
夫の友人が亡くなった。
長い付き合いの友人で、結婚前も後も夫婦ぐるみで親しくしていた。
独身男性によくある自由奔放な食生活を送っているタイプだったのもあり、結婚が決まったときは夫も私も喜んだ。
私たち夫婦にとって、弟みたいな存在だった。
自宅での自死だったらしい。
今年の春先に体調を崩して会社を休んでいたが、復帰したとも聞いていた。
「暖かくなったら釣り行こうぜ」
夫と電話で話していた矢先の訃報だった。
混雑するバイパスを抜けて、首都高に飛び乗る。
道中の車内は、雨のせいもあってかいつもより静かだった。
都心に向かう道は少し混雑していたが、充分に流れてはいた。
「なんでそっち選んじゃったんだろうな」
聞こえるか聞こえないかの声量で夫は言う。
見たことのない横顔だった。
なんと声をかければいいかわからず黙っていた。
夫もそれ以上何も言わずに、車線変更を繰り返す。
連なる車の先に緑看板が並ぶ。
右、左とそれぞれが進むべき道を選んでいく。
雨に曇る東京の景色を眺めながら、ここが今までとは違う世界だと気づく。
私たちは自死という概念を知ってしまった。
透明で見えなかったけれど、その概念は友人の選んだ道として存在する。
人生いくつかの分岐点の選択肢のひとつとして存在してしまう。
それはとても恐ろしいことのようで、いやしかし救われることなのかもしれない。
正体不明の感情が喉の奥で絡まっている。
車は箱崎ジャンクションを越えて、両国ジャンクションへ向かう。
緑看板は矢継ぎ早に行き先を告げる。
分岐で選ぶ道のその先に何が待っているのか。
友人は、分岐点で何を思いその道を選んだのか。
肌寒い雨の日になるとふと思い出す。
あの日の箱崎ジャンクションで抱いた感情の正体は一体なんだったのだろうかと。
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