのままになっていた幸福の科学の本を、ようやく真剣に読んでみようという気持ちになり、ページをめくってみました。

そこに書かれている一つ一つの教えが心にしみこんで、いつも不安で自信がなく、不幸感覚ばかりが強かった私の心が、どんどん元気になっていきました。


夢中で10冊ほど読み終えたとき、「本を読んだだけで、こんなにも心が救われた。支部へ行ってみたい!」そう思っていると、主人が、「お前が一生懸命本を読んでいる幸福の科学の建物が、近くに建っているぞ」と教えてくれたのです。

勇気を出して電話をしてみると、「近々、支部の落慶式があるので、来てみませんか?」と誘われ、思いきって参加しました。
そして、その日、私は入会をしたのです。

愛の貸借対照表

あるとき、支部に精舎(しょうじゃ)の講師が来られ、愛についての講話をされました。
その講話のなかで、講師は、「愛の貸借対照表」についてふれられました。

ノートを左右に分けて、 今までの人生で「人からしてもらったこと」を左側に、「人にしてあげたこと」を右側に、それぞれ書き分けていきます。


そして、「自分がいかに多くのものを与えられてきたか」を発見して、与えてくれた人への感謝を深めていくというものでした。

「『私は、誰からも、何もしてもらっていない』と思う方もいるでしょう? でも、赤ん坊として生まれたあなたは、何もできなかったはずです。ミルクもオムツも、何もかも、お母さんにしてもらいましたよね?」

講師の話に、私は、ハッとしました。
母からこんなこともされ、あんなことも言われた……と恨んでばかりで、母から与えてもらったことなど、考えてみたこともなかったからです。

私は、母について「愛の貸借対照表」を書いてみることにしました。

しかし、子供のころのことを思い出そうとしても、母からされた仕打ちばかりが脳裏に甦ってきます。
叩かれて泣いていたこと、成績が悪いと言っては厳しく叱られたこと、「生きる価値がない!」とまで言われたこと……。
思い出しても悔しくて涙が出てきます。

「書き続けていると、書けるようになって、感謝できるようになるよ」という友人のアドバイスを信じて、私は引き続き、「愛の貸借対照表」を書いてみることにしました。

すると、比較的最近のできごととして、家を飛び出したあと、父に黙って私のアパートを訪ねてきて、そっとお金を渡してくれたときの心配そうな母の姿を思い出しました。

小さいころのことも少しずつ思い出しましたが、やはり、母への感謝の思いはなかなか出てきませんでした。

精舎の光のなかで

しばらくして、主人と娘といっしょに、箱根精舎に参拝し、礼拝堂で母とのことを静かに反省していたときのことです。
母と、ずっと同居していた姑とが、言い争っている光景が、心に浮かんできました。

「そういえば、母は、よく祖母の悪口を言っていたなぁ。祖母は厳格な人だったから、お嬢様育ちの母は、苦労していたっけ……」

思えば母は、姑と同居しながら、3人も子供を育てたのです。

「一人を育てるというだけで、私はこんなに大変なのに……。きっと母は、祖母に遠慮して、自由に昼寝もできなかったんだろうなぁ。私には、優しい夫と優しい姑もいるけれど、父は亭主関白だったから、母は、何もかも全部一人で抱えていたんだろうな。

一人ぼっちで、どんなに大変だったろう……」

今まで忘れていた母の苦労を思い出すうちに、胸が熱くなってくるのを感じました。
すると、幼いころの母との思い出が、ありありと心に甦ってきました。

まだ私が小さかったころ、「絵を描いて」とせがむと、「絵は苦手だから」と言いながら、「ちびまる子ちゃん」みたいなかわいい絵を描いてくれた母。


小学校入学のときには、上履きにレースを縫いつけて、きれいな刺繍をしてくれた母。
喜んで学校に持っていくと、みんなにひやかされ、次の日には、新しい上履きを買ってもらったっけ……。
給食袋や体操着袋は、すべて母の手作りで、クラスの誰のものよりも手の込んだ刺繍がしてあって、私は母のことが自慢だった。

