そもそも私は自分しか知らない。
自分以外の人の心はわからない。
本心はどう思っているのか。
身近にいてくれる人、実はその人は私の事を嫌いなのか。
或いは本心では違うのか。
また、病気で苦しい人の痛みの度合いもわからない。
死にそうなくらい苦しいのか。
それとも実施には大袈裟にしてるだけなのか。
会話をしてる時にその人は心に何を持ってそのように発言してるのか。
好意があるのか、または悪意があるのか。
急いているのか。
楽な気持ちでいるのか。
わかると感じてる全て想像。
自分の感覚を通した想像。
だから、自分が裏切る人ならば、他人も裏切ると、想像する。
或いは、自分は人を信用できないなら、他人も自分を信用してないな、と。
実はそれがその人の本心かどうか、わからない。
つまり、私は自分の心しかわからないから。
だから、結局わかってないし、ほんとうのことは解りえない。
そして他人の気持ち、それは自分の想像の上での世界の中にある。
誰かに、あなたは自己中心的と言われても、本当にそれは真実なのか。
真実でないならば、私の判断は嘘の世界の中で判断することになる。
本当のことがわからない以上、
悩みの感情を持つ本質は 持つ必要のない無意味な感情を持つ事になる。
従って
私の悩みに対する意識がとても強くても
そんな他人の感情や心はあまり強く意識しなくて良いと、そう思う。
結局、自分の感情、気持ち、そして私をわかってる他人はこの世に自分しかいない。と。
どこまで行っても私はひとり。
この世の中で私の意識には自分しか存在しない。
そう思う。