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静かな生活 ~コーギー犬とチワワ姉妹~

2013年5月1日、愛猫モモが旅立ちました。今はわんこ3匹と子猫との生活です。思い出や日々の生活を記したいです。

少し疲れてきました・・・

2005年11月10日 | 病気
 今日で三日間、息子の検査のために病院に通った。で、とても疲れてしまった。
あの病院に行くととても疲れてしまう。きっと半年間息子が入院していた間にあったことがなんとなく心の奥によみがえるからかもしれない。病院側とのトラブルや、度重なる手術やつらい朝を迎えたことが残っているからかも・・・。
 ああ、父もこの病院で、末期癌でなくなったことも思い出したくない記憶だ。

 そしてこの数日、考え続けてきた。
一つ前の「1リットルの涙」へのレスで書いたように、私は自分の病気についてはあきらめている。それはもう、いい。でも、あきらめきれないこともあるように思う。きっと息子はとてもじゃないけどあきらめ切れないでいるのだろう。でも、この前の大学病院からの帰り道、息子は言った。
「母さん、僕はあまり期待しないようにしようと思う、いままで手術のたびに今度こそよくなると期待したけどだめだった。だから、大学病院での手術もあまりきたいしないようにしないと後でまたショックを受けるからね」
あきらめずにがんばれとはとても言えなかった。

 私は以前、養護学校に勤めていたことがある。そこではいまでも心に引っかかってなかなか苦しいことがある。

 当時、私は難病の子どもを2年間担任した。その子は「色素性乾皮症」という病気で、日光(紫外線)にあたると、どんどん皮膚の癌が増えていく病気だった。紫外線はどこにでもある。教室の窓には紫外線カットのフィルムが貼られ、いつも紫外線カットの服、帽子、傘、お母さんの車にはフィルムにカーテンと生活自体が困難だった。そして重度の精神遅滞を伴うため、言葉はなく、笑い声しか聞けなかった。でも、いっしょにいると楽しく、私たちはその子が少しでも長く元気に生きられるように努力した。
 ここでいつも問題になるのが、こういうことだ。
お母さんは長く生きられないのだから、多少、病状が悪化しても、すこしでも楽しい日々を送ってもらいたいと思われ、行動された。私たちはかなり気を遣って日光に当たらないようにしていたのに、びっくりするような行動をされた。プールに入れたりとか・・・。

 私はおかあさんの気持ちを理解して、協力していこうと働きかけたが、お母さんの心にふれることはできなかった。いつも私の前に見えないベールがあるようだった。きっとわたしはお母さんの気持ちにちゃんと共感できていなかったので、それをお母さんも感じ取られていたのだろう。

 結局、同じ苦しみをもったものしかその痛みは理解できないのかもしれない。

 これらのことを考えていたら。混乱してしまう。
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わたしは歯医者が好き?

2005年11月08日 | 病気
昨日から歯医者がよいが始まった。先生が「かなり悪くなってるね~」といわれたので、この際だから、思いっきり毎日いって、治すことに決めた。

なんと私は歯医者が大好きである。子どもの頃は矯正で苦しんだが、でも、いつの間にか歯医者が好きになっていた。今日も診察室に入って、寝ていたら、いつの間にかほんとに眠っていた。前に私が爆睡しているので、先生は仕方なく眠っている私の口をこじ開けて治療を始めたこともある。自分でもあきれた。

今、わたしの通っている歯医者はものすごく気に入っている。
ものすごく清潔で気配りの在る医院で、まず玄関には滅菌のスリッパケースがある。もちろん、暗くなったら、階段(2階)に人が通ると自然に電気がつく。
そして、待合室は完璧なまでにきれいで、くつろげる。私の好きな女性週刊誌があるのもうれしい。トイレも完璧で、常に工夫がある。

診察室もすごい。癒し系のクラシックが流れ、患者の目線は広い窓、そして、かわいいモビールまで飾ってい在る。
問題の先生の腕前だが、これが最高、レーザー治療はもちろん、常に最新の機材をそろえ、最近はいびきを治すドクターとしても有名だ。
歯をかぶせたりしたときのあわせがとてもうまいので、まったく違和感なし。

