筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

2022ヤマ褒め2 10番山笠 天神1丁目

2022-07-10 12:41:03 | 人形


10番山笠 天神1丁目 表 
「天神縁起傳」
人形師 中村 信喬

福岡の中心街「天神」(昭和30年代頃まではテンジンノチョウと言ってました)の由来
天神様となった菅原道真公の生い立ちから大宰府で過ごした晩年2年間の話。
スポンサーの西日本新聞さんがこのヤマを太宰府の九博に展示するのを見込んでの標題か。
雲、花、松、岩瘤、波、波花等の背景の全ては昨年同様に印刷もので違和感がある。
番外の櫛田神社境内のヤマでは竹骨の旧来の岩瘤が使用されているところを見ると
信喬氏は中州と天神1丁目のヤマには確信的にこのプロッター出力の部材を使用している模様。
(参考;https://blog.goo.ne.jp/yuukodou/e/73c0d2cf8389dff685eb159cec54a1d5)
顔は木彫で道真公は太宰府天満宮前宮司にどことなく似て、ふくよかで若く表現される。
浄妙尼は眉丘が高いお爺さん顔で鬘がずれてしまっている。
下絵よりも水の流れが上から下へのつながりとして躍動的に表現される。



10番山笠 天神1丁目 見送り 
「清涼殿落雷」
人形師 白水 英章

道真公死後の都での神罰の場面。
顔は使いまわしでなくこのヤマのために制作された顔で
能ものが得意な白水家の特徴を出し
右下の藤原清貫は能面の尉面風に表現される。
東流や博多駅のヤマ同様に上位には小さな衣装人形が舞台に乗せられ表現される。
天神と雷神の乗る雲は暗雲でスチロール板の切り出しで細かく造形される。
全体の印象として屋形も多く余白が少なくやや下に詰まりすぎの感があるが、
人形も背景も精緻で丁寧で見ごたえのある仕上がり。

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