改めて思うことに豪族の息子として何不自由なく過ごして母方の叔父は天皇に、勉強を教えていて学問も最高位を習えてても、そこに居ることの当たり前ではなく。
世の中に疑問を覚え。たぶん疑問を覚えても何もしない人が多いと思う子供だしなあー。
大人になっても、「坊っちゃんやけんなあー」みたいな感じで育つ方が多いのでは?ないだろうか?
だからと言って小さい時から苦労に苦労して凄い人になってる人もいるから、環境だけでなく人は素質なのかもしれない。
それにしても、お大師様はすごいよね。
父が「お大師様はすごいぞ」と亡くなる寸前まで言っていた。
目をキラキラさせて。
それは、高野山大学で学んではいたが、故福永光司先生からお大師様の講義を受けたことによりまた、いろんなことを吸収できたからこそだと思う。
それまでの父は信者さんを苦しみから解放したい!と様々な勉強を続けていた。
しかし、最後にはお大師様に戻った。
あのキラキラした父の目は、いつ死んでしまうかわからない人には思えないほどキラキラしてた。
母方の祖父もお大師様が大好きだった。
とても、苦労した人、心の救いはお大師様だった。
お寺のため、高野山真言宗の為に働きに働いた人やなあ〜けど、祖父にしてみればお大師様の為、檀信徒の為に僧侶として頑張っていたのだと思う。
お大師様の言葉を沢山、書で表現して沢山の人にお配りした。暮らしの身近にお大師様の言葉を置いててほしい。と
書習ったことないのに上手だったなあ。
凄い練習したのがわかります。
お大師様私にはとても大切なスーパー人間。そのお大師様でさえも、すごい努力に努力をしたお人。
私達凡夫はもっともっと、励まねば。
今年はご生誕1250年の年だ!!
インゲさんは、外での法要におお忙しいらしい。
私は山寺で頑張るぞ!!
値上げに値上げの世の中に、ウンザリしつつも、嘆いてはおられぬぞ!!
世の中は変わる。
その変化の中、お大師様への信仰が落ち目の時もあり、その頃は高野山も荒れて居たと歴史に書かれている。
その時代もコツコツと研鑽に励んだ僧侶の皆様が居たからこそ今があるんですよね。
その時代にあったお寺で有り続けたい。
お大師様のご宝号をお唱えすることから、改めて広めていきたい。
南無大師遍照金剛なむだいし、へんじょう、こんごう🙏🏼
何かあるたびに何度もこのご宝号に救われた私だからこそ、強く思うご宝号運動は大切だ。
皆さん、近くのお大師様にお参りされてる。とよく聞きます。
お大師様が身近にある生活。
どうぞ~お寺へ。
自由にお参りも良いけど。
お寺の方にお作法を聞くのも大切です。
You Tubeではわからない事たくさんあります😆