私と妹たちに、焼き菓子の作り方を教えてくれた母。
そのときの母は、とてもうれしそうで、キラキラと輝いていた。


下の妹の愛子が生まれて、寝かしつけるとき、よく「ゆりかごの歌」を歌っていた母。
「きっと私にも歌ってくれていたんだろうな……」と思うと、とっても幸せな気持ちになったっけ……。


そこまで思い出した時、涙がとめどなく溢れてきました。

「私は今まで、母からされた嫌なことばかりを思い出し、繰り返し心の中で反芻しては、母への憎しみを深めていた。でも、本当は、母からこんなにも与えられていたんだ!」

憎しみという眼鏡を取って見た母の姿は、娘たちに懸命に愛を与えようとする優しい母の姿だったのです。
さらに――。

「母はなぜ、受験や職業のこととなると、 あんなに必死になりパニックになっていたのだろう。私にだけ厳しかったのは何でだろう……」

そんな疑問が湧いてきました。
すると、娘の姿が心に浮かんできました。


娘は幼いころの私に似て、どことなく要領の悪いところがあり、私は、つい先回りして、手を出したり、注意したりしてしまいます。

「母もこんな気持ちで私のことを育てていたのかもしれない……」

母の家系は、何でもそつなくこなす頭の良い人が多いなか、母だけが、おっとりした性格で要領もよくなかったときいています。

「母は、3人の娘のなかで1番自分に性格が似ている私のことが心配で、しっかり勉強させようと必死だったんだ。そして思い通りにならない私に苛立っていたんだ……」

お母さん。
お母さんの厳しさは、ほんとうは私への愛だったんですね。
私はそれがわからずに、ずっと恨んでいました。
でも、今、やっとお母さんの愛情がわかりました。


お母さん、ごめんなさい――。
そのとき、心のなかの母への憎しみが、静かに消えていったのです。

それから、しばらくたったある日のこと。
私は、電話で母に、「育ててくれて、ありがとう」と小声で言ってみました。
母は、「何よ、突然……」と、ぎこちない返事。


でも、ためらいがちにひとこと言ってくれました。
「せっかく美大を出たのに、個展のひとつも開いてあげられなくて……ごめんね」――私は、受話器を持ちながら、声を出さずに泣きました。


母と、母娘になったほんとうの理由は、今の私にはわかりません。
でも、親子の縁は、今世だけでなく、永い永い縁。


母とは、いつもお互いに学びあってきたのだと思います。
母にも仏法真理を伝えて、幸せになってもらいたい――今、心からそう願っています。
そして、それが、縁あって母の娘となった私の、最大の親孝行だと思っています。


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大川隆法「夢をいだく効用」

2016-05-19 18:25:06 | 日記

夢をいだく効用は、単に設計図をつくるだけではありません。

それには、ひとつの神秘的な作用があります。

夢とは、持続する心のビジョンです。

それは必ず、あの世、すなわち、実在界の守護・指導霊たちに通じます。

  

『太陽の法』P.326

※幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email


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高校生のいじめを親と教師で解決

2016-05-19 18:16:19 | 日記

長男の心の叫び

数年前のある日曜日。居間でくつろいでいると、「お父さん、ちょっと相談が……」と高校1年の長男が来ました。顔には精気がなく、表情をくもらせています。息子は、クラスのある男子生徒から無視されたり、バカにされたり、気分を害されるようなことを言われているというのです。

(一体どんなことを言われてるんだろう……)。うなだれた息子の様子から、その場で聞き返すのも彼のプライドを傷つけるようで、詳しいことは聞けませんでした。

しかし身長180センチ以上の大柄な身体的特徴をついた屈辱的なことを言われ、傷ついている様子がひしひしと伝わってきます。 息子はコミュニケーションが下手で不器用なところがあります。

(これは息子の被害妄想なんだろうか……。子ども同士ふざけてるのか、それとも現実?)と、私は心の中で自問自答しながら、努めて冷静に息子の話を聞き続けました。

「世の中にはそういうやつもおるんよ。いちいち深刻になってたら身がもたんけんのう」

しかし、息子はうなだれたままです。

 

暴力を暴力で解決するな!

