①仙台自転車とは?
仙台自転車って聞いたことありますか。
私も、昔乗っていた自転車がそうだと最近知りました。関東地方で、見かける荷物用の自転車は後ろに大きな荷台がついているものでした。
この自転車の荷台に荷物を積んだことがありますが、積みすぎるとふらふらしてスタンドで止めるときに注意しないと前が上がってしまいます。
ところが、私が高校時代にアルバイトで乗っていたのは写真のように前に大きな荷台がついていて、タイヤも太いものでした。ハンドルも普通の自転車より広く腕を広げて操作するものでした。止めるときにはハンドルを固定するストッパーがついています。
宮城では荷物用自転車としてはこれが当たり前だったので名前が仙台自転車なんて知りませんでした。米屋さん、炭屋さん、酒屋さんなどが配達に使っていたのはこの自転車でした。
(写真=前輪の太さ、ハンドルの大きさ、荷台の大きさなどが目立ちます)

②氷屋さんでのアルバイト
私の高校時代のアルバイトは普段は小中学生に勉強を教え、冬休みは年末年始には郵便局での年賀葉書の配達、夏休みは及川商店という米や氷を商う店で配達の仕事でした。
及川商店は石巻市にあり、私は1時間弱かけて自転車で通っていました。及川商店には大きな氷蔵があり、そこに製氷屋さんから氷を仕入れて入れておくのでした。
一個一個は20キロもあったでしょうか。大きな氷をこの仙台自転車(私たちは運搬車と言っていました)に載せて配達するのです。荷台には氷が滑らないようにざらざらした南京袋(麻袋)をしき、上にも袋をかけゴムで止めて二個ぐらいまで重ねて運んだものです。氷は少し溶けると互いにくっつきますから安定するのです。
大きな氷用の目の粗い鋸を持っていくことも忘れてはいけません。また、氷を挟んで持ち運びする大きなハサミも必要でした。届け先ではこのハサミで氷をつかんで下して、鋸で冷蔵庫に入る大きさに切って渡したり、そのまま渡したりしました。
1960年の初めごろですから、まだ今のような電気冷蔵庫が普及していないために家庭や店ではこのように氷を入れた冷蔵庫が一般的でした。旅館などにもよく運びました。
③我が家にもあった仙台自転車
この運搬車は我が家にもあり、まだ体調が十分でない父が川釣りに行くというので、私が前の荷台に父を載せて川に行き、夕方迎えに行くということもしました。父は背が高い方でしたから50キロ位はあったでしょうか、荷物と違って動くので運転はなかなか難しいものがありました。
ある時、この自転車が砂利に足を取られ転倒して、父を投げ出すということがあり、こっぴどく叱られたことを思い出します。
また、長兄が運搬車に野菜をのせて町に運んだりしていました。多分どこの家にも一台ぐらいはあって普通に使われていたと思います。
④氷を使う冷蔵庫の終焉
一般家庭には氷の冷蔵庫は普及していなくて、店や旅館などで使われていたのでした。ところが1960年代後半になると、このような氷を使う冷蔵庫は、あの「三種の神器」などと言われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の急速な普及とともに使われなくなったのでした。私のアルバイトの頃が過渡期だったということになります。
今、冷蔵庫は年中不可欠なものですが、俳句の季語で「冷蔵庫」は夏を表します。この時代の氷の冷蔵庫がもっぱら夏の時期に使われた名残でしょうね。
⑤資料=仙台自転車(前荷台運搬車)
以下は「日本自転車振興会」等よる仙台自転車の資料です。
仙台の鍛冶屋さんが自転車で大きく重い荷物を運ぶために改良したのが、「仙台運搬車」として広まり全国の米屋、氷屋、八百屋、燃料屋等で広く愛用されるようになった。
現在この自転車は生産していないため、貴重な存在になりつつある。前荷台運搬車は昭和初期登場した。
昭和6年のカタログによると、米穀商、氷商、 酒類商、菓子商、行商用等重荷の運搬用に推奨するとあり、5大特徴として以下の点をあげている。
1.後荷異なり優に二百斤(120kg)の重荷も楽々詰める。
2.前荷なるが故に大抵の荷物は縄掛けする面倒がない。
3.重量品を積んだ場合、後荷のごとくハンドル操縦の安定を失うことがない。
4.体裁がよく頑丈で、激使にビクともしない。
5.後荷運搬車より軽い事数等なるは驚 異的特徴の一つである。
現在この自転車は生産していないため、貴重な存在になりつつある。
*鐘崎の「笹かま館」にも、かまぼこ塾というノスタルジックな街並みを再現した場所の片隅に仙台運搬車が置いてあるそうです。
*詳しく知りたい方は、「自転車・仙台自転車」で検索が可能です。
仙台自転車って聞いたことありますか。
私も、昔乗っていた自転車がそうだと最近知りました。関東地方で、見かける荷物用の自転車は後ろに大きな荷台がついているものでした。
