静かな生活 ~コーギー犬とチワワ姉妹~

2013年5月1日、愛猫モモが旅立ちました。今はわんこ3匹と子猫との生活です。思い出や日々の生活を記したいです。

教師という仕事

2006年03月29日 | 仕事
 この一つ前の記事についてですが、わたしの教師という仕事に対する考えが抜けているので、それを書きたいと思います。

 教師は間違いなく公務員です(私立はちがいます)。

 でも、教師という仕事は特殊な仕事だと思っています。なぜなら、この仕事は自分の仕事に生き甲斐や情熱を持ってないと続けられない仕事だと思うからです。

 みなさんも、自分が生徒だった頃、やる気のない先生は嫌いだったと思います。
親になったら、参観日に行って授業をみると、その先生がやる気を持って授業を工夫し、やっているかどうかすぐにおわかりだと思います。

 わたし自身、やる気のない教師は辞めるべきだと思っています。もし、皆さんの子どもさんが、公務員で仕方なく給料のために先生をやっているような人が担任だったら、どう思われますか?「今年ははずれだった」とか「担任を変えて欲しい」とか、挙げ句の果ては、学級崩壊へと進むかもしれません。

 教師はただ、子どもが好きだからとかの理由だけでできる仕事ではないです。プロの教師として、授業や指導方法、そして、生徒指導など、身につけるものが果てしなくあります。そのためには教師自身が研鑽を積み、常にやる気と向上心を持って毎日を過ごさないと、だめだと思っています。

 今回、わたしが4月から無理をして、復帰したのも、情緒障害児学級の担任が決まったようなので、たとえほとんど授業は持たなくても、1年生として入学してくるその生徒をちゃんと迎えたいと思ったからです。校長は「吹奏楽の顧問がいないとこまるが、特級の担任なら休んでもらってもなんとかなる」というような、特級軽視の考え方を持っているようですが、それはわたしは間違っていると思っています。

 公務員だから、その権利は行使します。介護休暇は無給なので、わたしもほんとはつらいのですが、仕方ないです。でも、私たちがその権利を使っていかないと、社会のなかにそういう休暇が広がっていかないと思います。

 でも、中学校に勤める私たちは、膨大な無給の残業と、土日もずっと部活動の試合や練習で、働いていると言うことを知って欲しいです。世の中には学校の先生は夏休みには休んでいると思っている人もおられますが、すべて出勤しています。ほとんどが部活動と研修や体育祭の準備に追われています。

 だからこそ、わたしは常にやる気を持って仕事をしたい、ただ、時間が過ぎるのを待つだけの仕事はしたくないです。
 今の学校にきて、3年が経ち、ずっと上司やさらにもっと上に方に嘘をつかれたり、約束を守られなかったりしてきたので、今年は仕方ないとはなかなか割り切れない自分が居ます。

 そして、わたし自身の生き甲斐である音楽を教えることを奪われるのは、一番つらいことなのです。
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4月から仕事に復帰します

2006年03月28日 | 仕事
 昨日職場に行ってきました。

職場に行くと、いつもびっくりというか落胆させられるようなことが待っています。「四月からは一時間だけ毎日介護休暇をもらって、復帰します」と上司に伝えたら、「まだ介護休暇は残っているのだから、全部とって、休んでもらった方がいいのに」と言われました。えっと思っていると、同僚から、急に常勤の講師(音楽)がついたそうなので、わたしはいなくても全然困らないと言うことらしいです。早く教えてくれたら、4月も休んだのに・・・・。無理して出るんじゃなかった。自分がバカみたいに感じました。

これで4月からはわたしが音楽を持つ可能性は0になりました。
せめて吹奏楽部を一緒に持たせてくれとお願いしても、職場のみんなから却下されました。まったく音楽とは関わらないことになります。

これから、片道44キロの通勤をなんのためにするのかむなしいです。

そして、わたしには仕事があるのでしょうか?同僚はわたしに仕事を持ってこないことが思いやりだと思っているようですが、よけいみんなに申し訳ない気持ちになったり、自分はここではお荷物なんだと感じるばかりです。

一度、精神系の病気になって休んだり、家族が病気で休んだりする人間は、職場にとっては役に立たない人間でしかないですよね。でも、首にならないだけましだと思わないといけないのかな?一般企業にお勤めの義姉は「公務員は贅沢だし、甘えている」といつもいいます。そんなもんですか?それだけの努力をしてなって、続けてきたつもりですが・・・。

