幸村の備忘録(情報は訪問当日の内容です)

じいさんとなりヨロイ兜を脱ぎ捨て温泉三昧。

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奥軽井沢温泉(あさまの湯)/ホテルグリーンプラザ軽井沢(群馬県嬬恋村)3

2015年03月06日 | 群馬県の温泉
≪2015/02/27金≫2年半ぶり
中軽井沢から浅間山を望みながら山麓をドライブ、群馬県に入る、

100万平方メートルの広大な敷地には様々な施設があるリゾート
軽井沢おもちゃ王国、ゴルフクラブ、軽井沢白樺高原教会など
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温泉棟リゾート館で受付、立ち寄湯 1230円(温泉博士プラス230円)

透明な薄い茶色湯、ナトリウム-硫酸塩・塩化物・炭酸水素塩温泉、源泉72℃、加水しているがかけ流し
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露天には木製と石積みの浴槽、周辺の眺望はない
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他に洞窟風風呂があるが今日はポンプの故障中のため使用不可
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信濃(長野県)にはいくつもの街道がある

江戸からの中山道は「追分」で「北国街道」に別れる
佐渡の金を江戸までの輸送、善光寺の参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用されたそうだ

最近全国各地で古い城下町や宿場風情を残す取り組みが行われています

小諸宿
移築された本陣母屋の中では地元の主婦の皆さんによる、お雛さん展示会が開催されていました
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海野宿は建物を保存地区にして「うだつ」のある町並みを残している
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街道沿いの家々は家にあるお雛さんを通りから見えるよう飾ってあって、
格子戸越しに見える、もうせんの赤が なんともいい風情だ
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一方 中山道は芦田宿から峠道 笠取り峠
旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり、皆いつの間にか笠を取っていることから笠取峠と呼ばれるようになったとのこと
幕府の植樹政策によって植えられた松並木
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峠の途中に一里塚
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長久保宿の本陣(石合家)
本陣と問屋を勤め、四代当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いだそうです
今も石合さんのお住まいになっています
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当時の奉行が庶民にむけておふれを掲示した高札が復元されていた
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内容
毒薬、偽薬、偽金銀の禁止や人足賃の定めなどから
親兄弟夫婦はあわれみ、主人に奉公して家業はおこたらない・・など いろいろ


3月2日 長野県大規模停電について
ご心配いただきありがとうございました
朝5時半ごろから9時頃まで 我が家も停電
我が家だけかとブレーカーをチェックしたり近所の灯りを見たり
後で聞きましたが38万世帯、県のほぼ半数だったそうです

幸いこんな時用の石油ストーブに集まって復旧を待ちましたが
お年寄りのお宅や病院ではどうしているのだろうと考えながら
ただ待っただけでした

学校は繰り下げ登校だったそうです
便利な物に頼りすぎていることが改めて感じました
今朝のニュースに「あれから石油ストーブが売れている」とのこと






6 コメント

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Unknown (ゆけむり)
2015-03-06 16:55:55
30年ぐらい前かなぁ?
このホテルが出来たばかりの頃何度か泊まりましたが(アネックスが多かった)、今は露天風呂とかあるんですね
テニスコートや小規模な遊園地がで遊びました(笑)
当時は上越国際など、グリーンプラザ系列によく泊まっていました
たまには泊まりたくなりました!
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Unknown (幸村)
2015-03-06 18:03:01
ゆけむり さんへ
軽井沢の隣、群馬県側にはこうした大きなリゾートホテルが多いですね、遊園地のような子供も遊べる施設があって孫たちも行っているようです、ワシは湯治の宿ばかりなので一度リゾートホテルに宿泊してみたいです、やっぱり夏が涼しくていいでしょうね
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Unknown (sattoru)
2015-03-06 22:04:36
なんともゴージャスなホテルですね、リゾートっぽい雰囲気がいたします。洋風の雰囲気から一気に宿場町の雰囲気、対比が素晴らしいです!傘取り峠ですか、由来がなるほどです(笑)。昔はいくつもの宿場町を経由して歩いて行脚していたのでしょうね。一里塚などに励まされながら…。ひょろっと斜に構えた(?)高~い松、見事ですね!!
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Unknown (幸村)
2015-03-07 09:12:53
sattoruさんへ
リゾートやゴージャスの言葉の似合わない自分だです、古い建物が好きな古いワシです。だからと言っても江戸時代だったら健脚でない自分は峠も越えられなくこうして旅もできなかったことでしょうね、もしsattoruさんでしたら峠の二つ三つ先の宿場や湯治場まで行ってしまうことでしょうね(笑)
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Unknown (go)
2015-03-07 23:14:07
こんばんは、この間の停電は大変だったでしょう、寒さ厳しき折に電気の暖房が使えないし、ファンヒーターも使えなかったら大変ですね、こんな時に石油ストーブも必要ですね。
奥軽井沢のホテルの湯は料金が高い割には当たり前の温泉でしたね、中山道の分岐点の追分宿は有名ですが、上田方向が北国街道で、和田峠を越えて岡谷方向は中山道でしたね、「更科は右 み吉野は左 月と花とを追分の宿」 月は姥捨てのこと、花は吉野の桜の事だと思います、江戸から同行してきた旅人も追分で右、左に分かれる定めだったのでしょう。
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Unknown (幸村)
2015-03-08 09:00:09
go さんへ
朝の停電で明るかったり吹雪いていたわけでもなかったので平気でした、昔のように掘りごたつや薪でご飯たいた時代と違って困ることが多いですね、あのころ停電してロウソクの灯りで家族で過ごしたこともありましたね、電球も切れたのを配給所?に行って新しいのをもらって来いと・、子供のころ何でそんなこと・・と不思議に思っていました。昨日のニュースで静岡糸魚川構造線の活断層が動いた場合の被害予想図が第一面に掲載されていました、なにせ長野県の真ん中を走っているのでかなりの被害になりそうです、当地も震度6予想でした、水タンク位しか備えがなくてダメですね。
何日もかかった北国街道もこんど新幹線で「一時」、江戸時代の人もビックリでしょうな。「月と花とを追分・」なるほどですね、別所にも「分去れ」という地名があります、三叉路のあるところです
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