この自転車の荷台に荷物を積んだことがありますが、積みすぎるとふらふらしてスタンドで止めるときに注意しないと前が上がってしまいます。
ところが、私が高校時代にアルバイトで乗っていたのは写真のように前に大きな荷台がついていて、タイヤも太いものでした。ハンドルも普通の自転車より広く腕を広げて操作するものでした。止めるときにはハンドルを固定するストッパーがついています。
宮城では荷物用自転車としてはこれが当たり前だったので名前が仙台自転車なんて知りませんでした。米屋さん、炭屋さん、酒屋さんなどが配達に使っていたのはこの自転車でした。
(写真=前輪の太さ、ハンドルの大きさ、荷台の大きさなどが目立ちます)

②氷屋さんでのアルバイト
私の高校時代のアルバイトは普段は小中学生に勉強を教え、冬休みは年末年始には郵便局での年賀葉書の配達、夏休みは及川商店という米や氷を商う店で配達の仕事でした。
及川商店は石巻市にあり、私は1時間弱かけて自転車で通っていました。及川商店には大きな氷蔵があり、そこに製氷屋さんから氷を仕入れて入れておくのでした。
一個一個は20キロもあったでしょうか。大きな氷をこの仙台自転車(私たちは運搬車と言っていました)に載せて配達するのです。荷台には氷が滑らないようにざらざらした南京袋(麻袋)をしき、上にも袋をかけゴムで止めて二個ぐらいまで重ねて運んだものです。氷は少し溶けると互いにくっつきますから安定するのです。
大きな氷用の目の粗い鋸を持っていくことも忘れてはいけません。また、氷を挟んで持ち運びする大きなハサミも必要でした。届け先ではこのハサミで氷をつかんで下して、鋸で冷蔵庫に入る大きさに切って渡したり、そのまま渡したりしました。
1960年の初めごろですから、まだ今のような電気冷蔵庫が普及していないために家庭や店ではこのように氷を入れた冷蔵庫が一般的でした。旅館などにもよく運びました。
③我が家にもあった仙台自転車
この運搬車は我が家にもあり、まだ体調が十分でない父が川釣りに行くというので、私が前の荷台に父を載せて川に行き、夕方迎えに行くということもしました。父は背が高い方でしたから50キロ位はあったでしょうか、荷物と違って動くので運転はなかなか難しいものがありました。
ある時、この自転車が砂利に足を取られ転倒して、父を投げ出すということがあり、こっぴどく叱られたことを思い出します。
また、長兄が運搬車に野菜をのせて町に運んだりしていました。多分どこの家にも一台ぐらいはあって普通に使われていたと思います。
④氷を使う冷蔵庫の終焉
一般家庭には氷の冷蔵庫は普及していなくて、店や旅館などで使われていたのでした。ところが1960年代後半になると、このような氷を使う冷蔵庫は、あの「三種の神器」などと言われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の急速な普及とともに使われなくなったのでした。私のアルバイトの頃が過渡期だったということになります。
今、冷蔵庫は年中不可欠なものですが、俳句の季語で「冷蔵庫」は夏を表します。この時代の氷の冷蔵庫がもっぱら夏の時期に使われた名残でしょうね。
⑤資料=仙台自転車(前荷台運搬車)
以下は「日本自転車振興会」等よる仙台自転車の資料です。
仙台の鍛冶屋さんが自転車で大きく重い荷物を運ぶために改良したのが、「仙台運搬車」として広まり全国の米屋、氷屋、八百屋、燃料屋等で広く愛用されるようになった。
現在この自転車は生産していないため、貴重な存在になりつつある。前荷台運搬車は昭和初期登場した。
昭和6年のカタログによると、米穀商、氷商、 酒類商、菓子商、行商用等重荷の運搬用に推奨するとあり、5大特徴として以下の点をあげている。
1.後荷異なり優に二百斤(120kg)の重荷も楽々詰める。
2.前荷なるが故に大抵の荷物は縄掛けする面倒がない。
3.重量品を積んだ場合、後荷のごとくハンドル操縦の安定を失うことがない。
4.体裁がよく頑丈で、激使にビクともしない。
5.後荷運搬車より軽い事数等なるは驚 異的特徴の一つである。
現在この自転車は生産していないため、貴重な存在になりつつある。
*鐘崎の「笹かま館」にも、かまぼこ塾というノスタルジックな街並みを再現した場所の片隅に仙台運搬車が置いてあるそうです。
*詳しく知りたい方は、「自転車・仙台自転車」で検索が可能です。
子供のころ、冷蔵庫用に小さくした氷を自転車(実用車)の前かごに積んで配達し、小遣い稼ぎ(今でいうアルバイト)をした。ぺタルをこぐと「ガシャンガシャン」という,チエンの音、氷の融けるのを気遣いながら
スピードをあげる。信号機などなかったころの遠い昔の
自分の姿がよみがえってきました。
ありがとう!
合言葉<タケノコおいしかった>
私も旬の筍をおいしくいただきました。