4月がこなければいいと思います。
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10日経ちました。

2006年03月26日 | 家族
 早いもので、術後10日経ちました。

今のところ、調子はよく、順調なようです。

今日の朝、背中と右足の抜糸をしました。最近は抜糸も早いし、包帯も使わず、テープを貼っているだけでしたが、さらに簡単なものがはってあるだけです。

車いすに移動して、なんとかトイレに行けるようになりました。でも、自分一人では車いすに移れないし、左足をずっとまっすぐにあげていないといけないので、気を遣います。

身体のほうもしっかりしてきて、夕べはよく眠れたとすっきりしていました。

若いからでしょうがほんとに回復が目に見えます。

それに引き替え、わたしの方は相変わらず眠さとだるさが蔓延しています。う~ん、歳だから、なかなか回復が遅いのでしょうか?点滴もしてもらいましたが、あまり効果は今のところないです。しゃきっとしたいですね。

さきほど、2年間担任していて、この春卒業した生徒のお母さんとお姉ちゃんがお見舞いに来てくれました。半年も休んでいて、すごく迷惑かけたのに、そのことは少しも言われず、楽しいお話をしてくださり、ほっとしました。メールアドレスの交換をして、お別れしました。
落ち着いたら、顔を見に行きたいと思います。

昨日の夕刊に、教職員の人事異動がのっていました。びっくりするような人事や、退職されていたりとか、いろいろあります。音楽の先生がかなり動いていたので、また波に乗り損ねました・・・。仕方ないですけどね。
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いくら寝ても足りません

2006年03月23日 | 生活
 ちょうど今日で手術から一週間経ちました。

 教授が朝、のぞいてくれ、「若いから早いねえ」と言ってくれました。
でも、それはほんとうです。今日の夜で点滴が終わりました。身体から浸出液を出す管も取れました。そして、左足はあげたままですが、手伝ってもらって車いすに移り、トイレに行けるようになりました。もちろん短時間しか乗ることはまだできませんが。回復の早さに驚きます。

 で、もう身体にがたがきているわたしは、身体がだるくてたまらないのです。
朝は7時に起き、8時の朝食に間に合うように行くのですが、起きるのがつらくてたまりません。今まで、朝はすぐに起きあがれたのに・・・。

 8時に病院に着き、それから昼食が終わる1時までいて、いったんマンションに戻ります。息子が「帰って休んだり好きなことしたらいいから」と言ってくれるので、夕方までもどり、洗濯をしたり、横になっています。で、ほんとに眠ってしまうのです。そして夕方起きるのですが、またからだがだるくてなかなか起きられません。

 夜は11時頃まで居て、身体を拭いたり、洗面や、着替えの手伝いをしながら、一緒にテレビをみて楽しみます。で、さっきもどり、お風呂に入り、少しパソコンをし、休みます。

 なんか寝ても寝ても眠たくてだるさが取れません。

 4月から一応休みながらも仕事にでようと思っていますが、自分がしゃんとしなくて困ります。
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人との関わり方について

2006年03月21日 | 生活
 まるで手術の日が1ヶ月ぐらい前のような気がします。

5日たって、点滴も一カ所からになり、少しうっとうしさもなくなったかもしれないです。右足は痛さはあるものの少し動かせるようになりました。右の後背筋も痛みがなくなってきています。

もう、血栓ができる心配はほとんどなくなりました。あとは感染だけです。

したたるほど出ていた左足の出血もかなりおさまってきました。
 
テレビやゲームを楽しむこともできるようになり、わたしも付きっきりでなく、午後はへやにもどって休めるようになってきました。

ただ、正直というか、言いたいことを何でも言う息子は、どうも周りの人との衝突が避けられないようです。相手がおかしいと思ったら、はっきり厳しく言うため、人間関係を壊してしまうようなときもあります。

昨日も動けない息子がなんとか看護師さんに連絡を取ろうとしたらしいのですが、ナースコールを遠くに置かれていて、ずいぶん困り、声で呼んだらしいのです。そのときの対応が、仕方がないでしょと言うものだったようなので、看護師さんに間違っていると激しく怒ったらしいのです。わたしは息子自身からこの話を聞きましたが、病院側からは何も聞いていません。

自分の意見をはっきり言ったりするのはいいことではありますが、相手によって、いい方を考えると言うことも少しわかって欲しいと思いました。

息子から話してくれたとき、そのことを伝えました。
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手術から二日経ちました。

2006年03月19日 | 家族
 今日、パソコンをやっと開けることができました。
息子の病室に居ます。前回の日記のレスには様子を書きましたが、まとめて今日、きちんと書こうと思います。

