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静かな生活 ~コーギー犬とチワワ姉妹~

2013年5月1日、愛猫モモが旅立ちました。今はわんこ3匹と子猫との生活です。思い出や日々の生活を記したいです。

常にまちがっている判断・・・

2007年07月16日 | 家族
 誰の判断がまちがっているか・・・・、私の判断がまちがっているのです。

 何についての判断かというと、息子に対する判断です。

 私は、息子と彼女のことを見守りつつ、応援しながら、二人が大人になってくれたらいいなと思っていましたが、二人にはもっと、厳しい判断のもとで、接するべきでした。

 私のは単なる甘やかしにしかなっていなかったです。

 もう、謝って済むとかそういう歳でもないし、彼は自分でいろいろな後始末をきちんとつけさせるしかないですね・・・。

 私が病気で息子につらい想いをさせたという負い目から、甘やかしと見守りの判断を誤ったようです。
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やっと新しい相談機関をみつけました

2007年07月12日 | 家族
 この初冬までかかっていたドクターが、遠くの病院に転勤されてしまい、また、息子の相談するところが無くて困っていました。

 私が今いる部署はいろいろな相談機関や思春期外来の先生が来られるので、この3ヶ月間、ずっと探していました。1週間前に講義にきてくださった大学の先生が、とてもわかりやすくはっきりした指針を不登校について示してくれたので、きっと私の混乱を整理してくれると思いました。

 その大学では、心理相談室を開設していて、心理学部の臨床心理士の先生が相談に乗ってくれ、お金もかかりますが、とても安いのです。初回3,000円で、2回目からは1,000円です。

 早速予約をいれ、今日、行ってきました。

 「もう今の状況や息子の年齢では、お母さんのすることはもうあまりないでしょう、ただ、今の息子さんの状態では、さらに生きづらくなってしまう、これからの生活のビジョンを持つことが大切です。」と言われました。

 「息子さんにここにくることをすすめてみてください。」「でも、無理強いせず、機の熟したときにここに来るようにしてください。いつでも予約を入れてください」とのことでした。

 私は、やっぱり少し安心しました。

 ちゃんと向き合って相談してもらえる場所があることはすごくいいです。
 先生が背中を押してくれたような気がします。今度は息子に勧めることができそうです。
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義母が退院して1週間・・・

2007年07月09日 | 家族
 6月30日に義母が退院してきました。今回はもう介護認定を受けているので、すぐに月曜日から、ヘルパーさんに入ってもらいました。

 義母は一人暮らしなので、ヘルパーさんは、食事作りから、掃除、選択、ゴミ出し、入浴となんでもやってくれています。助かります。

 しかし、土日はヘルパーさんを入れてなかったので、3食のご飯作りと1週間分の買い物などが私の手にかかるようになってきました。それは、かなり大変だと言うことがこの2週間でわかりました。二つの家の維持をしていくのは無理です。一回では両方の家の1週間分の買い物は無理なので、土曜日に義母の、日曜日にわが家の買い物に行きます。特に今回は土曜日に病院に行ったので、一日中義母についていました。義母は感謝してくれ、一緒にいるのは楽しいのですが、時間的に厳しいし、義母はもう一人歩くことができないため、かなり困難を極めます。

 で、ケアマネさんに相談し、土日も一回ずつヘルパーさんに入ってもらうようにしました。これで、少しは助かります。

 義母はヘルパーさんに悪いからと、疲れているのに、自分でがんばったりしているのが心配です。もっと無理をせず、つらいときにはつらいと言ってくれたらと思います。
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不安定さ

2007年07月09日 | 家族
 また、息子が不安定さを増してきました。

 最近、あまり息子のことを書いていませんでしたが、ここに書くことさえもできないような内容ばかりです。

 先週、愛犬コピーが亡くなったときは、あんなに優しく思いやりのある一面をみせるのですが、それ以外は、不安定で誰が考えても異常な行動をしています。

 親がしっかりしていないから、と言われるかもしれません。私は、息子のことをいろいろな場所や人に相談してきましたが、だれもあまりその重大さをわかってもらえないような感覚を覚えていました。それで、今の教育相談の研究に出たのです。自分が昔からやりたかったことではありますが、半分は息子の相談に乗れるようにと言う目的だったかもしれません。

