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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

浴衣に香を焚きしめたくて

2020-08-25 18:16:42 | 日記

夜遅く帰るときは(遅くと言っても8時半ごろだが)通る道がある。旅館など古い家がある通りだ。あら?と思った。香の匂いがする。お寺は一通り違うし・・・。古い蝋燭屋さんがあった。それこそ時代物の毛ハタキなどもある。2軒くらい先でも香りが届く。暑い夜にすがすがしい香りだ。

出来上がった陶芸の抹茶茶碗を飾ることにした。なにか下に敷く布を探していると、浴衣が出てきた。ああ、捨てずにあったのだ。紺地ではなく白地に朝顔の花がある浴衣だ。不出来ではあるが、自分で縫ったものだ。そっと羽織ってみる。意外に涼しい。去年買ったイ草の草履もあるので、着てみたくなった。

なにか急に先日のお香が欲しくなった。ちょっと入りにくい店だが、ちょうどお店の人が出てきた。香の話をしてみた。お線香と香を混ぜて焚いているが、長年焚いているので家に染みついているのでは という。香はひと箱8000円ものものだが、お線香は求められそうだ。店のなかは、香の匂いがして、ろうそくやらお線香が山のようにある。

私の中で何かが動いている。「和」の世界なのか・・・。浴衣をクリーニングに出した。不揃いの縫い目が愛おしかった。(笑い)「和」の世界は「洋」の世界よりも、人を身近に感じるような気がする。肌を感じるというのか。椅子の世界とは違うなにかを。

「初恋の遠きいたみのあふれくる すべては去りて変わらぬ朝影」 今朝の友人の和歌。思い出しても、初恋は見当たらない。このいまのおばあさんの想いなのかもしれない。

 

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タクシーで帰ってきた携帯

2020-08-24 18:30:10 | 日記

昨日の暑さのなかと長時間の冷房の効いた新幹線の移動でさすがに体がだるい。ホテルは空調はいいが、布団が暑かった。家に戻っても寝苦しい夜だった。つらい2晩だった。

ご招待いただいた料亭は竹の障子だった。竹が新しいうちは風が通らないので使用せず、少し経ってから入れたというぜいたくなものだった。目の涼しさも大事だろうと、やはり暖簾をかけてみることにした。日本家屋はのきがある分涼しいようだ。真四角の家では味わえない。昔の家には「縁側」もあった。「縁側」は家の中に入るほどでもなく、外での立ち話では失礼というときの場所でもあるという。

ちょっといいお話があった。楽しいお招きの時間も終わり、タクシーでホテルまでお送りいただいた。無事ついたというメールを打とうとガラ携を探した。ない!タブレットにはアドレスがほとんどないので、電話もできない。ああ、料亭に忘れたのだ。さて、料亭の電話番号は?幸いタブレットで検索ができた。おそらく、パンツの後ろのポケットに入れておいたのが落ちて座布団の下あたりに入ってしまったのだろう。「すみません、こちらが気が付きませんで。ご心配でしたでしょう。今からタクシーを呼んでお届けしますので、10分くらいお待ちください」というお返事。また、余分なミスをしてしまった。落ち込んでホテルの玄関でタクシーを待った。

大事なガラ携はタクシーに乗って帰ってきた。運転手さんに大体の往復分の料金をお支払いしようとすると、「もう、あちらで頂きましたので」と言われてしまった・・・。料亭の女将の娘さんの計らいだ。部屋でもなかなかのおもてなしをしてくださった。チャーミングなお嬢さんだった。

急いで部屋に戻り届いた旨のお礼の電話をした。こちらが気が付きませんで としか言わない。学ぶことがたくさんあったご招待だった。また、あの風情のあるお部屋でこんどは鍋でも囲めればいいなぁ と思った。

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喜びのうらには

2020-08-23 21:30:54 | 日記

深い喜びの裏には深い悲しみがへばりついている。背中合わせのしあわせとはよく言ったものだ。生きていてよかったともうことは、もう死んでもいいのだ と思えることかもしれない。好きではなかったが、渡辺淳一の「失楽園」はそういう話だろう。最高の快楽のまま死にたいという。それは精神も同じかもしれない。そこまでひとをあいせたら・・・。