さらに聞いていくと、暴力を受けている事実も判明しました。体育の時間にバレーボールの競技をしていると、その男子生徒が競技以外でぶつかってきたり、蹴ってきたりするといいます。見れば、体のあちこちにアザが。

うちの息子は小学校の頃から剣道をしていて、2段の腕前です。体型もがっちり型の息子に比べ、いじめる男子生徒は息子よりも小柄だといいます。

「武道をやっているお前が本気になったら、お前の方が勝つんよ。じゃけど、仕返しをすると同じレベルになってしまうんで。じゃけ耐えにゃいけん。暴力を暴力で解決してはいけん。正々堂々と違う形で解決しよう。お父さんもちゃんと考えるけん」 

また、いじめる男子生徒の動きに常に注意して一定の距離を保ち、近づいてきたら離れるようにと現実的な対処法も教えました。息子も素直に聞いていましたので、しばらく様子を見ようと思ったのです。

「お前は、よう耐えた」

それから1カ月後。息子がまた思い詰めた様子でやってきました。いじめる男子生徒は、相変わらずひどい言葉を浴びせ続け、暴力をふるってくると言います。

息子は、相手に手が出そうになるのを、歯を食いしばって我慢しているようでした。その上、いじめる側の人数が増えてきたというのです。

(まずい――)。私は直感しました。

(このまま放っておいたら状況は悪化するばかりだ、悪い芽は小さなうちに摘んでおかなくては)

加害者の方にも、これ以上過ちを犯させてはならない、と思いました。

「お前はよう耐えた。頑張った。これからは、お父さんも頑張ってお前を助けるけん」

私は言うべきことを整理してから、担任に電話をしました。息子の状況が事実がどうか客観的に確認したいと伝え、学校に出向いたのです。


警察の介入も辞さない覚悟で

担任と話してみると、いじめのボス格の男子生徒は、他の生徒もいじめていて、被害生徒の父兄から、すでに相談の連絡が入っているようでした。

しかし、加害生徒の親が暴力団関係者だったため、担任も腰が引け、注意できずにいるようです。だからと言って被害生徒を野放しにされては、犠牲者が増えるばかり。たまったものではありません。

「必要なら、私の方から校長にお伝えしてもいいですよ」

そう言うと、担任は言葉に詰まりながらも 「私の方で頑張らせていただきます」と言ってきました。

「分かりました。では、期限を切らせてもらいます。このような状態が1カ月も2カ月も続くのは困りますので。2週間ほどの短期間でお願いします。解決がつかないようなら、警察の介入も辞さない覚悟です」

私がきっぱり言うと、さすがに担任は顔を引きつらせて聞いていました。こちらの覚悟を伝えることで、担任が崖っぷちに立つことになり、解決に向けて尽力していただけるのではないかと期待したのです。

というのも、くさいものにフタをする公務員の隠蔽体質についてよく聞いていたので、強く言っておかなければ、という気持ちが自分でも働いたからです。


いじめグループの解体

その後、担任は約束通り、頑張ってくれました。いじめグループの一人ひとりに注意し、ほどなくして彼らは片っ端から停学処分となりました。ボス格の生徒はその後、他の問題も起こし、最終的には退学になりました。

そして学校に平和が戻ってきました。息子もその後、部活に、学業に、のびのびと高校生活を送り、やがて無事に卒業。大学にも進学することができました。

 

いじめを振り返って

私の息子の場合は、担任が誠実な方だったので、たまたま運よく解決に導かれたのだと思います。

今でも時折思い出すのは、ボス格の加害生徒のことです。彼自身、今どうしているのか……。町でもあまりいい噂を聞きません。いつか時がきたら、彼が自らの間違いに気づく機会を得られますように、そして真っ当な道に入ることができますようにと祈っています。


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大川隆法「謙虚さのもと」

2016-05-19 18:13:54 | 日記

「謙虚さ」といっても、基本的には、

やはり「志の高さ」だと思います。

志が高い人は、謙虚にならざるをえないのです。

『アイム・ハッピー』P.170

※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M283890&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M283891&c=10209&d=203d


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信仰があったから、生き延びられた 〜文化大革命の生存者 リ・スクールランド氏インタビュー(2)

2016-05-19 07:13:18 | 日記

信仰があったから、生き延びられた 〜文化大革命の生存者 リ・スクールランド氏インタビュー(2)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11336

