恩田陸作品の「何が見事か」をいくつか考えてみました。
・オマージュ作品の存在。
・作品毎、作品同士の複雑なメタ構造。
・ジャンルの混在。
・ノスタルジー(過去が現在に与える波紋)
・秀逸な他人称他視点。
こんな手腕が揃いに揃って、恩田さんが描く小説に「実に見事な」世界観や心理描写なんかを体現させているのだと思います。
もうこれは見事だ、としか言いようがない。
その中でも特に見事なメタ構造が完成している『三月シリーズ』について。
関連リンク
・3分でわかる恩田陸作品の歩き方
・恩田陸『黒と茶の幻想』、『球形の季節』、『光の帝国』などなど
■ 恩田陸、3月シリーズについての考察。
わずか二百部しか作られず、それも後に回収が試みられてこの世に七十部しか存在しないという匿名作家の私家版『三月は深き紅の淵を』。
人に貸すならただ一人、それもたった一晩だけ。
奇妙な条件付きの〈幻の本〉をめぐる、四部構成の物語。
『三月は深き紅の淵を』には内側と外側が存在します。
まず、「外側」の『三月は深き紅の淵を』。
実際の章構成ですね。
1.待っている人々
2.出雲夜想曲
3.虹と雲と鳥と
4.回転木馬
次に、「内側」の『三月は深き紅の淵を』。
物語中で語られる作品の章構成となります。
1.黒と茶の幻想
2.冬の湖
3.アイネ・クライネ・ナハトム・ジーク
4.鳩笛
『三月』には内側と外側がある、というと少し混乱しそうですが。
基本的に外側に沿って読み進めていくと、『三月(内)』の謎が少しずつ明らかになるのであまり混乱はしません。
第1章『待っている人々』。
サラリーマンが『三月(内)』を探すべくお屋敷に招かれます。
ここでは『三月(内)』はまだ存在しません(執筆前)
第2章の『出雲夜想曲』。
ここでは、女性編集者2人が『三月(内)』の作者を捜し求め出雲にまで行く。
ほろ苦い結末を迎えるけれど、『三月(内)』は存在するという設定。
第3章『虹と雲と鳥と』。
恩田さんお得意の学園モノ。
美人異母姉妹の転落死を調べる家庭教師。
調査を経て奈緒子(家庭教師)が、『三月(内)』の執筆をはじめます。
ここまではいいんです。
次の第4章が曲者。
第4章『回転木馬』。
これは「作者」が今まさに『三月(内)』を書き始めようとするシーン。
「作者」は恩田さんそのものに見え、恩田さんの物語観が如実に語られているようにも思えます。
「作者」の雑念にサンドイッチされるように、『奇妙な学園小説』が描かれます。
各章の物語は独立した短編で、つながりは特にないのですが、共通のキーワードがあります。
それが「小泉八雲」。
一貫したキーワード。
謎の本『三月は深き紅の淵を』は存在するのか否か?
果たしてこの「作者」は誰なのか?
で、ここまでだと短編集です。
なのですが、この各短編を集めた『三月は深き紅の淵を(外)』が秀逸なメタ構造を作ってるのが、何より見物の一冊なんです。
『三月(外)』の第4章『回転木馬』
これ恩田さんを投影したであろう「作者」が今まさに『三月(内)』が描こうとし、そして最後には物語が描き始めている章と述べました。
その一番最後の部分がコレ。
森は生きている、というのは嘘だ。
いや、嘘というよりも、正しくない、と言うべきだろう。
森は死者でいっぱいだ。森を見た瞬間に押し寄せる何やらざわざわした感触は、死者たちの呟きなのだ。
(中略)
そう、これが四部作の幕開けを告げる第一部の始まり。
この第一部のタイトルを、デューク・エリントンの名曲から取ってこう名付けよう。「黒と茶の幻想」と。
さあ。
この書き出しは、どうだろう?