 手術は朝の8時半ごろから始まり、終わったのは夜中の1時過ぎでした。手術室を出たのは3時過ぎのようで、その後は、HCUに次の日の2時頃までいました。
手術が終わるのをまち、説明を聞きましたが、本人に会えるのは明日の朝だと言われて、いったん家に戻りました。

 次の日の朝、HCUで8時にやっと会えた息子はたくさんの機械と管でつながれ、顔はもちろん体が腫れていて、すごいショックを受けてしまいました。
もちろん息子が目を覚ましたのもちょうどそのときで、自分のあまりのかわりようにびっくりし、大変混乱したようです。説明を聞き、3ヶ月も創外固定が3月も取れないことでパニックに陥り、ものすごく私たちを攻撃してきて、その場で大声を出して、HCUのドクターが息子と話しをしてくれました。その場はそれで落ち着きましたが、混乱は収まっては居なかったようです。

 その晩は泊まり、薬や点滴で眠れるようにしてくれたのですが、ひっきりなしにドクターや看護師さんが出入りするため、落ちつけれないようでした。

 昨日は、朝からものすごい私への批判で始まりました。私のやることがすべて気に入らず、いままでの自分への態度や、親としてのあり方とか、いろいろな思いが吹き出てきました。

「おかんは他の人と話しているときには笑顔なのに、オレにはいつも無表情で暗くて、笑顔がない」「なんでオレがこんな嫌なことをいているのに怒らないのか、おかしい」「親なのに尊敬できない」「おれは親に距離とか感じてないのに、おやじもおかんもオレに遠慮している」「何で黙っているのか、ちゃんと言い返して、本音で話して欲しい」「でも、オレは寂しい、親のことがすごく好きだと思っている」「オレなんか迷惑ばかりかけているから、死ぬ」

たくさんの言葉を語ってくれたのですが、私が今まで思っていたこととはちがう息子の姿に愕然としました。

先日の結婚式の時、息子は幸せそうで、そして泣いていました。あれは従兄弟や叔父や叔母たちの愛情をかんじて、自分もすごく包まれている感じがして、幸せで、あんしんできたそうです。でも、帰りの車の中では、もう寂しくなってしまったのは、やっぱり三人で家族って気がしなかったからだそうです。

私たちは息子にちゃんと愛情を伝えてなくて、寂しい思いばかりをさせて、本音でせっしていなかった・・・。「おかんはいつも冷静すぎる」よく言われます。

私はものすごく苦しかったけど息子の本心を聞けて、良かったと思うし、あんなふうに、体当たりで自分の心を相手にぶつけたりできる息子に感動さえ覚えました。
とても私にはできないし、できない人の方が多いと思うのですが・・。
「おれはいつも誰にでもこうやって接している、だから、相手の気持ちを考えてないから、いけないときもあるのかもしれない。」そういって、息子は落ち着き、夕べ、日付がかわる頃静かに眠りました。

今日は朝から、テレビを見たり、ゲームをしたりして、少し気分がいいように思えます。ドクターからもすごい回復が早いと言われ、家族3人ともうれしくなりました。
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いよいよ明日です

2006年03月15日 | 家族
 いよいよ明日です。今はまだ、病院にいるので、かんたんに 書きます。

朝、8時15分に病室を出て、半に手術室に入ります。
手術の終了予定時間は夜中の10時から0時頃だそうです。長時間なので、もちろん全身麻酔になり、術後は個室に移されます。

昨日、詳しい説明を受けました。かなり厳しい手術です。

でも、夕方から、関係する先生方が声をかけにきてくれました。
ベストを尽くしますとどの先生も言ってくれたので心強いです。
すごいスタッフの人数だからびっくりしないようにと息子に話されました。

今夜は息子が気の済むまでここに居ようと思います。

どうか息子を守ってください。
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なんて言ったらいいのかわかりません

2006年03月14日 | 生活
 ずいぶん、書き込むことができませんでした。
実は金曜日の夜に書いて、半日ほどアップしていたのですが、土曜日に削除しました。

 金曜日に職場に行き、4月から復帰が難しいかもしれないことなどを校長に話したのですが、いろいろな面で、考え方や、意見の食い違いが見られ、1時間ぐらい話しましたが、いい話にはなりませんでした。はっきりわかったのは、私が職場に多大な迷惑をかけていて、さらに、いまでは職場のお荷物になっていると言うことです。