というわけで、家族全員こちらのお世話になっている。あ、職員の方もやさしい。
でも先生はちょっと怖いかな?
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再び大学病院に行きました

2005年11月02日 | 病気
 今日から、お休みです。でも、早速今日は大学病院に行く日です。ちょっと遅れたので、あわてていきましたが、大学病院に遅れそうですと電話を入れたら、かまいませんよ、気を付けて来てくださいと言われ、ほっとしました。

 今日は息子と二人でいきました。今回は予約していたので、早く呼ばれました。教授と助手のお二人で、しっかり診てくれました。途中から、整形外科の先生も3人来てくれ、5人で、診察し、どうするかを検討してくれました。

 結局、膝から下の骨が20センチも腐骨(死んでしまっている)になっていて、MRSAに感染しており、骨髄炎になっているので、もう、そこをとって、右足の骨を移植するしかないそうです。ついでに、血管も移植し、たった一本残っている
動脈につなぐそうです。そこが難しいらしく、血栓ができて、血管がつまり、せっかくの骨が死んでしまう可能性もあるそうで、よく考えて来てくださいと言われました。

 息子はまるで白い巨頭の矢田亜希子のお父さんみたいだと感心していました。
これが大学病院という感じでしたね。

 なんていうのか先生方は、難しい患者がくるのは当然で、それを手術するのも当然で、全く尻込みしてないって言うか、不安を感じさせませんでした。

 どんなにうまくいっても、最低でも1ヶ月は入院だそうです。きっともっとかかるとのことでした。

 やはり休暇は延長で、泊まり込み(ホテル)になりそうです。
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精神疾患を持っている人同士の恋愛について

2005年10月25日 | 病気
 唐突な話題ですいません。
今朝、FMを聞いていると、もうすぐ公開になる「春の雪」についての話題が取り上げられていました。三島由紀夫の作品は私はいろいろな理由であまり読みたくないのですが、この映画はすばらしいできだと言われていたので、見に行こうかなとも思いました。
 で、「春の雪」は、私の頭の中のきっかけのひとつで、なぜか、入院中にあった出来事を思い出してしまいました。

 私は某大学病院に入院していましたが、そのときの精神科の患者さん同士で、結婚された方がいました。当時の病棟の雰囲気はとてもよくて、みんな仲良く、いろいろな精神科のイベント(クリスマス会など)も結構盛り上がっていたように思います。その中で、私よりも年上で、とてもきれいですてきな女性がおられ、その方を好きになった男性がプロポーズし、かなり女性の方は悩まれたみたいですが、ゴールインされました。
 女性が退院される日、車で迎えに来られ、私たちから送った花束を抱えた彼女はとても幸せそうで、私たちもほんとうにうれしかったことを覚えています。他の患者さんがそのときの写真を撮ってくれ、私たちも一緒に写っています。

 でも、その1年後、この結婚は悲惨な最期を迎えてしまいました。

男性は私と同じ病気にプラスしてアルコール依存症でした。2人の結婚生活は、愛し合っていながらも、お酒を彼がやめられないことなどが問題になって、離婚されました。で、離婚したその翌日、彼は自宅で変死体で発見されました。自殺か飲み過ぎての事故かはわかりませんでした。
彼女の方は離婚して彼から離れたことに責任を感じ、何度も自殺をし、長い間、閉鎖病棟に入っていました。「彼が呼んでいるから」って自殺したって話すのですが、私は「絶対に呼んだりしない、あれは事故だ、彼はまたあなたと一緒になろうと思っていた」と言い切ってしまいました。もちろん、真実はわからないけど、彼女を死なせたくないからそういってしまいました。

 私は、彼をそのとき、かなり恨んだことを覚えています。あんなに優しい彼女を、あんなに愛していたのに、何で、こんなに彼女をつらい目にあわせるのかって。なにもあんな死に方をするなんて、ひどすぎると・・・。

 最近、彼女とは連絡を取っていません。生きていてくれていればいいのですが、話しを聞くのが怖いし、つらいんです。

 この時以来、同じように精神疾患をもったもの同士の結婚にはあまり賛成とは思えなくなりました。
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医者って?

