バンコク・ドバイ・沼で水上スキー ==日々雑感==

駐在先のバンコクで水上スキーサイトを整備。
ドバイでも水上スキーを続け、日本帰国後も沼にはまった。

第58回全日本水上スキー選手権大会スラローム優勝、トリック2位、ジャンプ6位、総合2位!

2012-09-19 01:12:10 | Waterski
1.9月17日金曜日、大会初日、スラローム競技予選。

出走を待つ桟橋の上は、これから出走する選手たちの緊張感が漂い、ピリピリとした空気が流れていました。
過度な緊張は滑りに悪影響を及ぼす。緊張とアドレナリンは異なっていると頭では理解しています。
でも、私がいる桟橋は、年に一度の全日本の桟橋。
昨年の全日本以来の鍛錬の結果が出るのです。
勝てば1年間の鍛錬は正しかった事になり、負ければ1年間が100%全否定されます。
勝てば官軍負ければ賊軍。この言葉の私の解釈は異なっているかもしれませんが、負ければ1年間が無駄になるわけです。そして全日本が終わった後の1年間も暗中模索の状態に陥るわけです。つまり全日本で滑るということは、これまでの1年、これからの1年がかかっているわけで、そんな中で緊張するなという方が無理でしょう。

少し過去を振り返ってみます。
2007年の全日本、スラローム決勝。ファーストパスでまさかの失敗。
2008年の全日本、スラローム予選。ファーストパスでまさかの失敗。当然決勝へは進めず。
2009年の全日本、スラローム公開練習。ファーストパスでまさかの失敗。

三回連続で失敗すれば、私の練習の全てを否定された気持ちになります。
2009年の全日本、スラローム予選。桟橋で出走を待つ私に、凄まじい緊張が襲いかかりました。
緊張で吐き気をもよおし、胃液が出てきます。涙も出てきます。
ここで失敗したら全日本に出場することを諦めようと考えていましたから、余計緊張しました。

私の順番が回って来ました。
「お願いします」とボートドライバー(審判)に告げ、ファーストパス開始。
わずか数十秒後、ファーストパスをクリアー。その瞬間、涙が出てきました。
そのあとは緊張がほぐれ、結果、予選2位通過。
決勝では「優勝できるかも」と思った瞬間、ガチガチに緊張してまたまた吐き気です。
1.5@13m/58kmと程々の結果を出し、予選1位通過の選手が1.5@14m/58km
勝ちが決まった瞬間、涙が出てきました。

2010年の全日本、スラローム予選。練習でも30%ぐらいの確率でしかクリアー出来なかった13mをクリアーし余裕の1位通過。
そして迎えた決勝。何故か途中で失敗し、4位。
上手くいかないものです。

2011年の全日本、スラローム予選。水面が荒れていたこともあり、自己ベストには遠く及ばぬものの予選1位通過。
そして決勝。練習では50%ぐらいの確率でクリアー出来るようになった13mをクリアー出来ず、2位。
この時は本当に悔しかった。
自分がかっこ悪くてしょうがなかったです。


そこで迎えた今年、2012年の全日本の桟橋。
そりゃあもう逃げ出したかった。
勝てば官軍負ければ賊軍。

しかし、今年の練習ではメンタル面を強化してきましたので、心地良い緊張に包まれました。
なぜなら私には、私にとって魔法とも言える、5つの言葉があったのです。

その1 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」
出来ないのはやってないからです。
全日本で勝てるんであれば、いや、勝つためには練習するしか無いんです。
成さぬは人の為さぬなりけりですから。
この1年間、体がボロボロになるほど練習しました。
会社員としての練習量は、日本一だったと自負しています。

その2 「努力を続けるのも才能」
そうです。前向きに解釈すれば、全日本に出場して優勝を目指し続ける事も才能の一つです。
15年間15回連続で出場し続けること、それはひとつの才能?です。
ウォルト・ディズニーも言っていました。
「追い求め続ける勇気があるならば、夢はかならず叶う」

