ネイチャーゲーム&自然・趣味

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短歌で綴る学校の一断面   子ども編-その3

2014年07月11日 | 教育
(9)受験の子心の傷の疼く日かテストをめぐり友と諍かふ
 高学年になると、一部の子には私立への受験熱が高まります。親の期待もあり、頑張るのでしょうが、同じ塾同士でテストの成績によって塾内のクラスが違ったりすると子どもにとっては大変です。塾内では確実に成績がものを言うから、特に負けたと感じた子は勝った子への思いは複雑になるようです。
学校でお互いを意識するあまりちょっとしたことでも口論となったり、その鬱憤を仲間外れやいじめという形で晴らしたりすることも出てきます。
どちらの子どもも親の過大な期待の犠牲という面があるのですが、この指導をめぐっては私も苦い思いもありました。10数年前と違って、今はもっと多く各地で繰り返されているのではないでしょうか。(2000年頃)


(10)教育の「個性化」すすみ泥あそび嫌がる子ども逃げ回りたり
これは10数年前のことです。低学年の子どもの多くは泥んこ遊びが好きなのですが、嫌がる子も見られるようになってきました。
これは間違った「個性化」の考えが広まり、嫌いなものはやる必要がないとばかりに、幼児期から子どもの欲求のままに、やりたいことだけやりたい時にやるなどいう子が目立ち、よく話題になった頃のことです。
幼児期から最低必要なものは経験する機会を作り、そのうえで個性的な面をのぼすようにしなくてはと思うのです・・・。(2005年頃)


(11)内申に響くと語る子もありて通知表書く手もよどみたり 
 高校入試はテスト一発ではなく、内申が重視されるというので中学生が学校では内心を意識した行動をとるというの話はよく聞きました。
 小学校でも、私立によっては内申を重視する学校があるようで、そこを希望する子どもは意識しながら生活しているようでした。なんともやりきれない思いをしたものです。
 通知表に書いたものをコピーして提出するということで、通知表を書く仕事もますます遅れがちになります。(2005年頃)

(12)響きくる友の優しさ訴えし寡黙な子の読む別れの言葉
 学年の終わりにふだんは寡黙な子が別れの言葉を書いてきました。友だちから優しくされた事を綴ったものでした。ふだんあまり自分の思いを話さない子だっただけに心に響くのでした。
 子どもが人前で活躍する舞台では活発な子だけではなく、人前で話すのが苦手な子、目立たない子に機会を与えたいといつも願っていました。そんな時に勇気を出して立候補してくれるとホッとしました。
 自分の子どもの頃を考えても活躍する子はいつも同じような子でしたから・・・。(2005年頃)

(13)多動の子カイコを持ちて口早にくすぐったいと告げにきたり 
 落ち着きのない子ですが何か気にかかることがあると熱中する子です。カイコを教室で飼うこともよくありました。そんな時にそっと手に持って、うれしそうな顔をして、くすぐったいと見せに来るのでした。(2005年頃)

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