 でも、それはかなり難しいことです。親が子どもを治療をすることはできないと思いました。客観的に関わることはできそうにないです。

 息子はきっとなんらかの人格障害ではないかと感じています。今までは、長い苦しみから一時的になったものだろうと考えていましたが、どうもそれだけではないように感じてきました。

 やはり誰か客観的にみて、アドバイスをしてくれる人が必要な気がします。もう、私はあまり何にも感じなくなってきて、いつもへらへらするようになってきました。感じない方が楽です。逃げ出すこともできない今、感じないようにすることが生き延びる道だと思います。
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天国のお母さんのところへと旅立ちました

2007年07月01日 | 家族
 今朝、ご飯をやっても、口を開けようとしませんでした。

 息が苦しいのかとても早いのがきになりましたが、義母が昨日、退院してきたので、義母のところに行き、食事の用意や買い出しに行ったりしていました。

 昼頃、旦那から電話があり、「もうコピーが息をしていないかもしれない、帰ってきて」というので急いで帰ってみると、コピーはもう亡くなっていました。

 息子にも連絡したところ、ショックで、学校を早退して帰ってきて、すぐにコピーのところに行き、「ほんとにしんどるん?眠ってるみたいだ。かわいい・・・。コピー、長い間、ありがとな。」と言い、「ねむったまま逝ったから、苦しまなかったよ」と伝えると、「コピーの顔を見たらわかるよ、どうかお骨をもらって帰ってきて」と何度も体をなでながら、言っていました。
 息子が2歳の時、やってきたコピー・・・。昨日、コピーをくださった家族がやってきて、写真を撮り、最期の別れができました。まるで、待っていたように今日、コピーは逝ってしまいました。

 長い間、私達を守ってくれ、いつも散歩のお供をしてくれたコピー、ほんとにありがとう。もう、天国でお母さんと会っていればいいのですが・・・。
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もう残された日は少ししか・・・

2007年06月25日 | 家族
 もう我が家の愛犬コピーが、横になったままになりました。立ち上がることはもちろん、食事をするために頭をほんの少しも上げることさえできません。
 シーツの上で横になったままです。おしっこはしたときにシーツを取り替えてやります。食事は口に持っていってやっています。なんとか時間をかけて少しづつ食べていますが、だんだん食欲もなくなってきました。

 家族全員、コピーのそばを通るときは、生きているだろうかと不安になり、どうか生きていて欲しいと思いながら、なでていきます。コピーはもうなんにもわからないようです。

 17年間、私の散歩に朝晩つきあってくれたのに、今はそのコピーが一歩も歩けず寝たままです。思い出があるから大丈夫と思っていたけど、やっぱり重くてダメです。
 今まで、ずっと犬を飼ってきましたが、亡くなった後、少ししたら次の犬を迎える気持ちになれました。
 でも、今、コピーが亡くなったら、犬を飼う元気というかなにか前はあったけど、今はその元気?のようなものがなくなりました。コピーが我が家での最期の犬かもしれません。
 コピーは、コルンのことも覚えているでしょう、二匹で一緒に散歩したこと・・・。

 そしてコピーは今、きっと一番大好きなお姉ちゃんと夢のなかで会っていればいいなあと思います。お姉ちゃんには連絡はしていますが、仕事が忙しくて戻ってこれないとメールが帰ってきました。どんな犬を見ても、「私はやっぱりコピーが一番好き」といってくれたお姉ちゃん、どんな遠くからでもお姉ちゃんを見つけることができたコピー。

 気性が荒くて、家族にしかなつかないコピーでも、心から「好き」と言ってくれて、いつもその言葉をコピーに伝えてくれたお姉ちゃんの気持ちはしっかり伝わっていました。
 これはほんとに人間も動物も植物もさらには水でさえも通じることなんでしょうね。
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2人の母

