ネイチャーゲーム&自然・趣味

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短歌で綴る学校の一断面   子ども編-その2

2014年07月10日 | 教育
〈4〉漢字六つようやく覚え人気なき廊下を行きし子はスキップして 
 漢字が苦手で残り勉強をしてようやく覚えたのはだいぶ遅くなってから。廊下には誰もいませんが覚えられたうれしさとやれやれという思いがあったのでしょうか。昔は(と言っても二三十年前)放課後の時間は比較的余裕があって、残り勉強などもよくありました。分からないまま進んでしまうのではなく、なんとか皆を分からせようという雰囲気が一般的でした。もっとも私自身も小学生の頃は、このブログで「九九の残り勉強」と書いている通り、残り勉強の常習者?でしたが。
(1980年頃)
(5)始業式の子どもの声甲高く休みの日の出来事語らう 
 これは今でも見られる光景でしょうか。夏休みや冬休み明けの教室は、どこへ行ったとか何をしたとかにぎやかに話しています。その声の甲高いこと!でもそんな中でも、どこへも行けずしょんぼりしている子がいないかどうか気になります。
(1995年頃)
(6)赤子のごと泣きじゃくる子をすべなくて見守りており西日さすまで 
 1年生の女の子でした。弟もいて、家ではいつもはよいお姉さん役を果たしているということでした。ある放課後のこと、他の子と話しているうちに急に、それこそ急に泣き出して泣かなき止みません。しゃくりあげる泣き方で、わけを聞いてもよくわかりません。ずいぶん長い間泣いていたように思います。こんな時にはただ待つしか方法はありません。
 その子は途中まで送って行きましたが、あとで分かったのは、弟との関係でお母さんに甘えたくても十分に甘えられなかったということでした。甘えられないわけも本人は分かっていたのですが何かの拍子にどっと出たのでしょう。母親と話し、面倒をあまり見られない父親のことなどが分かりました。その代わりに学校では先生がお父さんなどと話しました。次の朝、抱きついてきてなかなか離れようとはしませんでした。一見しっかり者であるほど、甘えたいという願いがあるということを再確認したのでした。 「泣きじゃくり帰りたる子の今朝はただ先生と抱きついて離れず」(1995年頃)

(7)幼くて塾通いせし子の朝はあくびの多く眠け顔なり
 10数年前ですが家によっては1年生の頃から塾通いなどという子もいました。そんな子は、体がついて行かないのでしょう、朝からあくびが出るし、ぼーっとした顔です。集中力が途切れてしまうのも当たり前ですね。(1990年頃)

(8)いじめ詫び涙する子の声響き見つめる我も瞼潤みし
 いじめという言葉がひんぱんに使われることが多くなってきたころです。3,4年にもなるとじっくり話すとわかってくれる子が多くなります。中には自分のしたことに気付いて涙する子もいます。そんな時には、こちらも思わず気持ちが一緒になって涙が出そうになります。(1995年頃))


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