こんばんは。
昨夜、2月1日の本番リリース後に本体担当者などの指摘事項を修正したプログラムを再度本番リリースしたのですが。
今朝、K部長から2点の指摘があって。
1件は、私の間違いで、メモリをクリアするタイミングの誤りが原因で対処しました。もう1件は、2月1日の本番リリース前の状態をキープしている環境で確認したところ、今回のリリース前からの事象で、対応はしないことに。
そして、今夜、もう一度本番リリースです。
現在の仕事は、4月1日からの「制度改正」の対応です。なので、少なくとも後2か月ほどは「即時対応」が続きます。
「何かバグが見つかることはあっても、即リカバリすること」に注力します。
と言いつつも、4月1日に向けて、まだまだやる事があるので気は抜けません。
頑張らねば。
【小学館編集者のコメント発表】
昨日、漫画『セクシー田中さん』の出版元である小学館が、原作者の芦原さんが亡くなってから数後に、社内に向けて「今回の件に関する経緯を、社外発信する予定はない」 と説明したとの報道があり、同じ漫画家など多数の方がその姿勢を批判しました。
小学館が「社外発信する予定がない」とした理由が「個人の遺志にそぐわな」ためとのことで、社内から厳しい声も上がったようです。
それで、今日発表されたのが、小学館の第一コミック局の編集者一同の声明文です。(デイリーやオリコンニュースなどに全文が掲載されています。)
ただ、私はこの「編集者のコメント」を読んでも、何も納得できませんでした。それは、芦原さんが何故自死を選ばなければならなくなったのかが全く分からないことです。
「いったい何があったのか」
「芦原さんはどう考え、発言し、小学館はどう対応したのか」
「ドラマの制作サイド(日テレのプロデューサー、脚本家など)に対して、小学館サイドは原作者の意向をちゃんと伝えたのか」
「逆に、ドラマ制作サイドの主張を原作者に飲み込ませようとしたりはしていないのか」
「本当に、原作者の側に立って動いていたのか。原作者を守ったのか」
など、どんどん疑問がわいてきました。
コメントでは原作者の絶対的な権利「著作財産権」と「著作者人格権」などの説明をしていますが、小学館の編集者側も、日テレ側も、「原作者が納得して許諾したものだ」という主張をしています。
今回のコメントには。
「ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様にはご意向が伝わっていた状況は事実かと思います。 」
「弊社からドラマ制作サイドに意向をお伝えし、原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です。 」
と書いているのですが。
今日のスポニチの記事で、ドラマ『セクシー田中さん』の脚本を手掛けた脚本家の相沢友子氏の記事がありました。
相沢氏は、「セクシー田中さん」の9話と10話の脚本については、原作者のたっての希望で原作者自身が書くことになり、サポートに回った」という様な内容のコメントを出していました。
ただ、原作者の芦原氏は、1月26日に更新した自身のXで、脚本をめぐり局側と折り合いがつかず、自らが9、10話の脚本を書くことになったとして視聴者に向けて謝罪。当初提示していた「漫画に忠実に描く」などの条件が反故になっていたと明かしていました。(現在は削除されているとのこと)
相沢氏は、8日のコメントで、「芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」と、芦原さんが投稿した映像化の経緯について触れ、「いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。そして今もなお混乱の中にいます」と、率直な思いを記しました。
この時点で、原作者と制作サイドの脚本家との間での意思疎通はなかったと開示られます。ただ、その中には原作者代理人の小学館が居て、制作サイドの日本テレビが居る訳です。
そうして、こんな相違が起きてしまったのか。原因は?
小学館のコメントで、原作者の権利を説明する部分が長々と書かれていましたが、それは、小学館が原作者の「権利」を守ることができなかった。守らなかったから説明している訳?
私の想像ですが。
原作者の芦原さんは、あまり自分の主張を強く言えなかった方なのではないかと思います。ただ、そこを知ってサポートし、代弁するのが小学館側の役割のはずですが。
何が、一人の漫画家を「死」に向かわせたのか。
それぞれの立場で、原因となるものを明確にし、一つ一つに対策を講じなければ、「再発防止」にはつながらないのでは。
そうでなければ、原作者は出版社や、テレビ局や映画会社などに、自分の大事な作品を安心して預けることもできないのではないでしょうか。
今回の小学館編集者のコメントは、その中でも書かれているように、相当言葉を選んだようです。熟考を重ねたようです。でも、そのために肝心な「何故」の「答え」になる部分が表に出ていないような。
なんだか、もやもやしています。
私だけでしょうか。
では、また。
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