2007年06月02日 | 家族
 もうあっという間に6月になりました。

 5月の30日に義母が、心臓専門の病院(私の母と同じ病院)に転院しました。で、今日、私が手術の説明を聞きに行きました。
 詳しく3Dの画像も使い、かなりリアルな説明がなされました。画像をみて驚いたのですが、義母の腹部の大動脈は、ものすごい動脈硬化が進んでいて、足の付け根のほうまで、真っ白でした。血管がかちかちになっていて石みたいになっているそうです。このぐらいの高齢者ならこんなものかなあとおもっていましたが、先生曰く「トップクラスといえるぐらい進んでいる」そうです。そのせいで、人工血管への置換手術はけっこう大変みたいです。(人工血管と縫い合わせるのが難しいみたい) でも、義母は先生の話を聞いて、手術を受けると決心し、覚悟を決めたようです。
 今回は義母も個室に入ってもらいました。歩くのが難しいことと、手術が大変なこともあり、病院からも勧められました。1日1万円はきついですが、仕方ないです。付きそう側としても楽なので・・・。
 来週の水曜日が手術になります。


 そして、私の母はさらに元気になりました。それはいいことですが、また、母は家を支配しかけています。

 洗濯物から、皿の置き場所、ごみの出し方、犬や猫の世話の仕方、そして、すべての食べ物に大きな字で賞味期限を書いてまわり、ありとあらゆることをすべて自分だけの基準で判断します。母がいらないと思ったものは勝手に捨てられ、じゃまだと思ったものは勝手にしまわれてしまいます。そして母はどこにしまったか瞬時に忘れてしまい、困ります。

 さらにもう「病院にはもう行かない、薬も飲まなくていいだろう」と勝手に判断し、病院に行きたがりません。もう治った気分です。
すべてを自分の判断、都合で決め、私や旦那の言うことはまったく聞きません。で、私がコレはやめて欲しいと言っても一切聞き入れません。でこう言います「年寄りにそういうなや」と、そのときだけ自分が年寄りだと言います。
 母は認知症ではないです。でも、仕方ないからあきらめなくてはいけないのですが、どうしようもなく家にいるのが苦しいです。旦那もかなりくたびれてストレスが溜まっています。

 先日、母が勝手に庭木の剪定を頼んでいて、業者がきて、作業していたらしいのですが、常に仲が悪い隣人が、業者に「うちの方に絶対に葉を落とさないように」と言ったそうです。
母はそのことでかなり怒っていて、「なんでそんなに怒ってくるのか、一生恨んでやる」と何度も何度も言ってました。
 確かに隣人はとんでもなく文句いいですが、恨むほどのことはないです。

 時々、母は、人の気持ちをまったく考えない人であることが悲しくなります。
母が「ありがとう」と言った記憶がないです。
 私は母の世話をするために生まれたのでしょうか。母は先日「私も歳だから、もう仕事を辞めて、面倒を見て欲しい」と言いました。 
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もう後少ししか・・・

2007年05月18日 | 家族
 我が家の柴犬「コピー」は,すでに17歳になろうとしています。
 
 先週までは,まだ立って少し歩くことができていました。
 でも,水曜日の夕方,帰ってから夕食をあげても食べようとしません。ほしくないのかなと思ったら,そうではなくて,もう立ってえさのそばに行くこともできないのです。コピーのそばにえさを置いてやるとなんとか食べることができました。

 もう,立とうとしても踏ん張ることもできず,トイレもペットシーツの上にしています。それはかまわないのですが,今までのわんちゃんたちも最後は歩けなくなり,たてなくなり,食べれなくなり,何も飲まなくなって,死んでいきました。

 水曜日にたてなくなるまでは,もう17年もずっと一緒に過ごして,楽しい思い出がいっぱいだし,健康面も気をつけてきたから,もう私が思い残すことはない,そう思ってきました。

 でも,たてなくなったコピーをみて,ショックでした。ほんとにもうコピーが旅だっていく日が近いのだと,実感してしまいました。

 息子が2歳の時,我が家にきたコピー,家族以外にはあまりなつかず,気性も荒く,番犬としてがんばってきてくれました。

 私は,コピーと遠くまでいつも散歩に行き,運動にもなるし,ストレスの解消にもなっていました。今,もう,散歩にいくこともなく寂しい日々です。

 後残り少ない一緒に過ごせる時間を大切にしたい,私たち家族ができることはもうそれだけです。

 そしてできれば,コピーが家族以外にとてもなついて愛している近所のお姉ちゃんに最期,会わせてやりたい,そう思っているのですが,今は遠くに就職しているためなかなか会うことが難しいようです。
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怒り・・・