ここで『回転木馬』は終わりまして、『三月(外)』も終わります。
もちろん文中のデュークエリントンの楽曲から名付けられた「黒と茶の幻想」は、『三月(内)』に登場する『黒と茶の幻想』のことです。
だから「作者が今まさに書き始めようとしているシーン」というわけですね。
さらにいうと、2001年に講談社より刊行された『黒と茶の幻想』のこと。
『三月(外)』の第1章で語られる『三月(内)』の『黒と茶の幻想』のあらすじと、実際に刊行された『黒と茶の幻想』のあらすじは同じです。
(壮年の男女4人組が屋久島を歩きながら語る安楽椅子探偵)
ややこしい感じになってますが、これがなんとまあ不思議なもので。
小説の中の小説『三月は深き紅の淵を』が、現実に飛び出してきたような錯覚に陥ります。
第4章『回転木馬』の中で、サンドイッチされている奇妙な学園小説。
特に表題があるわけではないのですが、登場人物や舞台設定、起こる事件は全て、『麦の海に沈む果実』。
これが2000年に刊行のされた学園小説です。
主人公・理瀬が転入した全寮制の学校で起こる不思議な人々と不思議な事件が描かれます。
この『麦の海に沈む果実』の中に、登場する小説は『三月は深き紅の淵を』。
ここに登場する『三月(麦)』は、理瀬が学園に来る前に麗子という少女が残していった本なのですが。
麗子の失踪について調べているうちに、『三月』の真相も明らかになるという算段。
ちなみにここに登場する『三月』は、前述の内側とも外側とも全然違う内容になっています。
1作品と2作品のリンクだったら話は簡単なのですが。
そうもいかないからこそ「秀逸」なわけで。
1.『三月(内)』の『アイネ・クライネ・ナハトム・ジーク』には、『麦の海』の「黎二」と「聖」が登場する。
2.『黒と茶の幻想』中、利枝子と蒔生と三角関係を作った少女は「梶原憂理」。『麦の海』における理瀬のルームメイトと同じ名前。
3.この『黒と茶』で憂理は1人芝居「春の鐘」を演じるのだけれど、その内容は『麦の海』の麗子の生き様そのもの。
4.2人の「憂理」には共通点があり、『麦の海』では麗子への片思い、『黒と茶』では利枝子への片思いで、双方がなかなか屈折したレズビアンである。
(『黒と茶』ではその心情が蒔生との関係に深く関わってくる)
5.『三月(外)』の『出雲夜想曲』で隆子と朱音が酒を飲んでいるシーン、壁にかかっている銅板画「畏れ」。これは『禁じられた楽園』で登場する烏山響一の作品。
なお、『麦の海に沈む果実』はなかなか魅力的な登場人物も多く、前日談や後日談としての作品も多く出版されています。
・『睡蓮』(短編集『図書室の海』)…主人公・理瀬の小学生の頃の話。校長が驚きの恰好で出てくる。
・『黄昏の百合の骨』…舞台設定は『睡蓮』と同じ。理瀬の義兄2人も登場。
・『水晶の朝、翡翠の夜』…ヨハンが中心となり、校長、憂理が登場。
・『薔薇の中の蛇』…理瀬と黎二が登場。
シリーズ化、というわけではありません。
あくまで別個の物語。
この登場人物のだぶりについて。
恩田さんは、「必ずしも同じ人物とは限らない」という意味深なコメントをされています。
『三月は深き紅の淵を』もひとつの本ではないと。
結局『三月は深き紅の淵を』ってなんなんだろう?
っていう疑問は解けないままい終わります。
それがいい。
同名の本『三月は深き紅の淵を』は今実際に手元にあるけれど、これは果たしてどの『三月は深き紅の淵を』なのか。
『三月は深き紅の淵を』は本ではなく、感覚めいたものなのかもしれません。
作品全体の根底に流れる世界観。
これが判ったら頭を悩ませて活字を追うなんてことはないんだろう。
早くそのリラックスの境地に達したいような、まだ複雑なメタ構造やオマージュ世界に頭を悩ましていたいような。
初めて読んだのは10年以上前なのですが、何度読み返してもどれも違う味わいのある作品です。
今連載中の薔薇の中の蛇では、りせは20歳前後のように書かれていますが
れいじはどのように出てきていますか?
以来、4,5冊を読みました
たった今も三月の〜を読み終えたところ
黒と茶の幻想
実際に本になってるんですね
次読んでみよう
良い考察と彼女の小説の紹介
楽しみが増えました
ども