申申(しんしん)如(じょ)たり、夭夭(ようよう)如たり
「子の燕居(えんきょ)するや、申申如たり、夭夭如たり。」
■その意味は?
『孔子(先生)のくつろいでおられるときの様子は、伸びやかであり、楽しげであった。』
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
人は俗世のなかにあっては、常に修行である。それは文明が発達すればするほど、その険しさは増していくことになる。然るに、そんな険しい修行の合間であっても、気持ちを安らかにすることはとても重要なことである。
よって、修行ばかりでもダメ、また安らいでばかりでもダメ。
己というものよくよく知り、いま自分が優先してやらなければならないのは何であるのか、それは学びや仕事なのか、それとも安らぐことなのか、その見極めができることが大事であろうと思う。