2007年03月26日 | 家族
 今日の午前中に掃除と洗濯と買い物を終え、午後、母と一緒に義母のお見舞いに行き、そのあと、明日から母が行くはずのディサービスの見学に行きました。
 いきなり見学に行くより、義母のところに行って、リハビリとかをしないといけないと言う気持ちを高めて見学にいったのですが・・・。

 ちょうど私たちが行ったとき、おやつの時間でした。お誕生日の人への歌を歌ったり、ゲームをしたりと、スタッフの方たちは楽しく盛り上げて、ケーキを食べようとしていました。で、その様子を見て母は、すぐに「ばからしい、あんなあほらしいことはできない」「もう帰る、早く帰ろう、ぜったいにいやだ」そう言ってじぶんで帰ろうとするのです。

 ちょっといやがるかもしれないという予想はある程度はありました。母は、昔から、ゲートボールなんか絶対しない、年寄り同士の集まりなんか絶対に行かない、あんなことは大嫌いだと言い続けていました。

 で、ちょうど、その場で母から見たら子どもっぽいことをやっていたのでしょう、ものすごく拒絶しました。

 まわりにいてくれているスタッフさんたちにも、「迎えにきてもらっても絶対にいきません、あんなことをするくらいなら死んだ方がましだ」と大きな声で言い放って、入り口まで行き、見学もしないと怒りまくっているのです。
 
 母が行きたくないとかだけを言ったのなら、まあ、私もこんなに腹は立たなかったと思います。
 母のことばには、その場にいた人たちを馬鹿にして、軽蔑している気持ちがこもっていたのがいやだったのです。つまり私はあんな人たちとは違うっていう気持ちだと思うのです。だれでも歳を取っていくことを認めるのはつらいと思いますが、人を馬鹿にしたり、あほらしいとその人の前で平気で言うのは、母の心の中に、差別の心が強く根付いているからだと感じました。

 私が子どもの頃から、韓国籍の人や対象地区の人へのものすごい差別意識を母は持っていて、「あの人たちは私たちとは違う人間なんだ、絶対に近づいてはいけない」と当たり前のように私に言いました。もちろん私には意味もわからないので、母の言うことは無視し、いつも平気で遊んでいましたが・・・。

 義母が歩けないのを心配しているのはいいのですが、「私は歩けるからよかった、お母さんのように歩けなくなったら困るからねえ」と、平気で義母の前で言う無神経さにもビックリします。いつも人と比較して、自分はましだとか、なんで我が家ばかりこんなに不幸なんだとか、挙げ句の果ては、何でこんなことになったんだろう、と、原因を探し、誰かのせいにして納得する・・・。

 この思考の循環はもう疲れました、長年、私たち家族を悩ましてきた母のこの考え方はうんざりです。いつも家の中を仕切ろうとする母に私たちはへとへとになります。

 こんな風に自分の親をこき下ろしている私もたいした人間ではないですが、今日はずっと我慢して母に少しでも前のように元気になってもらいたいと努力してきた気持ちががっくりと壊されて我慢できなくなったのです。お許しくださいね。
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また大動脈瘤・・・

2007年03月14日 | 家族
 昨日、義母のところに夜、のぞいてみると、母は、酸素吸入と心電図をつけていました。びっくりして聞くと、昼間に胸が痛くなって、診てもらったそうです。
 もう、かなり落ち着いていましたが、主治医から、詳しい話しがしたいから、明日にでも来て欲しいと言われました。

 今日の朝、私が聞いたのですが、
「腰のレントゲンを診たら、気になるところがあったので、腹部のエコーをとってみました。そしたら、52ミリの大動脈瘤があります。はやく専門医に診てもらってください。手術はできるところは限られています。紹介状はすぐに書きますよ」と言われ、ショックを受けました。

「なんで?またうちの母と同じような病気に義母までが?」

ちょっとどうしていいかわからない混乱してしまいましたが、すぐに、義母が以前、心筋梗塞で手術をした病院でもあり、私の母が先日大動脈解離の手術をした病院に連絡を取りました。
入院中なら、現在の主治医からの連絡して欲しいということなので、今、入院している病院に連絡すると、すぐにしてくれ、月曜日に行くことになりました。

 きっとこのまま入院ということになりそうです。
そして、人工血管への置換手術を可能ならすると思います。

 さすがに大変すぎます。むすこの大きな問題もあるし、裁判の方も始まるし、いくつものことを並行して、それも緊急に対処しなければならないのがつらいです。
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