今回は”初めから違っていた”で書いたことの続きになるかしら。
>なぜ皇太子夫妻に対して疑問を感じるのか…からスタートした記事ね。
ここからは花子の想像です!想像ですからね~。
雅子様の裏に見える父親の小和田恒氏、勝つことだけにこだわってきたんじゃないかと思う。
(負け組、勝ち組って表現の仕方が流行ったことがあったわね。)
そこにはもしかしたら出自の問題も…あったのかも。
そして自分の娘が皇太子妃となり、親王を産んだら…天皇の祖父だ。
その野心、野望を現実にするために雅子さんにあらゆる手を使って、箔をつけた。
箔を付けてもらった娘は勘違いをする、出来る女だと。
勝ち負けにこだわって生きてきた父親の影響で、自分もまた勝ち負けに拘る性格になっていた。
外務省に入省し車通勤をする等、特別扱いには慣れていた。
しかし、勉強やブランド(学校名、職場等)に拘る余り、肝心なスキルは身に着けることができなかった。
それは、コミュニケーション能力ではなかろうかいな。
伝達手段が乏しいために、他者との交流が出来ない、あるいは苦手。
そもそもあの日本語では何を言わんとしているのか…ひじょ~~~~に分かり難い。
また趣味もこれといってなさそうなので、挨拶程度で会話が途切れてしまうのではないかな。
文化的なことでも知っていれば、そこから話の糸口が見つかるってことがあるよね。
これは外国の方とお会いする場合にもいえることだわ。
そういったことが出来ないと、例え何ヵ国語か話せたとしても会話が続かないわよ。
そんなこともあり園遊会には出られないのかもww( ̄σー ̄) ココダケノ話www
更に、プライドが高く自分からは歩み寄れない。
歩み寄れない自分に気が付かず”配慮がない!”と他者のせいにする。
助言は苦言にしか聞こえない!
アドバイスは馬鹿にしているようにしか聞こえない。
「何?アテクシを馬鹿にしてんの?あぁ~~~聞きたくない!」と耳を塞ぐ。|( ̄3 ̄)|キコエマシェーン!
社会に出て働いていると、プロセスより結果重視になることって、往々にしてあるよね。
そんな手順なんてどーでもいいのよ!早く結果を言いなさいよ!結果がすべてなのよ!みたいなw
でも手順って本当に大事で、そういったことをすっ飛ばしちゃうもんだから、
例えば献花の手順が頭に入っていなくてキョロキョロしちゃうとか、やたら視線が定まらないのはこのせいなんではないかとw
物事にはこういう理由で→こうなって→こうなるにはこういう理由があって→こうなるから→こういう結果ですってなるでしょ?
そうするにはそうするだけの理由があって、それが頭に入っていれば作法でもなんでも頭にスッと入りやすい。
もっといっちゃえば、視野が狭いのかもしれない。
自分の知っている世界がすべてだと思うから、吸収力がない。
逆に紀子様はっていうと、外で働いた経験がない。
テレビのない家庭に育ち、言葉でのコミュニケーションをとってきた。
帰国子女で日本語が下手、だから上手になろうと努力する。
プロセスを大事にする。
多岐にわたってより幅の広い人々とコミュニケーションを取ろうとする姿、例えばそれは手話であったり、絵本の翻訳であったり。
あらゆるところに飛び込んでいける方だと思う。
柔軟性があるというか、しなやかというのか。。。
キャリアウーマンという過大広告を背負って皇室入りをした雅子様は、あっけなく折れた(ポキッ)。
そんなポッキリ折れた雅子様を支えているのは…自身の”変”なプライドと父親の存在なのかも。
小和田恒氏もまだ生きている。
おとーたまの言うことがすべてだと思っているのなら…目覚めるチャンスは小和田氏が亡くなった時。
その機会を逃したら、次に気が付くチャンスは…寿命が尽きるその時かもしれない。。。
東宮ご一家お慕いしています派の方、(*_ _)人ゴメンナサイ。
花子の妄想、想像ですからね~目くじら立てないでねw
( ̄0 ̄;アッ!大丈夫かっwこんな過疎ってるブログに目くじらたてないわよねww