2005年10月25日 | 病気
 昨日、息子の病院に行った。形成外科のドクターがこれ以上書けないと言ったので、整形外科のドクターの方にお願いに行った。

 もうはっきり言って、書いてもらえるとは思わなかった。今までのドクターとのつきあいでそれは予想できていた。
 2時間半待った(予約していたけど)。で、やっと呼ばれて、まあ、きっぱり断られた。ドクターの言っていることはいちいちもっともだった。

   ・いままで息子さんは一人で松葉杖の時も来ている。
   ・お母さんの介護休暇を取るための診断書は書けない。
        などなど、最後は「何時間粘られてもかけない、医者としてこういう診断者は書けない。」とのこと。

文章で書くと、それほどきつい感じは受けないが、実際はばっさりと切り捨てられたと言う感じだった。若いドクターで自分の腕にも自信があるし、忙しいのはわかるが、やっぱりこんなもんなの?って気がした。

口ではていねいにお待たせしましたとか、申し訳ないけど・・・などと言っているが、心では全くそう思っていないと言うのをすごく感じた。

ということで、介護休暇のほうは県の教育事務所の判断に任せられるが、無理かもしれない。今まで、自分の息子には我慢させてきて、大切なときに休んでやれないのは、ほんとうに残念だ。
明日、もっと大きくて、いろいろな面で進んでいる大学病院に行く。そこでの診察結果に期待するしかない。
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頭が痛い・・・

2005年10月10日 | 病気
バレーの練習試合が終わってから、ずっと頭が痛い。

ロキソニンを数時間おきに飲んでいるが、ほとんどきかない。
デパスも飲んでみた。効果なし。

夕べ、ゆっくりねようと思っていたが、息子に夜中、なんども起されたので、あまりゆっくり眠れなかった。

今回のは偏頭痛ではないので、例の薬は効かない。
困った・・・。
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パニック発作

2005年10月06日 | 病気
時々起こるパニック発作に悩まされている。

以前は、スーパーマーケットやユニクロなどの人がたくさんいて、ものがいっぱいある広い場所にいくと必ず起きた。
講演会とかで、窓のない場所に、閉じこめられたりするとこれもだめだ。

症状は、胸が苦しくなる、手が震える、頭がじーんとしびれてくる、等である。

さらにここ数年、悩まされているのが、車の運転中の発作である。高速道路は全くだめ、まっすぐな永遠に続きそうな下り坂もだめ。このおかげで活動範囲が狭くなった。

最近、こういう条件がそろわなくても発作が起きるようになった。

昨日は、午前中は学校で授業をして、午後、絵の審査会にいった。音楽の先生なのに?と思われるだろうが、いろいろな事情で、私が行くことになった。(実はずっと美術も教えていた)

審査中は体育館でずっと立って審査するのだが、はじめから、立っていられなかった。胸が苦しくて、めまいが起きかけているので、申し訳なかったけど、座り込んでいた。1時にはじめて終わったのが5時前、さらについていないことに、その後、組合の会議があった。いそいで駆けつけたが、それもいろいろともめて、2時間もかかった。とにかく終わって欲しい一心だった。

途中でかえりたかったが、重要な内容で、抜けることは不可能だし、やっと家に戻ったのは、8時前・・・。今日はあきらめて少し横になった。

息子の介護休暇もだが、自分が病休に入ってしまいそうだ。

今週は体調が良くない、もちろん、プールにも行けてない。
気をつけて過ごさなくては・・・。
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薬について

2005年09月20日 | 病気
いま、私が飲んでいる薬についてちょっと処方を書いてみます。

多い方かどうかはよくわかりません。

最近調子が下がり気味なんで、抗鬱剤が増えました。


ジヒデルゴット  3ミリ
デパケン     800ミリ
リーマス     700ミリ
デパス       1ミリ
デプロメール   50ミリ
リボトリール   1ミリ

頓服でロキソニン、ソラナックス、ヒルナミン、セニラン

以上です。なんと睡眠薬は必要ないのです。っていうか、朝、起きれなかったら怖いので飲まないことにしています。
皆さんの処方も教えてくださいね。
        
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