アナーキー小池の反体制日記

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#2603 西舎と本桐と新冠(上)

2018年03月04日 | その他
タイトルは3ヵ所の地名なんですが、多くの人にとって馴染みがないことでしょう。

西舎は“にしちゃ”と呼び浦河町の東側にある集落です。
スケートのウイリアムソン師円の生まれ故郷だと思います。(小田卓朗選手もそうかもしれません)

本桐は“ほんきり”と呼び、新ひだか町三石の東側にある集落です。
ボクの生まれ育ったところです。

新冠は“にいかっぷ”と呼び、新ひだか町の西に位置する、れっきとした地方自治体です。
10数年前、静内町、三石町と合併を協議し、当初は市に昇格予定で、新市名称は「ひだか市」に決定していたのを、後に新冠町が合併の時期の延期を申し入れし、協議の結果、合併協議が中止された経緯があります。
新冠町は独立独歩の道を選択したのです。(その選択は尊重します)

・・・
この3か所の集落には共通点があります。
胆振にある社台ファーム系の競走馬生産牧場が出現するまで、日本の競走馬はこの西舎と本桐と新冠の3集落が生産の主力を担っていたのです。
今はすっかり社台ファーム系の牧場がノシていますが、この3集落、今もしっかり頑張って駿馬の生産をしています。

・・・
浦河町西舎には日高種馬牧場(旧農林水産省日高種畜牧場)てのが明治の時代からあります。
当初は主に軍馬の育成や改良に取り組んでいたものと思われます。
そんな縁から、種畜牧場の周りに民営の競走馬生産牧場が多くできたのでしょう。

この何十年か前から、有力な競走馬生産牧場に外国人が多く雇われるようになっていたんです。
ウイリアムソン師円の父親はオーストラリア人で、馬の調教師だそうです。
父親は西舎の大きな牧場に請われて、オーストラリアから来たものなのだと思います。

本桐のボクの実家もひと頃、イギリス人やオーストラリア人に取り囲まれてたことがあります。
父が死んで母が一人で暮らしていたんだけど、周りが外国人ばっかりになってしまって寂しくなり、15年ほど前に滝川に移り住んだ、という経緯がありました。
もとから近所にいた人たちの多くが亡くなったり越してしまったりし、その空き家に外国人が住んでいたのです。
その外国人の牧場勤務者の多くは、調教など高い技術をもって迎えられていた人たちのようでした。

高校生の時を思い出しました。
同級生の父親が西舎にある日高種畜牧場の場長をしていたんです。
出来の良い同級生で、北大獣医学部を卒業し、父親と同じ道を進みました。
20年か30年前に噂を聞いたんだけど、彼も全国の国営牧場を場長として回っているそうです。(もう退職したのでしょうね)
アカシという人だったんだけど、ずっと何十年も会ったことがありません。

高校生の時、朝の点呼で担任教師が、アカシ、アカツカ、アベ、エバタ・・・って、あいうえお順で呼んでましたっけ。
アカツカとエバタの両君は偶然にも埼玉の越谷に居を構えていたんだけど、40代で相次いで亡くなってしまいました。
アカシ君は全国をマタにかけての国家公務員生活でしたでしょうし、年賀状だけやり取りをしているアベ君は生まれ故郷の浦河に住み続けています。
・・・急に昔のことを思い出してしまってしまいました。

ずいぶんと脱線してしまいました。
次回に続きます。
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