遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

やっぱり 興味深い

2020-10-22 12:52:38 | 日記

李舜臣を見ていると

織田信長 豊臣秀吉 出てくるが

その描き方や

イメージが自分のと違う

それが もちろん当時の朝鮮にとっては

侵略してくる敵だから というのもあるかもだけど

視線の違いが面白い

女真族なんかは まるで野蛮人という描き方だ

 

よく朝鮮は 恨の文化と言われるが

両班支配の 固定的な 階級支配というのもあり

近隣の国との関係の歴史の上で というのもあると思うが

 

そういう目線でもない描き方なので

へえ!? と思った

自分の国の中で いろいろあることに

気づかないできたことが

見えてくるというのもある

 

この今の事態で 日本だって まるで歴史の退化のような

支配階級の横暴にあきれ返る日々だが

過去にさかのぼってるとも思うし

そもそも 朝鮮と日本の関係も

いろいろ陰謀論もある

 

実際は ルーツは一緒じゃないかと思ったこともあったが

日本語の独自性みたいな話もあると

日本独自の 流れのほうが源流として深い気もするけど

実際 様々な歴史の段階で

沢山の人が 朝鮮半島からは 渡ってきた

前に住んでたところは

高麗というのだけど

平安時代に高句麗がほろびて沢山の人が渡ってきたという

こま という名の付く地名は そういう由来があると聞いたこともあるが

高麗は高麗神社もあるし

風景は 韓国ドラマに出てくる風景と似たところが

いろいろあった

 

 

然し 恨み骨髄 というようなことが多すぎる

 

 

 

 

 

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2 コメント

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Unknown (ukiuki)
2020-10-22 23:31:22
高句麗は元々、漢人が作った国だそうで、
今の満州辺りにいた朝鮮族(エベンギ族)が南下して、
高句麗を亡ぼしてしまったのです。
そのまま高句麗を乗っ取った形で、高句麗を名乗っていました。滅ぼされた高句麗人は、南下して倭人の小国家郡に居住して、高麗と言う国を作りました。
新羅と百済の間に挟まれたことで、上伽耶・伽耶が
倭国に亡命しした後にそこに定着します。
内乱が激しくなって、百済が滅んで、その頃に倭国に百済人と共に渡来しました。ヤマトの漢、河内の漢(あや)人と言われる人は、何波にもわたり渡来しています。漢字文化を日本にもたらしたました。飛鳥時代です。聖徳太子も高句麗の学者に仏教を学んだと言われます。
倭人が難民化して、倭国に渡来した後に、朝鮮族が南下して今の朝鮮が出来たのです。
一部残った倭人は、今の釜山辺りに定住します。
南部の朝鮮人は日本人と似ていると言われます。
日本人のルーツと、朝鮮人のルーツは全く異なります。いつか、詳しく書きたいと思います。
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師匠! (遊工房)
2020-10-23 05:25:02
ありがとう!
ハハハ
不確かな知識で誤字ったわ
高麗にかつて平安時代にきたのは高句麗の人たちだった
=日本人のルーツと、朝鮮人のルーツは全く異なります=
これが興味深いの
朝鮮語は知らないけど
言語に脈々と現れてるかもだけど
今やカタカナ語で日本語が破壊されそう

でも古くから交流もあり混血もありですよね
陰謀論では すごいことになってるし

ともかくいろいろな民族
仲良くできないのかよ
まるで小学生の喧嘩レベルが多くて
困るわね

寒くなるから 山里さんもお気をつけてね
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