1965年5月、中国で文化大革命が始まりました。文化大革命とは、毛沢東の指導の下で起きた政治闘争で、10年間続きました。共産党員が思想統制や暴行、財産の没収などを行い、毛沢東への個人崇拝を強制しました。今もまた、当時と似たような状況にあります。

文化大革命を経験したリ・スクールランドさんに話を聞きました。彼女は、「自由」という貴重な価値が失われる時、その重要さが分かるということを教えてくれています。


◎「人を人として扱わない」中国政府

リ・スクールランド氏(以下、リ) 私の父も刑務所に入れられ、母は頭の片側は髪が切られ、もう片側は髪を剃られました。醜く見せるためです。母は首に「国民の敵」という意味のプラカードがつけられ、通りにまで連れていかれました。

殴られながら、母は「私は悪人です。私は共産主義者を憎んでいます」と言うよう強要されました。母が通りを歩き、人が物を投げつける様子を、私と弟は見ていなければなりませんでした。とても辛かったです。

——文化大革命当時の状況は、現在のチベットの状況に似ているのでしょうか? 宗教家は投獄されていましたか?

リ そうだとも、違うとも言えます。少し違いますが、人として扱わないという考えは同じです。「独立していて尊厳があり、自身の考えを持つ個人」としては扱いません。

中国政府は宗教家を恐れています。なぜなら、集団として団結する力、つまり信仰を持っているからです。中国政府が恐れているのは、キリスト教やイスラム教、仏教の宗教家だけではありません。集団を最も恐れていて、集団にならなければいいのです。集団になると都合が悪いので、政府は活動をやめさせようとするか、刑務所に入れるのです。

——そのような状況下で、どのようにして生き延びたのですか?

リ 私には神の存在がありました。家族は皆クリスチャンだったので、神が私たちを守って下さったのだと思います。また、私は嘘を信じませんでした。ほとんどの人は嘘を信じてしまったのです。あるクラスメイトは、父親はアメリカで教育を受け、中国に戻ってきたため、共産党員に「父親はスパイに違いない」と言われると信じてしまいました。

そして彼女は、「お父さんをとても愛していたのに、なぜお父さんはウソをついたの? なぜスパイだと言ってくれなかったの?」と思ったのです。そして9歳だった彼女は、川に身を投げて自殺しようとしました。彼女は嘘を信じてしまったのです。

——彼女は政府に洗脳されてしまったのですね。

リ そうです。彼女はひどくショックを受けていました。私は大丈夫でしたが、友達や親戚の多くは洗脳されました。

——キリスト教の信仰を持っていたから、生き残れたのですね。

リ そう思います。神が、私や弟を守って下さり、生き残れたのだと思います。母は、「誰も信じてはいけない。家族の中だけでお互いを信じないといけない」と言っていました。


◎政府の指示があったため、ずっと飢えていた

その後、私たちは都市部から田舎に移住させられました。これは、とてもありがたかったです。電気も水もトイレも食料もなく、全てを失いましたが、「家族4人が一緒」だったため、幸せでした。

私は、共産主義と集産主義経済を経験しました。みな、農家か労働者になって、誰も食料を持っていませんでした。その理由は、政府が植えるものを指示していたからです。例えば、私たちが住んでいた場所は水がないため、コメを育てるのに適しておらず、タバコなどしか育てられませんでした。

しかし、政府は、コメを植えろと指示するので、仕方なくコメを植えていたのです。水を引いて来ましたが、何も育ちませんでした。そのため、みな空腹で、本当に貧乏でした。

1970年代後半、政府が農家に指示をしなくなるとすぐ、食べ物を得られるようになりました。市場や農家は、何をつくるべきか知っています。自分の土地なので、コメは採れないけれど、小麦やたばこは採れると分かるのです。

農産物が得られれば、収入が得られます。みな1年で食べ物を得られるようになりました。しかし、その前の10年は、誰も何も持っていなかったのです。

【関連書籍】
幸福の科学出版 『マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=85

【関連記事】
2016年5月号記事 HSU論壇 特別編 - 自由は失われたときに真価がわかる - ケン・スクールランド
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11099

2016年5月17日付本欄 財産を失うと同時に自由も失った 〜文化大革命の生存者 リ・スクールランド氏インタビュー(1)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11333