その3 「練習は試合のようにやれ。試合は練習のようにやれ。」
これが一番難しい。
練習を試合のようにやることは可能です。
試合で取らなくてはいけない想定目標を立てて、それに向けて毎朝試合形式で練習するのです。
試合のつもりで臨みますので、緊張して緊張して、気持ち悪くなるんです。
本当に毎朝出走前は吐きそうになって、涙が出ながら出走です。
水上スキーがこんなにも嫌でつまらないと思ったことはありませんでした。

実は過去何年にも渡り間違えたことをしていました。
「練習は試合のようにやれ。試合も試合のようにやれ。」
意味無いですね。
試合を練習のようにやるから練習の意味があるのに、無駄に緊張して試合でボロボロ。

その4 「自分を信じて」
今までやってきた自分の練習を信じて!と皆が応援していると暗示をかけ

その5 「自分を信じる」
自分に暗示をかけて、自分を信じる。
自信とはちょっとニュアンスが異なり、自己暗示に近いBelieve my selfです。


さあ、出走です。
18.25m/58kmでスタートです。
多くの選手が16m/58kmからスタートする中、ウォーミングアップを兼ねて18.25mからスタートします。
18.25mで6回ターンして6ブイ全てを確実に取り、難なくクリアー。

16m/58kmに進みます。
16mでは危うく転びそうになります。2ブイから3ブイにかけてカット中に何故かバランスを崩して、片手になってしまいました。此処は自分でもよく覚えているのですが、ものすごく冷静にブイまでスキーを流し、ブイをギリギリで取ってから力強くカット。4ブイでリカバリーして、5ブイ、6ブイを取りクリアー。

14mは18mや16mとは練習量が違います。何ら不安なくクリアー。

そして勝負の13m/58km。
最近の練習では相当の強風・追い風でも13mはクリアー出来ますので問題ないのですが、やはり全日本、スキーサイトの環境、水質、ボートも異なるので妙に緊張します。
でも、練習のように自分を信じて滑ってみれば、難なくクリアー。安定していました。
13mを大会でクリアーしたのは今回で2回目。やはり嬉しいですね。涙が溢れてきます。

13mイメージ(タイでの練習時に撮影)


そして12m/58km。
ボートの中心からブイまでの距離は11.5m。12mですと50cmしか余裕がありません。
振り子をイメージして頂くと想像がつくかと思うのですが、振り子も左右45度ぐらいで振れている限りは安定して振れてくれます。これを左右90度まで振ろうとすると、振り子の糸がたるんだりします。
12mのロープはまさにこのイメージで、ボートのほぼ真横まで出ていきますので、ターン中はボートからのロープテンションを感じることは殆どありません。よってバランス勝負。
ターン後半で必ずボートからテンションが戻ってくることを信じて、ゆっくりターンします。
ターンしてほぼ倒れかけた瞬間に、ロープテンションが戻ってきます。
これで1ブイ、2ブイと取って行きました。
2ブイではロープテンションが来るのが少し遅かった気がします。
結果、スキーに角度がつきすぎて、急加速をしてしまいました。その為、ボートの真後ろで船に引きづられてしまい前回り一回転して転倒。
得点は自己ベストとタイ記録の2@12m/58kmとなりました。

12mイメージ(タイでの練習時に撮影)


実は2010年と2011年のスラロームチャンピオンは羽釜選手、昨年大学を卒業したばかりの若手です。
今年も抜群のセンスで2@12m/58kmの得点を叩き出し、私と同点で予選を通過しました。
決勝勝負です。


(写真はタイでのスラローム連続写真です。)



2.9月17日金曜日、大会初日、トリック競技予選。

私はトリック競技が嫌いです。スピード感は無いし、新しい技を修得するまでは沢山転ばなければいけません。
でも、今年は総合成績のためにまじめにトリックに取り組みました。執拗に練習したと表現したほうが正確かもしれません。「成さぬは人の為さぬなりけり」ですから。

その執拗なる練習の結果、全日本の予選では往路復路共に完走し、数年来見せていなかった大きなガッツポーズを出すことが出来ました。この激しく大きいガッツポーズと大声で、後から滑る羽釜選手にプレッシャーを与える作戦です。
その後出走した羽釜選手は、往路復路とも最後の技で転倒してしまいガッツポーズを出すこと無く競技を終えました。これは私の心理戦の効果でしょうか。
とは言え、先日のアジア選手権でも5000点以上を記録する高度なプログラムを組んでいますので、転倒しても4240点を叩きだし、私の3520点を上回ってきました。ちなみに三位は、地元耶馬渓アクアパークの中村選手で、3280点でした。


