君子の徳は風なり
「季康子 政を孔子(先生)に問いて曰(い)わく、如(も)し無道を殺して、以て友道を就(な)さば、如何、と。孔子(先生) 対(こた)えて曰(のたま)わく、子 政を為すに、焉んぞ殺を用いん。子 善を欲すれば、民 善なり。、君子〔教養人〕の徳は風なり。小人〔知識人〕の徳は草なり。草 之に風を上(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す、と。」
■その意味は?
季康子が政治について孔子(先生)にこう尋ねた。
『もし〔見せしめのためも含めて〕無道な連中はみな殺しに〔するなど、きれいに始末〕してしまって、世の中の正しい規律を完成するというのはどうだろうか。』と。
孔子(先生)が答えられた。
『貴台〔季康子〕は、為政者でありますならば、〔たとい無道な連中とはいえ〕どうして殺すなどいたしますのか。貴台が良き生きかたと願われますならば、人々もそうなりまする。為政者の品位〔身分〕は風のようなもの、民衆の品位〔身分〕は草のようなものです。草に風が吹きますれば、草は必ず〔靡(なび)いて〕仆(たお)れます。』と。
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
日本の近代化以降、矛盾や対立〔闘争〕を煽る勢力が蔓延ってしまったことで、国家〔為政者〕と国民〔庶民〕との信頼関係が薄らいでいくこととなり、国家と国民がそれぞれ暴走するという社会に陥ってしまっていることを知り、とても「死刑廃止だ!」と声高々に叫ぶこともできない。
願わくば、死刑といったものもない世が成就されてほしい・・・。