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三菱電機、月面探査機を製造

2016-05-19 07:11:44 | 日記

 三菱電機、月面探査機を製造

三菱電機が日本初となる月面探査機を製造すると、日本経済新聞が報じた(5月18日付)。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が受注し、2019年度に打ち上げられる予定だ。

海外の探査機は1キロメートル程度の誤差がある中、目的地点から100メートル程度の誤差で着陸できるようにするという。開発費は180億円。

三菱電機は、気象衛星「ひまわり7号」など、これまで数多くの人工衛星を開発してきた。今回の探査機の技術は、JAXAが計画している月面基地の建設や、火星探査にも生かされる見込みだ。

⇒現在のところ、宇宙関連のビジネスは、人工衛星やロケットの打ち上げなど、日本の政府機関からの受注が主だ。その売り上げは約3000億円にとどまっているが、今後、宇宙産業は大きな収益を生むことになる可能性が高い。

実際、アメリカなどでは、宇宙分野への民間企業の参入が相次いでいる。アメリカの宇宙開発企業・スペースXも4月、打ち上げたロケットの1段目の機体を、洋上の無人船の上に着陸させることに初めて成功させた。機体が再利用できるようになれば、コストや時間が節約できる。

こうした動きに、日本企業も後れをとってはならない。その一方で、宇宙開発のネックとなるのが、資金調達。スペースXは、グーグルからの10億ドルの出資など、民間企業から巨額の資金を調達している。日本政府も国家戦略の一環として、未来事業債などをつくり、民間や外国の資金を集めて、宇宙産業を育成していくべきだろう。

【関連記事】
2015年12月26日付本欄 「ファルコン9」が地球に帰還 企業家が開く未来社会
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10692


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2016年度の補正予算が成立 熊本復興に約7千億円

2016-05-19 07:10:09 | 日記

これだけ知っトクNews(5月18日版) 2016年度の補正予算が成立 熊本復興に約7千億円
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11335


(1) 2016年度の補正予算が成立 熊本復興に約7千億円

2016年度の補正予算が17日、成立した。総額は7780億円で、その約9割にあたる約7千億円が熊本地震の復旧・復興対策にあてられる。道路や橋などのインフラ復旧やがれきの処理、事業再建の支援などに充てるという。

熊本地震による道路や橋などのインフラや農林水産業の被害額は、予算案の編成時で4千億円強だったが、余震も続いているため、多めに計上したという。

補正予算の成立について安倍晋三首相は、「余震がまだ続いている中、被災地の皆さんは不安な思いで日々を送っている。一日でも早く安心して暮らせる住まいの確保に全力を尽くす」と語った。

⇒熊本では現在も余震が続き、避難している人々はプライベートもなく、肉体的にも精神的にも辛い思いをしている。一刻も早く、熊本・大分が復興することを望みたい。

また政府は、災害を通じて危機管理能力をチェックし、「これ以上の危機がきたらどうするか」を考える材料にする必要があるだろう。日本を取り巻く環境を考えると、「もし、北朝鮮のミサイル攻撃にあったら……」という国防強化の視点も欠かせない。

【関連記事】
2016年4月29日付本欄 熊本地震ルポ 益城町を訪れ、支援金を寄付 幸福実現党・釈党首
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中国共産党の最高指導部が香港入り

2016-05-19 07:07:30 | 日記

中国共産党の最高指導部が香港入り

中国共産党のナンバー3である全国人民代表大会の張徳江委員長らは17日、香港政府の本部を訪れ、会談した。

張委員長は「経済発展や市民生活の改善に重点を置き、努力を重ねてほしい。香港の将来は明るく、1国2制度は必ず成功すると考えている」と述べ、香港の1国2制度を堅持する姿勢を強調した。

だが香港では、「中国は言論の自由を尊重していない」と、中国政府への不信感が強まっている。香港大学による最近の世論調査では、「1国2制度を信用する」と答えた人の割合は42%と過去最低だった。

⇒香港が1997年にイギリスから返還される時、中国は香港に対し「香港と中国は1つの国だが、50年間は香港に高度な自治権を認める」ことを約束した。だが、今年に入り、習近平国家主席を批判する書籍を出版していた香港の書店関係者が行方不明になるなど、香港では言論の自由が失われつつある。

