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和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:88日目 申申如たり、夭夭如たり


申申(しんしん)如(じょ)たり、夭夭(ようよう)如たり


「子の燕居(えんきょ)するや、申申如たり、夭夭如たり。」


■その意味は?

『孔子(先生)のくつろいでおられるときの様子は、伸びやかであり、楽しげであった。』

(加地伸行全訳注「論語」より)

   

■感想

人は俗世のなかにあっては、常に修行である。それは文明が発達すればするほど、その険しさは増していくことになる。然るに、そんな険しい修行の合間であっても、気持ちを安らかにすることはとても重要なことである。

よって、修行ばかりでもダメ、また安らいでばかりでもダメ。

己というものよくよく知り、いま自分が優先してやらなければならないのは何であるのか、それは学びや仕事なのか、それとも安らぐことなのか、その見極めができることが大事であろうと思う。


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