ゆかるひ

BookCafe & Hallゆかるひの店舗紹介リーフレット出来ました。
ホール規定・カフェメニュー載ってるよ!

どうして「ゆかるひ」を創ろうと思ったか その10

2016-08-28 06:26:11 | インポート
グスウヨオチュウウガナビラ、ハイタイ!道子でーびる。

私は幸せな星の下に生まれました。今まで私が望んだ夢が叶わなかったことがありません。
思い付きと思い込みだけで突っ走る悪癖がありますが、周りの助けで奇跡的に乗り切ってきました。自分で言うのもなんですが、相当な強運と幸運の持ち主だと思います。

このハッピーアイテムを自分独り占めにするのはもったいないと常々考えていました。
そこで、残され限られた人生の最終ゾーンを沖縄のために使いたいと決意しました。

もともと沖縄が持っていた、豊かさ、美しさ、神々しさ、寛容さ、創造力、合成力(チャンプルー力)を更に強固にし発掘し、守るべき物事をそれぞれがしっかりと心に刻み込む。

そんな場所を創りたいと思います。 「夢の砦」。「夢空間」の発展型ですね。
「ゆかるひ」とは、良き日、happyday、好日、です。
明日の「ゆかるひ」のために、楽しく、明るく、希望を捨てず、邁進してまいりたいと思います。

グスウヨオ、ユタシクウニゲイサビラ。



どうして「ゆかるひ」を創ろうと思ったか その9

2016-08-27 22:14:49 | インポート
グスウヨオチュウウガナビラ、ハイタイ!道子でーびる

白保の海を守ろうというムーブメントの中で、私はさまざまな人々と出会いました。
その時、共に考え、悩み、動いた仲間が今でも最も信頼できる友人たちとなりました。

その中の一人、自然保護協会のプロジェクトを手伝った際に知り合った人と縁があり、その人の郷里、長野で農業をすることになり25年間長野で暮らしていました。

25年故郷を離れているうちに変わったことは沢山あります。失われてしまったものは多いです。そして、離れていたためにかえってはっきりと見えてきたこともあります。

あと20年も経てば私自身使用不可となるだろうことが予測できるこの頃、悔いなく死ぬために私が出来ることをしたいと思いました。

今日はここまで、続きは又明日!ユタシク。




どうして「ゆかるひ」を創ろうと思ったか その8

2016-08-27 06:45:33 | インポート
グスウヨオチュウウガナビラ、ハイタイ!道子でーびる

始めは白保の村人の孤立無縁の抵抗だった動きは、海の素晴らしさが知られるにつれ青珊瑚の大群落を抱える奇跡の海を救おうという大きなムーブメントになっていきました。

沖縄本島、日本本土、海外までその動きは拡がり開発推進側も計画変更を検討せざるをえなくなり、30年以上続いた攻防の末、海は潰さずに陸上部に新石垣空港がつくられることになりました。

今日はここまで、続きは又明日。ユタシク!


どうして「ゆかるひ」を創ろうと思ったか その7

2016-08-26 00:35:54 | インポート
グスウヨオチュウウガナビラ、ハイタイ!道子でーびる

石垣島 白保。そこは私にとって特別な場所になりました。海も地上も命にあふれ全ての生き物が幸福に暮らしている桃源郷のように思えました。

それから、白保の海を守ろうとしている村の方々の支援をすることが、私の日常となっていきました。

白保は私に沢山のことを教えてくれました。
村人総出で祈りのための儀式を行なう。それによって自然の循環が保たれる。
村の暮らしの根幹に祈りがありました。鳥も獣もサンゴも魚もヒトも皆、穏やかに冗談を言いながら楽しげに暮らしている。そんな空気に満たされていました。

そんな場所に経済優先のシステムが殴りこみをかけてきた。
私だけではなく白保の素晴らしさに魅せられた人々の輪が拡がり、白保の海を潰すなというムーブメントが大きなうねりとなっていきました。

今日はここまで、続きは又明日。ユタシク!


どうして「ゆかるひ」を創ろうと思ったか その6

2016-08-24 10:02:14 | インポート
グスウヨオチュウウガナビラ、ハイタイ!道子でーびる

「夢空間」五周年企画も終え、毎日近所のガキンチョ達にまみれながら日々忙しく過ごしていた頃、石垣島の白保という村から「命の海」を助けてください!というニュースが入りました。

その頃、私は阿嘉島の素晴らしい海を初体験し海の世界の美しさ、不思議さに心を奪われていた時期でした。白保からのニュースは戦争中も海からの糧で命を繋いできた「命つぎの海」が巨大空港建設のため潰されそうだ。というものでした。

そんな素晴らしい海を見てみたい、ということで「夢空間」の常連さんたちと白保ツアーに出かけました。

続きは又明日。ユタシク~