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和貴の『 以 和 為 貴 』

【人権】 『闘争』を生み出す根本的な要因

「老害」が蔓延する日本社会に堂々とNOを突きつけはじめた若者たち
3/11(木)

当たり前のように、年功序列制度が根強く残る日本。しかし、世界に目を向けてみると、無条件に「年上がエラい」というのは、不思議な風習に思われるようだ。 そんな年功序列社会にNOを突きつける若者たちが現れた。SNS上での若者たちの活動が日本社会を変えようとしている。米紙「ニューヨーク・タイムズ」が見た日本社会の変革の兆し。 

中略

日本の厳格な年功序列制度が崩れ去る可能性を見出し、喜ぶ人も多い。日本では、実力よりも勤続年数に応じて有利な仕事が割り当てられることがままある。最も有力な政治家や実業家が、70代や80代、さらには90代なんてこともざらにあるのだ。今回の署名活動は、そんな日本社会に息苦しさを感じる若者たちの声が、森氏退任へとつながったと言える。 「若者たちにとって、今回の件は背中を押してくれる出来事だったのではないでしょうか。私たちは、日本社会の不健全な状況を改善したいと思っています」と、能條桃子は語る。彼女は慶應義塾大学で経済学を専攻する22歳。15万人分もの署名を集めた運動の発起人3人のうちの1人でもある

森の発言の直後は、それでも彼は年長者として、会長の地位に居座り続けるだろうと思われていた。しかし、世論はそれを許さなかった。謝罪会見のなかで森は、人々の障害物や重荷となる老人を指す「老害」という言葉に言及した。つまり、国民が自身をどう思っているのか、森自身も自覚していたということだ。

以下略




【 所 感 】

で、その若者たちが小奴らの謂う "老害" とやらになったとき、次の若者を邪魔者扱いするんだろう、きっと。

記事中の森喜朗氏云々はともかくとして、私はかつて、従業員数100人ほどの中堅企業で若干22歳の若さで管理職に就き、自分の両親ほどの年配の人たちに対して、偉そうな言い回しで、「こんなことも出来ないんすか?」などと能書きを垂れてきた。その後は己自身の未熟さというものを強烈に味わうことになり、苦しみながらも反省をする日々を長年送ってきた。(正直、首を吊ったこともあるが…)

そして、そんな中から日本のこころというものを知り、論語の世界へと飛び込んでいった。


たしかに、仕事だけで考えれば、その能力はいつの世も若者が優っているし、中心となるべきは若者たちである。そしてこれは、日本に限ったことでもないし、また、先進国であれ、後進国であれ、どの国どの地域、全てで共通したことともいえるし、それが健全な若者としての役割でもあり、また務めともいえる。

では、年配の方々の役割、そして、務めとは何なのか、と尋ねられれば、こうである。

若者たちが役割・務めを果たすうえで、その行為を円滑に進めていけるような段取りや下準備をしてあげること、また、陰に隠れ(=隠居)ながらも若者たちの行為が道理・道義に反しないように、自らを律し、背中を見せてあげることである

しかしながら、これが最も難しい分野であり、先人たちはよく、「仕事するより段取りせよ」や、「縁の下の力持ち」などと云い、そして、これらの意味することは、「表に見えてこないものほど大切にしなさい」ということであり、つまりは、目には見えぬもの、すなわちこころ感性(自他共に)を大切にせよとのことなのだ。



話しは変わって、かつて、この日本にも、現在の若者のように年配者を否定していた時期もあった。それが、戦後すぐに生まれた若者たちであり、俗にいうところのいわゆる『団塊世代』であるが、いまこうして考えると、現在の若者と段階世代とは非常に似ている面もある。

敗戦後というキーワードも、バブル崩壊というキーワードも、規模や内容は全くといって異なるものではあっても、貧しくなった日本社会(=前者は物質的貧しさ、後者は心理的貧しさ)からのスタートという点では非常に似ているわけで、生まれる前の世代や時代を悉く否定し、罪を憎まずその時代に生きた人々や歴史すべてを憎む点では全くといって同じ頭脳回路だ(団塊世代は〔だった、と過去形〕)。


社会人(=成人)としての実績も経験も乏しいくせに、自分たちが一番正しいんだという自信過剰さと、それを悔い改めることのできない無責任さ…。

それこそがこの日本という国を悪くしている最大の要因だと考える。



足 る を 知 る

つまりは、若者も高齢者も互いに『分を弁える』ことで、無駄な争い(=闘争)に発展することもない。しかも、固い相互扶助の精神によって、この国はより心豊かな国へと生まれ変わっていくと信じているし、これからも信じたい。



「子 曰(のたま)わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。
民 鮮(すく)なしこと久し。」 


■その意味は?


孔子(先生)が言われた。
『中庸の徳というものは、完全で最高だ。
しかし一般の人の間に行われなくなってから久しいな。』


(「論語」一日一言より)


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コメント一覧

yusuke1012
kaminaribiko2さん、おはようございます。
そして、貴重なご意見、本当に有難う御座います。

私も現在、当ブログを通じながら父母と同じ世代の人たちから色んなものを学ばせていただいたりしています。さらには御年85歳の文字書きのできない叔父のお世話なんかもさせていただきながらですが、改めてその知恵や経験をさらに活かしていきたいなと思うところです。

そして、『人に歴史あり』『明日は我が身』など、先人たちが云い遺してくれた多くのものを大切にし、次の世代に伝えていきたいとも思うところですが、しかし、心なき者たちが、あらゆるメディアを通じながら、若者たちの心をさらに貧困化させていっており、なんとも手に負えぬ状況といったところでしょうか…。は~ぁ(ため息…)
kaminaribiko2、
森元首相のことは論外として、最近の若者の年配者を敬わない風潮はよくないことです。誰でも歳はとります。そのとき粗末にされたら、どんな気持ちになるでしょう。歳を取ると、確かに能力も体力も衰えます。それは今現在若い人も将来起こりうることです。しかし年取ることがよくないことばかりではありません。その歳まで生きてきた経験、知恵の蓄積があるからです。私は若者こそ今よりもっと年寄りを大事にして、その経験、知恵に学ぶべきだと考えています。
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