今日で三日間、息子の検査のために病院に通った。で、とても疲れてしまった。
あの病院に行くととても疲れてしまう。きっと半年間息子が入院していた間にあったことがなんとなく心の奥によみがえるからかもしれない。病院側とのトラブルや、度重なる手術やつらい朝を迎えたことが残っているからかも・・・。
ああ、父もこの病院で、末期癌でなくなったことも思い出したくない記憶だ。
そしてこの数日、考え続けてきた。
一つ前の「1リットルの涙」へのレスで書いたように、私は自分の病気についてはあきらめている。それはもう、いい。でも、あきらめきれないこともあるように思う。きっと息子はとてもじゃないけどあきらめ切れないでいるのだろう。でも、この前の大学病院からの帰り道、息子は言った。
「母さん、僕はあまり期待しないようにしようと思う、いままで手術のたびに今度こそよくなると期待したけどだめだった。だから、大学病院での手術もあまりきたいしないようにしないと後でまたショックを受けるからね」
あきらめずにがんばれとはとても言えなかった。
私は以前、養護学校に勤めていたことがある。そこではいまでも心に引っかかってなかなか苦しいことがある。
当時、私は難病の子どもを2年間担任した。その子は「色素性乾皮症」という病気で、日光(紫外線)にあたると、どんどん皮膚の癌が増えていく病気だった。紫外線はどこにでもある。教室の窓には紫外線カットのフィルムが貼られ、いつも紫外線カットの服、帽子、傘、お母さんの車にはフィルムにカーテンと生活自体が困難だった。そして重度の精神遅滞を伴うため、言葉はなく、笑い声しか聞けなかった。でも、いっしょにいると楽しく、私たちはその子が少しでも長く元気に生きられるように努力した。
ここでいつも問題になるのが、こういうことだ。
お母さんは長く生きられないのだから、多少、病状が悪化しても、すこしでも楽しい日々を送ってもらいたいと思われ、行動された。私たちはかなり気を遣って日光に当たらないようにしていたのに、びっくりするような行動をされた。プールに入れたりとか・・・。
私はおかあさんの気持ちを理解して、協力していこうと働きかけたが、お母さんの心にふれることはできなかった。いつも私の前に見えないベールがあるようだった。きっとわたしはお母さんの気持ちにちゃんと共感できていなかったので、それをお母さんも感じ取られていたのだろう。
結局、同じ苦しみをもったものしかその痛みは理解できないのかもしれない。
これらのことを考えていたら。混乱してしまう。
あの病院に行くととても疲れてしまう。きっと半年間息子が入院していた間にあったことがなんとなく心の奥によみがえるからかもしれない。病院側とのトラブルや、度重なる手術やつらい朝を迎えたことが残っているからかも・・・。
ああ、父もこの病院で、末期癌でなくなったことも思い出したくない記憶だ。
そしてこの数日、考え続けてきた。
一つ前の「1リットルの涙」へのレスで書いたように、私は自分の病気についてはあきらめている。それはもう、いい。でも、あきらめきれないこともあるように思う。きっと息子はとてもじゃないけどあきらめ切れないでいるのだろう。でも、この前の大学病院からの帰り道、息子は言った。
「母さん、僕はあまり期待しないようにしようと思う、いままで手術のたびに今度こそよくなると期待したけどだめだった。だから、大学病院での手術もあまりきたいしないようにしないと後でまたショックを受けるからね」
あきらめずにがんばれとはとても言えなかった。
私は以前、養護学校に勤めていたことがある。そこではいまでも心に引っかかってなかなか苦しいことがある。
当時、私は難病の子どもを2年間担任した。その子は「色素性乾皮症」という病気で、日光(紫外線)にあたると、どんどん皮膚の癌が増えていく病気だった。紫外線はどこにでもある。教室の窓には紫外線カットのフィルムが貼られ、いつも紫外線カットの服、帽子、傘、お母さんの車にはフィルムにカーテンと生活自体が困難だった。そして重度の精神遅滞を伴うため、言葉はなく、笑い声しか聞けなかった。でも、いっしょにいると楽しく、私たちはその子が少しでも長く元気に生きられるように努力した。
ここでいつも問題になるのが、こういうことだ。
お母さんは長く生きられないのだから、多少、病状が悪化しても、すこしでも楽しい日々を送ってもらいたいと思われ、行動された。私たちはかなり気を遣って日光に当たらないようにしていたのに、びっくりするような行動をされた。プールに入れたりとか・・・。
私はおかあさんの気持ちを理解して、協力していこうと働きかけたが、お母さんの心にふれることはできなかった。いつも私の前に見えないベールがあるようだった。きっとわたしはお母さんの気持ちにちゃんと共感できていなかったので、それをお母さんも感じ取られていたのだろう。
結局、同じ苦しみをもったものしかその痛みは理解できないのかもしれない。
これらのことを考えていたら。混乱してしまう。