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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

風のように

2016-02-13 08:46:02 | 日記
 春4月のような暖かさ。なにか季節がわからくなります。そんな日に「風のように」というタイトルのメールが届きました。尊敬するA先生から。簡単に「知り合い」などといえない偉い先生なのですが・・・。10年以上前に仕事の関係でお会いしてからのお付き合いです。今年76歳になられるという。お会いした頃は、お身体がご不自由で東京に来られる時は奥さまがご一緒でした。それでもその頃リハビリにとスキーを始められていました。

 「風のように」・・・先生は風のように自由にどこへでも吹いていって、好きな研究をされています。型にはまらない自由な研究者です。昔頂いた麦わら帽子をかぶって釣竿をもった先生の写真。田舎の小父さん風情がなんともユーモアでした。

 調度同じ時期に、FBで「鷹」の動画がシェアされていました。どこまで真実かわからないというコメントが付いていましたが、鷹の寿命は長く70年とか。40年も生きると鷹は2つの選択を迫られるといいます。1つはそのまま老いて飛ぶ力もなくなり死んでいく。1つは、力をふり絞り山の頂でくちばしを爪を羽毛を自らそぎ落とし新しいくちばし、爪、羽毛を再生させてあらたに飛び立つ というものです。もちろんその選択には身を削るわけですから、苦しみが伴います。

 妙にこの2つのことが心に引っ掛かっていました。自由に飛び続けるために身を削っても再生して生きるか、そのまま静かに老いていくのか。

 どちらも勇気がでるメッセージでした。

 
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東風吹かば

2016-02-10 22:49:21 | 日記
 「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」 この時期になると思いだす和歌です。「な・そ」が禁止の係り結び などと色気のないことを学んだものです。植物は季節を忘れない。

 認知症の母をみていると、記憶がいかに学習に(知識に)なくてはならないか ということを感じます。人がいない時には「ガスを使わない」ということをケアマネさんが散々説明して、注意事項として母に紙に書いてもらい(3枚)台所に貼りました。その30分後、私が買いものに出たすきに、私のやりかけのママレードを煮ていました。いけないと思いながらも、さすがに声を荒らげました。その紙を何故書いたのかも、自分がガスを使ってはいけないともわからなくなり、一時は落ち込んで泣いていてのですが、夕食を食べ終わるとその紙を剥がしだしました。5分と維持できない記憶では「学習」ができないのですね。記憶がないということがどんなことなのか、それはただその瞬間を生きているだけで、何も残らない・・・・。今の会話も3分も経てば何も残らない・・・。切ない限りです。でも、どうも感情だけは残るらしい。帰る時はさびしそうになる。それがまた、切ない。

 腰が痛むのでグリーン車で帰ました。このまま旅に出たくなりました。

 
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 覚 悟

2016-02-08 22:26:08 | 日記
 なにか不思議なことが続く2月。仕事は暇になったけど、仕事を理由にさぼっていたことが一気に押し寄せてきた。でも、昨年の今頃は、毎日腰が痛く、コルセットをつけていた。骨が崩れるのではないか(もううまく着いているというのに)心配だった。それを思うとうそのようだ。腰の痛みがない日もあるし、痛くなれば治してもらえるという安心感もある。しあわせだと思う。

 FBで占いをした。もちろん半分はお遊びだが、私の性格は欲しいものを手に入れるタイプ、手に入れ方を知っている・・。とあった。確かに私は欲しいものは手に入れてきた気がする。金銭ではないが、それこそ宝ものだ。でも、それには覚悟があった。手に入れるための覚悟が。物事は一つ捨てなくては、次の一つは手に入らないようにできていると思う。言えることはそんなことで、何も捨てもしないで大きなことを言っているのは好きではない。捨てる怖さを知らなければ、得る喜びもわからない。地位も捨てずに、泥棒猫のようなことをするのははずるいとしか言えない。どうも最近、地位を利用して、うまくやろうというのが見え隠れする。およしなさい、中途半端な覚悟では、失うだけで得るものはないと おばさんは思う。手に入れてもそれは本物ではないのでは?

 

 
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悪女になるなら

2016-02-07 11:10:46 | 日記
 自分のために1日使える日。洗濯、部屋の掃除、買い物、料理・・・・。そんな日常がたまらなくうれしい。それと同時にカメラを持って、素人取材に出かける日も楽しい。どちらも私なのだ。

 一生懸命、主婦業と仕事をしていた日々。夢中で働いていた。休んでいるのは眠っているときくらいだった。これは、何かをしていないと、嫌われる(認めてもらえない)という恐怖観念だった気もする。成育過程の心のひずみのようにも思う。自己満足のいい妻だった。

 心の奥に悪魔が棲んでいた。それが私の本質のように思える。「悪女になるなら、月夜はおよしよ、素直になりすぎる・・」だったかな。中島みゆきの「悪女」の歌詞。世の中には「まさか」ということが起こる。「まさか」に蓋をする能力不足なのだろう。いや、蓋をして、蓋をして、最後に力尽きたのだろう。

 サマリヤの女(聖書に出てくる女性)のように「あなたの罪は許された」と洗礼を受けた。悪魔はまだ私の心に棲んでいるようだ。ただ、うまく付き合うようになった。蓋などしないことだと 思った。そして、月夜に堂々と素直になることだと。ただ、神以外に告白することなく、そっとそっと「行かないで」とつぶやくことだろう。

 だから、日曜日、夫と買い物や散歩に出かけるというような幸せな日常を捨てて一人掃除に黙々と励む?のだろう。


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春立つ日に思う 男の弱さ

2016-02-05 00:11:57 | 日記
 梅の花が咲き出している。沈む太陽が大きく真っ赤だった。認知症の母の通院の日。車窓から見える太陽に感動していた。

 風邪を拗らせたのか、どうも体調がよくない。TVのトップニュースで清原の逮捕のニュースが流れていた。NHKが覚せい剤使用の疑惑後の清原とのインタビューを流していた。「現役を退いて、毎日何をしていいのかわからなかった」「離婚後、二人の子供とも会えなくなり、さびしくて仕方なかった」というような話だった。球界のヒーローと呼ばれた男のさびしさなのか、一人の男のさびしさなのか?あえて彼をかばう気はないが、男は弱い者なのだ。離婚が1年間は酒浸りだった という男の話はざらにある。女は1年間は酒には浸らないだろう。ギャンブルにのめり込むこともあるし、誰もが辛い時には逃げ道を探すものだ。それがうまく抜けられればいいのだが・・・。

 どうやって私は抜け出たのだろうか?同じような辛さをもった人に出会ったからかもしれない。2度と這いあがれないような深い碧い海の底を見た者が知る深い深い悲しみを持った人にあったからかもしれない。春立つ日に、暗いなぁ。

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