 その日から、職場でのこの3年間、我慢してきたことが頭から離れず、これからもずっと嫌な気持ちで過ごさなくてはいけないと言うことで押しつぶされそうになりました。

 一般企業におつとめの方からみたら、上司の言うことは絶対だし、我慢して働くのが当たりまえだと思われるかもしれません。
でも、私たち、教育職はそれではいけないと私は思っています。管理職のいいなりだと、学校は良くならないときが多々あります。教育の理想を追求していくこと、人間として正しいことを子どもたちに示すことは使命だと思っています。その気持ちで今回もかなり校長と激論になってしまいました。

 今日は、とても寒い1日でした。私は暖かい服をほとんど持ってきていなかったので、今日はかなりつらかったです。自転車で、銀行やレンタルショップ、病院への移動はこたえました。

 さらに、夜、息子がまた、不安定になり、私への攻撃が始まりました。

 「おかんの顔を見ていると腹が立ってくる」
 「もっとオレが元気になるようなことをいってくれないのか」
 「おれぐらい運が悪いやつはいない、おれのこの気持ちなんかわからないだろう」
 「オレは暖かい家族だんらんが欲しいのに、兄弟もいないし寂しい」
 
 数限りない不平不満や不安な気持ちをぶつけてきました。
 「おかんが手が怪我で使えなくなって、ピアノが弾けなかったらどうなる?死にたいと思うだろう、オレは今、死んでもいいと思ってる」

 もう、私にはこたえる元気も言葉もありませんでした。
だれか、息子の心に響くようなことばを教えてください。
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私が選ぶべき道は・・・・?

2006年03月09日 | 生活
 やっと今日、パソコンを取ってきました。
 
 いえ、今日は、加害者の判決が言い渡される日でした。
 
 「懲役2年、執行猶予4年」

 加害者の家族、友人、職場の人、そして、息子、私たち家族、それを取り巻く人たちは、たったあの1瞬で大きく人生を変えてしまったのです。

 今日、傍聴席に座り、加害者の人の後ろ姿をみて、あまりの事の大きさに私は呆然としてしまいました。悲しすぎる、あまりにみんなたくさんのものを失ってしまいました。
 いろいろな経験ができたかもしれないけど、そんなものはしなくていい経験です。

 息子はすっかりかわりました。ものすごくいらいらして、ハイテンションになったかと思うと、あっという間に、寂しそうにうなだれ、無口になり、寂しくなって、夜中に電話を病院からしてきます。

 「お母さん、なんでもないんだけど・・・、眠れない。おかあさん、僕のために一緒にきてくれてありがとう・・・。安定剤を飲むからね」

 うれしいというよりも、悲しいです。

 私は四月から、復帰する予定ですが、仕事しながら、長距離通勤をしながら、息子に穏やかに接することができそうにありません。

 以前、ここでも書きましたが、退職をしようかと本気で思います。
 
 せっき、仲良しの同僚と来年度の配置について考えていて、また、音楽からはずされ、学校のお荷物状態で、1年間過ごさないといけないようです。
 みんなは私のためとか行っていますが、あの学校には私の居場所はありません。
 障害児教育にはやる気はありますが、音楽のできない場所には興味はありません。そのことを考えただけで、いらいらして、精神的に不安定になります。

 息子の介護と両方は無理です。明日、退職について、調べて、本格的にその方向に行こうと思っています。

 もう、お金の問題ではないです。

 自分にとって、大切な人につらい思いをさせてまで、続けるような仕事ではないと感じてきました。
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いよいよ明後日になりました。

2006年03月05日 | 生活
 いよいよ明後日の火曜日に入院です。もっと準備しなければと焦っているのですが、何から手をつけていいかわかりません。とりあえず今日は、私がいない間でもなんとか家族が食事に困らないようなものを大量に書き込んでいました。かご二つ分がいっぱいになりました~。

 ところで、大学病院のある都市に行くと、息子しか話し相手はいません。しかし、息子に愚痴や泣き言は言えないので、パソコンが唯一の私の話相手です。
行く前に、パソコンの環境を整えようと、いろいろとやってみました。
この二日間、空いている時間をみては、新しいソフトをダウンロードしたり、ウィルスバスターを入れ直したり、お友達サイトに新しいメンバーを招待したりを、様々なことをやりました。同僚の手も借り、なんとかいい感じになったようです。

 このブログにきている皆さん、そして、いつも私がお世話になっているサイトのみなさん、これからもずっとよろしくお願いします。

 きっと何度もめげて、泣き言や文句ばかり書くと思いますが、勘弁してやってくださいね。
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