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石原氏の最側近が独占告白 豊洲移転“水面下”交渉の全貌
2017年02月04日 09時26分
石原慎太郎元東京都知事(84)の「懐刀」と呼ばれる濵渦武生元副知事(69)は、築地市場の豊洲移転問題で、東京ガスとの土地売買交渉にあたったキーパーソンのひとりだ。これまでメディアの取材を避けてきたが、2日、TBS系(CBC制作)の情報番組「ゴゴスマ」に生出演し、その直後に日刊ゲンダイの単独インタビューに応じた。「水面下」の交渉経緯や石原都知事の説明責任などについてズバリ聞いた。
■土壌汚染は処理できるという認識だった
――なぜこのタイミングで表に出て話そうと思ったのか?
東京都のヒアリングを待っていたが一向にない。情報が歪んだままになってしまうことを危惧した。
――土壌汚染が分かっていたのに豊洲に決めたのは?
1999年4月に石原さんが都知事に就任した時には既に、築地の移転先が豊洲に決まっていた。広い土地が他にないというので、高速道路に近い多摩地域でもいいんじゃないかと提案したこともあったが、都の職員は「業界団体が消費者に近い場所を希望している」と譲らなかった。土壌汚染は処理できるという認識でした。
――東京ガスとの土地取引の交渉で、会談記録(共産党都議団が情報公開請求で入手)に、濵渦さんが「水面下でやりましょう」と言っている場面が出てくる。これに疑惑の目が向けられています。
東ガスは(豊洲の土地の)再開発計画を経営決定済みだったので、当初、売却に難色を示していました。そこで、決定事項を蒸し返されるのは困るということで、東ガス側が株主総会対策なども考えて「水面下」での交渉を望んだ。前任の交渉担当である福永副知事(当時)の時から「水面下」という言葉を使うようになっていました。担当が私に代わったのは、交渉が難航したため。石原さんから「おまえがやれ」と言われたのです。
――その後01年7月に基本合意に至ります。難航していた交渉をどうやって前進させたのか。
豊洲のある江東区に「市場の公共性」を説いて「一緒にやりましょう」と持ち掛け、江東区議会にも要望を聞いた。地元は「観光拠点をつくって欲しい。それが豊洲でやれるのなら」ということでした。東ガスについても、旧知の国会議員を通じて真の交渉相手になる人を探した。最終的に、防潮・護岸整備は東京都が、汚染された土地は東ガスが、それぞれきれいにするということで合意しました。これらのことが「水面下」と表現されているだけです。
■石原さんは当時のことをほとんど覚えていない
――しかし、08年に環境基準の4万倍のベンゼンなどが検出され、都が土壌汚染対策費として860億円を支出しました。総工費は6000億円近くに達しています。
私がこの件を担当したのは01年7月まで。当時、市場会計は3000億円あり、土地代も建設費もそれで賄えるとみていました。そこには土壌汚染対策費は入っていない。汚染対策は東ガスがやるということだったのに、なぜ都が出したのか。そこの検証が必要なのではないでしょうか。
――小池都知事は土地購入に関して、石原元知事の責任を検証すると言っています。その石原元知事は都の質問書に対し、「濵渦に任せていた」と答えている。つまり、濵渦さんに責任を押し付けることになっていませんか?
単に「任せた」ではなく、前述したように、交渉担当が代わった経緯をきちんと言って欲しいですね。ただ、石原さんは私に最初、「何でおまえが担当していたんだ?」と言っていた。ほとんど覚えていないようです。
――石原元知事が説明責任から逃げていることについてはどう思いますか?
石原さんには、「一度、きちんと話した方がいいですよ」と言いましたが、「今、俺が出て、何をしゃべっても誰も信用しないぞ」と言っていましたね。もっとも、石原さんは私が交渉を担当していたことすら忘れている。もともと豊洲は、青島元知事時代に決定済みの案件だったので、石原さんにとって何か提言してやろうというテーマではなく、興味を持っていませんでした。
――小池都知事は石原元知事をターゲットにしている。
石原さんには、懸案の時期に都知事だったという責任はある。しかし、退位しようという天皇陛下と同じような年のおじいさんをいじめるのはやめた方がいい。細かな事務手続きをつかさどっていたのは副知事。歴代の副知事を呼んで調べればいい。
――小池都知事はなぜ、濵渦さんからヒアリングしないのでしょう?
真実を求めているのではなく、この問題を都議選や政治的なテーマと位置付けているからかもしれません。私はいつでも出ていって話します。
(聞き手=本紙・小塚かおる)
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12136-372960/
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■ 2009年7月9日
「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
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■ 2010年3月2日
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