山陽新幹線で九州まで移動した。いままで広島までしか新幹線では行っていない。九州は飛行機だった。降りたわけでもなく、ただその景色を見ただけだが、これから行ってみたい風景がたくさんあった。この湖北ですらまだたくさんあるのに・・・。やはり年を取りすぎていた。すべてにおいて遅い気がする。

荷物を整理して、最低限の空間で家賃も最低限に抑えて、旅に出ようか。芭蕉ならすべて処分して旅に出るだろうが。そんな気持ちになった。

生きるということは死ぬことおなじだ という言葉がさらにわかる気がした。

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抱きしめるしかないときもある 

2020-08-21 20:46:30 | 日記

夕方出かけて、帰路につく頃、久しぶりに眉月を見た。眉月でも満月でもよくメールしたものだ。「今日は眉月が見えます」と。離れていても同じ月を見ているという、そんなロマンチックな想いだった。今は、ああ月に気が付いたかな?で済んでいる。

昨年の今日のブログは「君が袖振る」だった。同じ間違いは2度はするらしく酔芙蓉の花を夕方撮りに出かけている。「風の盆恋歌」も「君が袖振る」も許されぬ恋の話だ。「君が袖振る」には、大人の遊び心がある。

SNSの影響か「許容」範囲の狭い世の中になった気がする。いつから日本人は生真面目になったのだろうか。というよりも人を裁いたり、罰したりするのが好きになったらしい。「家庭ある人とバーに行くなんて、そもそも不真面目だ」という意見があった。はぁー、不真面目ですか?それはえらい(大変な)ことですね!人生には何回か夫以外の人に相談したいようなことも起こる。その時に食事をしてバーに行くこともあるだろう。

人生なんてまちがいだらけなものだ と思うことがある。旧約聖書など読んでいたらいやになるくらいだ。「汝、姦淫するなかれ」というくらいだから、間違いは多いのだ。バーに行くとどんな間違いがあるのだろうか?そんなことを言う人のほうがおかしいのでは?「大丈夫だよ、心配しなくても。心配するほうがおかしいほうに行く。」なんて大人の対応をしてくれる男性が減ったのか。これを慰めるには抱きしめてやるしかない なんて覚悟ができる大人の男が減ったのか。

そう、それじゃ、あなたは人助けできたのね なんて言える(少し悔しくても)いえる女も減ったのだろう。

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捨てられない過去の栄光??

2020-08-20 20:30:40 | 日記

家のなかどこへいっても暑い。(そんなに広いわけではないが)それでも、食慾もあるし、だるくもない。今年は身体が楽だ。去年は実家の売却とNPOの取材も多く、家にいられなかった。今年は、家で過ごせるので楽なのだろう。ストレスも少ない。おボケと口うるさいのは、年齢なりに進化??している。でも、こころはやさしい と思う。いくら不条理でも許していくようにしている。

この不条理は、過去の栄光に生きている男性から受けることが多い。「なにさま だとお思いなのでしょうか?」と言ってみたくなる。(が言わない)20年も、30年もまえの自慢話が何になるのだろうか。勲章が欲しいのでしょうか。私は世間にうとかったのか、渡哲也さんが受勲されているのを知らなかった。知っているのは、被災地で焼きそばを焼く姿だ。なん年か前にある人は海外にいった。どうもなにか賞をもらったらしいことをあとで知った。どうやら偉い人らしいが・・・。私の友人は冷たく言う。「それでそれがどうなの?」と男性の自慢話をあっさりとうっちゃる。「○○のKですけど・・」といわれると「Kですけどでわかりますので」と。(○○は会社名)

いつまでその地位を確保していたいのだろうか?平均寿命からあなたの年齢をお引きになりましたか?最後までそれが楽しみなのですね。それしかないのでしょうか。などとおばさんは意地が悪い。謙虚にある職を25年近くされた方が退任された。それ以上はお話にならず、狭い庭で(実は広い)野菜作りと雨が降れば「雨読」ですと。

地位を楽しむ人より、人生そのものを楽しむ人がいい。なかなかそういう男性は少ないのかな。

海行きたくなった。

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