わたしは、小学5.6年のときに担任をしてくださった先生の影響で
とても「戦争反対」の気持ちが強いのですが・・・
夕刊に目をやると、涙が止まらなくなりました。
防空壕に、友人がいると聞かされた筆者は、その友人の母親と二人で入っていくと
友人の母は、4.5人横たわる人のなかから直ぐに息子を見つけ抱きしめたという。
友人は、顔の半分が焼きただれ、首は膿だらけだったらしい。
「熱かったろう・・・」と母親は、持っていたみかんの缶詰を出し息子の
口に懸命に流し込んだ。
そのとき、大やけどを負った友人は、筆者に「ヨッチャンも食べ」と
すすめてくれたんだそうです。
約三週間後にその友人は「おかあちゃん」と三度繰り返して
息を引き取ったそうな。
それ以来、筆者はみかんの缶詰を見るのが辛い........
母になり、子供の頃に感じた以上にこういう話には強く悲しみを感じます。
平和ボケしてはいけません。
戦争モノのゲームで次々と爆弾を落とす、敵を倒す、打つ、
そのようなものがあふれていますが、
わたしは息子に「人を殺すゲームだけは絶対にするな!」
口をすっぱくして言っております。
生き物なら殺して良いのか?というと、それは正しくないのですが・・・
でも虫を死なせてしまうことで、生きていたものが動かなくなることを覚えます。
可愛がっていたペットが死んでしまうことで、死んだら二度と生き返らないことを
身を持って知ります。
ゲームじゃ、リセットしたら何度でも生き返るのです。
我が家にペットはいません。
わたしは、息子に何人も棺の中にいる「仏様」を見せてきました。
「もう動かへんやで」
「(触らせて)ほら、冷たいやろ」
世の中にある尊い命を、誰も奪う権利はありませんよね。
「武器は必要」
そうなのかもしれない。権力を勘違いしている人への威嚇という意味で・・・
最近はその考え方も理解できるようにはなりました。
でも、やっぱり、本当は「NO」といえる世の中になってほしい。
戦争の悲劇を二度と繰り返してはいけない。
みかんの缶詰、わたしもこれからは胸がいっぱいになりそうです。
とても「戦争反対」の気持ちが強いのですが・・・
夕刊に目をやると、涙が止まらなくなりました。
防空壕に、友人がいると聞かされた筆者は、その友人の母親と二人で入っていくと
友人の母は、4.5人横たわる人のなかから直ぐに息子を見つけ抱きしめたという。
友人は、顔の半分が焼きただれ、首は膿だらけだったらしい。
「熱かったろう・・・」と母親は、持っていたみかんの缶詰を出し息子の
口に懸命に流し込んだ。
そのとき、大やけどを負った友人は、筆者に「ヨッチャンも食べ」と
すすめてくれたんだそうです。
約三週間後にその友人は「おかあちゃん」と三度繰り返して
息を引き取ったそうな。
それ以来、筆者はみかんの缶詰を見るのが辛い........
母になり、子供の頃に感じた以上にこういう話には強く悲しみを感じます。
平和ボケしてはいけません。
戦争モノのゲームで次々と爆弾を落とす、敵を倒す、打つ、
そのようなものがあふれていますが、
わたしは息子に「人を殺すゲームだけは絶対にするな!」
口をすっぱくして言っております。
生き物なら殺して良いのか?というと、それは正しくないのですが・・・
でも虫を死なせてしまうことで、生きていたものが動かなくなることを覚えます。
可愛がっていたペットが死んでしまうことで、死んだら二度と生き返らないことを
身を持って知ります。
ゲームじゃ、リセットしたら何度でも生き返るのです。
我が家にペットはいません。
わたしは、息子に何人も棺の中にいる「仏様」を見せてきました。
「もう動かへんやで」
「(触らせて)ほら、冷たいやろ」
世の中にある尊い命を、誰も奪う権利はありませんよね。
「武器は必要」
そうなのかもしれない。権力を勘違いしている人への威嚇という意味で・・・
最近はその考え方も理解できるようにはなりました。
でも、やっぱり、本当は「NO」といえる世の中になってほしい。
戦争の悲劇を二度と繰り返してはいけない。
みかんの缶詰、わたしもこれからは胸がいっぱいになりそうです。
当たり前でも大切なことだからこそ素直な子供のころに一度は考えてほしいですよね
平和に関してはそれぞれがぞれぞれの考えをお持ちでしょう
それはそれでいいと思います
ただ無関心のままで大人になって知らず知らずに危ない方向に引きずられることだけは避けたいです
もっと真剣に思うべきです。
今ある命は一度きりしかないということを分かっているのか問いたいです。
さっき帰り道でのこと、小学生たちが遊んでいたのですが、
「お前一回死ねや!」という言葉が耳に入りました。
言われた子は「お前こそ死ね」と言い返していた
そのやりとりに愕然としました。
思わず「何を言っているの?」と声をかけたらキョトンとした様子。
その言葉の意味さえ分からず、軽々しく発している
その子たちは、これからどんな風に育っていくのでしょう。
とても不安になった一場面でした。
けど、なくした時にその存在と大切さに気付くんですよね!
素晴らしい!
よく耳にします。
ともすれば、兄弟姉妹喧嘩でも発する常套句。
軽い気持なんで、意味なんか考えてないんですよね。でも、これがイジメのシーンなら受けとる側は深刻です。
わたしも子供に「死ね!」は、どんなに腹がたっても言ってはいけない、もし相手が本当に死んだらどうするの?と言ってあります。実際にそれを守ってるかどうかはわかりませんが。
せめて気付きのきっかけだけでも、大人として与えたいですね。