ウェスリー商会(紳士服)とパパサン理髪店
ニューヨーク・フラワーショップの道を挟んで基地寄りの西隣にあった店舗
平入り2階建ての和式建築の1階を2店舗で分けていた。
テーラーもバーバーもほぼガラス面で構成された店先だった。
ウェスリー商会の看板には
The Wesley Co,Ltd.
hongukong japan
Itazuke Annex Branch
とあり、中国系の服の仕立て屋だったことがわかる。
昭和50年代(1979年)にはテーラー古賀となっていたが看板はウェスリーのままだった。
西隣のパパサン理髪店の看板には
Pap-San Barber Shop
とあり、昭和50年代(1979年)も理髪店として営業していた(1983年で廃業か)。
1962年善隣地図典拠の一部資料には「PAO-SANパブ」とあるが、パブだったのかは不明。
基地の兵士の数は朝鮮戦争のあった1950年過ぎをピークに
ベトナム戦争が激化する1960年代には減少した。
それに従って通りも多くの店舗が廃業したり入れ替わったりした。
インド系や中国系の商売人は機を看るに敏で、看板だけ残して次の土地に移るものが多かったという。
たしか1979年にはパパサン理髪店の道を挟んだ北側の角の空き店舗が改装され
大流行したインベーダー・ゲームのテーブルを並べた陰気な店となったが
1年ももたずにそれも廃業した。
ベース通りの移ろいを建物からトレースしてみた(了)。