3.9月18日土曜日、大会2日目、ジャンプ競技予選

雨です。風も吹いています。台風の影響が如実に現れました。


ジャンプを飛ぶには最悪のコンディションです。
実はこの時点で決勝が出来ない可能性が見えてきました。
もし決勝が行えないとすれば、この予選の結果で種目別順位も総合成績も決まります。
これには困りました。
私のジャンプ練習回数が非常に限られていたので、予選だけで良い成績を残すのは困難だったからです。

ジャンプ台がないタイではジャンプの練習ができません。
勿論、ジャンプ台なしでカッティングの練習を行い、ジャンプ台まで良い姿勢で加速する練習は行って来ました。
しかし、ジャンプ台を通過しなければランプワーク(踏み切り)と空中姿勢、着水の練習が出来ません。

ジャンプは3回飛ぶことが出来、その最長飛距離が得点になります。飛形点はありません。
飛距離を伸ばすためにはダブルカットが必要です。ダブルカットはジャンプ台から200m程手前の地点でボートの左側に大きく張り出し、振り子の勢いをつけてボート右側に更に大きく張り出します。ボート右側一杯からボート左側にあるジャンプ台に向けて振り子の勢いで思いっきり加速してジャンプ台に侵入し飛びます。

このダブルカットは飛距離が伸びる一方で、ジャンプ台に入るタイミング合わせが非常に難しくなります。
予選一本目は確実にジャンプを行い記録を残すためにも、スリークォーターカット(ボートの右側に軽く張りだして左側に振り子で勢いをつける方法)でジャンプする計画でした。
スリークォーターカットであれば1本目から確実にそこそこの飛距離を飛んで、2本目・3本目のダブルカットに繋げられます。予選通過ラインの記録さえ確保すれば、決勝でこの続きの4~6本目を全てダブルカットで飛ぶことができ、飛距離を伸ばすことが可能になります。

しかし台風の影響で決勝が行えない可能性が高くなってきたので、予選で勝負を掛ける必要が出てきました。
急遽3本ともダブルカットでジャンプをしました。
1本目38.1m 想定通り。
2本目41.1m 想定通り。
3本目41.0m ここで勝負をかけて44m程度を狙っていたのですが、タイミングを合わせきれず41m。

2本目の41.1mが記録され、ジャンプ6位となりました。


4.9月19日月曜日、大会3日目、スラローム・トリック・ジャンプ決勝

決勝の日を迎えました。
台風は通過したものの、物凄い風が吹いています。
12時頃まで決勝を実施する可能性があったものの、結局天候が回復せず決勝は中止。予選の成績で順位を決定することになりました。
予選スラロームとトリックで好成績を叩き出していた為、ジャンプが6位でも総合2位は確定。

実はこの天候で泣いた選手はたくさんいるはずです。
予選で結果を出せずに、決勝で勝負を掛けたかった選手です。
そこは15年間の経験値が物をいいます。
決勝が台風で実施されない可能性を見極め、予選で勝負してきた私の計算勝ちです。

5.表彰式

「トリック2位、東京都連盟、野沢選手!」表彰台に登ります。


「スラローム優勝、タイ、野沢選手!」 タイ?都道府県じゃないの?笑いが溢れます。


「総合2位、タイ、野沢選手!」中津市長が怪訝な顔をされます。


「タイ人ではありません、駐在でタイにいるんです。」
私、色黒ですから。


タイに駐在して5年半。その間沢山の方にお世話になりました。
今年、自己ベストタイの記録でスラローム優勝出来たことは、言葉で表現出来ないほど嬉しかったです。
ここまで何年にも渡り、私の練習を支えてくれた皆様、この場をお借りして御礼申し上げます。

Special thanks to: TE wake n' ski, Reflex, Isuzu Motors Limited, TPC, Grappa, Yabakei Aqua park, Geoff, Jm, Laurent, Arthur, Tony, Cartoon, Don, June, Masa, my friends, and my family.

平成24年9月19日 野沢祐介


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