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ドラゴンボールは本当にフリーザ編で終わるべきだったかのか問題

2015-06-23 14:58:44 | ドラゴンボール

7月5日より放送!「ドラゴンボール超」



もうすぐですね、高まりますね( ゜∀゜)

魔人ブウとの闘いのあとの空白の10年間。
ということは、

・悟天、トランクスは小さいまま
・悟飯とビーデルの結婚描かれる?
・ウーブ、パンはまだ登場しない


ってあたりでいいんでしょうか。

でもちょっと不安なのでいろいろと復習してます。




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ドラゴンボールは本当にフリーザ編で終わるべきだったかのか問題


結論から言うと反対派です。
GT、少なくとも魔人ブウ編までは続けてよかったと思います。




というのもこの記事ですね、ちょっと前のものだけど。

ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」

『ドラゴンボール』といえば、テレビアニメのタイトルに途中から「Z」がついていたが、これは単なる思いつきのリニューアルではない。理由は、"タイトルを変更して新番組という体裁にすると宣伝費が豊富に使えるから"。う~ん、けっこう腹黒い。ちなみに「Z」というのは鳥山自身の提案で、「この次はない」という意味だったという。

 このように番組では、非常に興味深い話が鳥嶋氏の口から語られたのだが、しかし、『ドラゴンボール』ファンにとって最も衝撃的なのは、やはり冒頭で少し触れた"引き伸ばし問題"のくだりだろう。

ケンコバ「どんどん『ドラゴンボール』すごくなっていったじゃないですか。国民的アニメ、国民的マンガになっていって。それをちょっと離れたところから見て、何か感じることはありました?」

鳥嶋「うーん......どこでやめればいいのかなー(ということ)......」

ケンコバ「フィナーレのやり方が難しい、と。…どのへんがベストだよなー、みたいな考えはあったんですか?」

鳥嶋「やっぱりフリーザ編で締めておくべきだったでしょうね」

 そう、ドラゴンボールの初代担当編集が直々に"引き伸ばし"を認めたのである。しかも、フリーザ編終了後の展開で悪役となるのはドクターゲロや人造人間18号だが、それを見た鳥嶋氏は「ジジイとか女と闘うくらいだったら、もうやめたほうがいい」とまで思ったそうだ。

 


マシリト博士こと、トリシマ編集長が語るドラゴンボール。

確かにフリーザ様は神がかってる。それは事実だとは思う。





今ちょうどTOKYO-MXでドラゴンボールZの再放送をしているので見ているのですが、やはりフリーザ様は衰えない。

それは事実なのだが、かといってセル編やブウ編、GTを切るのは心苦しい。





まずセル編。



確かにセルの影は薄い。

パラレルワールドの話や悟飯覚醒、感動のかめはめ波とか見所がいっぱいあるはずなのに、なぜか親玉のセルの影が薄いです。
フリーザやブウに比べて、ビジュアルにインパクトがないからでしょうか。
……蝉だもんな。

しかしながら、この3シーン。







個人的なドラゴンボール感動の名シーンっていったら、この3つになるわけです。
これが全部セル編です。


フリーザ編とブウ編にもベジータとかピッコロとかサタンとか感動シーンはありますが、
畳みかけるような連続性ではないですよね。

ヒューマンドラマ性はセル編が随一かもしれない。




次にブウ編は、悟飯主人公ではじまりつつも、途中から悟空に交代。
ブウもいろいろと吸収するわ、あっちこっちで合体するわ、誰がどの順で強いのかがよくわからない。

でもね、ベジータがアイデンティティを取り戻すにはブウ編は必要だったと思うの。



バビディ戦でプイプイを撃破したあと、あえてバビディの洗脳術にかかったベジータ。

ベジータの中にはずっと二面性、家族との生活を得て穏やかになっていく自分と、生まれついての戦士としての自分がいたわけですね。
その葛藤に悩みぬいて、ついに思いを断ち切るためにあえてバビディの洗脳を受け入れました。
ベジータが選んだのは、『戦士としての自分』でした。

そもそもサイヤ人編でベジータが悟空に敗れた時点で、ベジータは『悟空よりちょい下の仲間ライバル』くらいの立ち位置になってしまいました。
けれどもベジータをベジータたらしめているものは、戦士としての自分のはず。
穏やかな生活を送りつつも(そんなに穏やかじゃないけど)、ずっとアイデンティティへの葛藤を抱いていたんでしょうねえ……

そこでバビディの洗脳術の力を借りて、ベジータは自分を取り戻す。
改めてベジータの戦士としての誇りの高さ、さらにそれと並ぶ家族愛を知るわけです。

ベジータが人気あるのって多分このへんの描写があるからじゃないかな。





さて、問題のGTの話。



私の中でドラゴンボールGTは「悟空がいたから楽しかった」の略になっています。
というのもこの動画。

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/JKUziKo_ie8" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


7月からのドラゴンボール超に沸き立つTLの中、「GTのことは忘れてしまっても、GT最終話のことは忘れないでほしいなあ」と。
(もちろん悟飯のアルティメット設定も忘れないでほしい)

GTをリアルタイムで観ていた当時はベビーあたりからついてけなくなり
「ブウ編のほうが良かったな」
とよく思っていました。
上記の最終話も記憶はあやふや。

しかし歳月を経て改めて観てみると、GTの意味を改めて知ることになりました。

「悟空がいたから楽しかった」
それでいいじゃないか。

余談ですが「DAN DAN 心魅かれてく」は「CHA-LA HEAD-CHA-LA」の次くらいに好きです。





以上、ドラゴンボールは本当にフリーザ編で終わるべきだったかのか問題でした。



おまけ。



現在放送中、『ドラゴンボール改』(無印~Z編のデジタルリマスター版)のCM直前の絵がこれなんですが、めちゃくちゃかっこいいなあと。
こりゃあ超にも期待するぞぃ。


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