『国益』って何なの?
さて、テレビや新聞やネットといった多くの媒体でよく見かける(又は聞く)、『国益』という文言ではあるが、そもそも、『国益って何や?』という、政治や経済を知るうえで、最も初歩的であろうことを改めて考えてみようと思う。
まず、『国益』という意味を調べてみると、「国の利益」や「国家の利益」となるらしいが、これまで私自身が考えてきた、『国益』の意味とはかなり違うことに気づかされてしまった。
と同時に、道理で、多くの人々の暮らしがよくならないはずだし、又、世界中で争いが絶えないはずだと考えるに至った。
それは、多くの政治家や有識者や評論家などがいう『国益=国家の利益』の解釈では、全くと言って民主的ではないし、平和的でもない。
そもそもとして、「国益=国家の利益」なるものは、国家主義的であったり、また社会主義的であったりもするわけで、民主主義を掲げる国家ならば、「国益=国民の利益」と解釈すべきだと思うし、これまでの私は、そういう意味でこれまでを語ってきた。
まぁ有識者や評論家ごときは、なんとでも解釈すればよいことではあるが、選挙で選ばれた議員、また、公職に就く者というのは当然のこととして、「国民の利益に資する」を念頭におき、職務に臨まねばならないのである。
そして、「国益=国家の利益」というのは、世代や性別関係なく国民の多くが豊かさを享受できてこその産物であり、多くの国民が豊かさを享受できていないときは、当然のこととして「不景気」状態だと認識しなければならない。
「不景気」状態であれば、政界や経済界はそれを補うためにも国民所得の底上げをはからなければならないし、減税はもちろんのこと、強いては議員や公務員の給与のカットなども視野に入れた対策を講じていかなければならないのである。
しかしながら、多くの政治家や公職者はそうだとは考えておらず、「国益=国家の利益」のためならば、どのような手段を講じてもいいというのが、昭和後期から平成の世で確立してしまったようにも思えるのである。
昨今、『政治家ではなく、政治屋が国や地方を動かしている…』などと囁く人が増えたのも、こうしたことが理由だったんだなと改めて気付かされるわけだ。
さらにいえば、政治屋というのは「国家の利益=国益」ばかり求めるものだから、貿易黒字化や財政黒字化を目指してしまう傾向にある。
たしかに黒字というのは、我々一般国民の目からしても、素晴らしいことのように思えるが、そもそもとして貿易とは、国と国とが公平公正な取引きをすることが大前提であり、単に、黒字だ!赤字だ!ではないのである。
そして、黒字ばかりに目が眩んでしまうと、両国間には摩擦が生じてしまい、やがては争いの元ともなりかねない。(=貿易摩擦)
また、財政においていえば、自国で通貨発行ができる国家で財政破綻はあり得ない(特に、「円」は先人たちのお陰で、世界トップクラスの信頼度)というのが私の考え方ではあるが…。(=MMt理論)
最後に、ひと言『国益』といってはみても、その捉え方ひとつで大きく内容も変化するのであるからして、このことは、国柄をも容易に変えてしまう危険性があるということをしっかりと頭におき、今後の成り行きを注目していきたい…。
高き屋に登りてみれば 煙立つ
民のかまどは にぎはひにけり