今回の訪問に対しても、「香港の中国化」に反対する人々によるデモが起きたようだ。世界各国はこうした活動を応援し、中国本土にまで自由や民主主義を広げる、「中国の香港化」活動に転嫁させていく必要がある。

【関連記事】
2016年4月30日付本欄 中国、米空母の香港寄港を拒否 香港を守る世界の監視の「目」
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ASEANも「中国怖い」 期待される日本の介入

2016-05-19 07:05:33 | 日記

ASEANも「中国怖い」 期待される日本の介入
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11338

インドネシア、マレーシア、フィリピンの3カ国は、海洋テロ対策で共同パトロール活動を始めることを発表した。18日付日経新聞などが報じた。

この背景には、中国が南シナ海で軍事拠点化を進め、周辺国との緊張感を高めていることがある。中国は、南シナ海のほぼ全域を自国領と主張しており、東南アジア諸国連合(ASEAN)の、一部の国の海域に中国船が頻繁に侵入している。

冒頭の3カ国の中間に位置するセレベス海は、南シナ海のシーレーン(海上交通路)の代替ルートとしての役割もあるため、この海域で、航行の安全が確保されることは、日本や韓国にとっても重要だ。

この3カ国の最近の動きを見ると、中国の海洋侵出に対する防衛体制の強化を急いでいることが分かる。


◎中国漁船問題で泣き寝入りしないインドネシア

インドネシア領ナトゥナ諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)で3月中旬、違法操業中の中国漁船を、インドネシア当局が摘発した際、中国海警局の公船に妨害され、漁船を奪われる事件が起きた。

これを受けて、インドネシア軍は総額約4兆3000億円に上るナトゥナ諸島の防衛強化計画をまとめた。計画によると、ナトゥナ諸島に潜水艦基地を建設し、2024年までに12隻以上の潜水艦の配備を行うという。


◎ASEAN諸国と協力して中国をけん制したいマレーシア

中国海軍はこのほど、マレーシアの排他的経済水域(EEZ)内にあるジェームズ礁の近海で実戦を想定した艦艇の補給演習を行うなど、挑発的な行動を取っている。

マレーシアのヒシャムディン国防相は3月、「一国では(中国の)攻撃的行為を止めることはできない」として、同じASEAN加盟国で支え合い、「大国(中国)の行為を抑制する」と強調していた。


◎強硬姿勢の新大統領による舵取りが注目のフィリピン

フィリピンでは5月に大統領選挙が行われ、現ダバオ(南部ミンダナオ島)市長のロドリゴ・ドゥテルテ氏が圧勝した。ドゥテルテ氏は、南シナ海で中国と領有権を争う南沙諸島についても、一時は対話や協力の可能性を探るとしていた。

しかしその後、一転し、「フィリピンの旗を立てる」と強硬姿勢を示した。今後、新大統領の下で、フィリピンの防衛体制がどう強化されるのか、注目されている。


◎ASEAN諸国の日本への期待

南シナ海で中国と領土問題を持つ東南アジア諸国は、日本にもアジアの平和を守る大きな役割を果たすことを期待している。

日本では、集団的自衛権を含む安全保障関連法が2015年に、可決・成立した。当時、日本国内では反対派の活動が連日報じられていたが、ASEANのほとんどの国は、「世界平和維持のため、正しい役割を果たす機会になる」(フィリピン)、「アジア太平洋地域と世界の平和と安定、発展のために地域の大国の1つである日本が積極的に貢献していくことを期待している」(ベトナム)と歓迎していた。

南シナ海にシーレーンを持つ日本は、ASEAN諸国と関係を深め、南シナ海やセレベス海を監視する航空機や船舶を提供するなどの具体的な支援を行い、中国包囲網を強化する必要がある。(小林真由美)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『自由の革命』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1162

【関連記事】
2016年2月19日付本欄 中国が南シナ海にミサイル配備 危ないのはASEANだけではない
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2014年8月号 期待される「強い日本」 - 日本はアジアの警察官たれ 東南アジアは「盟主」を求めている Part3 
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8031

2014年6月1日付本欄 南シナ海 日米がけん制する一方、中国はASEAN切り崩し 「力」の行使も辞さない決意を
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