シリーズもので書いていく予定の
「僕」をさがして はじまりました。
あまり文才ありませんが、どうぞご覧になってください。
よろしくお願いいたします。
1979年新春に 僕は誕生 次女として誕生しました。
父母ともに、とても子煩悩で、女の子ということもあり、舐めるような勢いで手塩にかけて育てられました。
父は自営業で、母は専業主婦。兄弟も多く、多くの人の中、何不自由なく育てられました。
今、思えばうちの家は裕福な方だったと思う。
兄弟が多いにもかかわらず、服は新しい服を買ってくれたし、古いが家も大きかった。
両親は本当に大切に育ててくれたと思う。
本当にありがたい。
僕がビアンであることは、けして両親の育て方の影響ではないと思う。
これは僕が生まれ持った生得的なものだと断言してもいい。
僕は生まれつき、女性と男性の心を持つ子供だった。
子供のころから、男性っぽいところが多かった。
母は僕と違って、女性らしい人で、服装はスカートが好きで、髪は長く、いつもきれいにしていた。
その母から生まれた女の子。
そのため、子供のころは、かわいい服を着せられたものだ。
母が買ってくる服は、いつもリボンがついていたり、ボンボンがついていたり、ピンクを基調とした服だった。
おしゃれに全く興味のない僕だったが、どうも母が買ってくる服は、気に食わなかった。
しかし、子供のころの僕は、着さされるままの人形であり、趣味でもない服をきていたのだ。
もちろん母の希望により髪も長かった。
周りの友達は「髪を伸ばしたいのに、お母さんが短くしなさいって言うんだよ」と言っていた。
「いいなあ。私も短い髪にしたいな」と、思っていたものだ。
遊び仲間も男の子だった。
兄や、弟、近所の男の子と一緒に、キャッチボールしたり、近くの川に冒険にいったり、自転車レースをしたりした。
その反面、女の子がする遊びにはまったく興味がわかない。
近所の女の子が僕を誘ってくれる人形遊びや、おままごと は苦痛でしょうがなかった。
まったく興味がひかれない。
できるだけ、そうゆう遊びには誘われないように、すこし距離をおいて接していた。
それでも、「遊ぼうよ」と言ってくれる好意をむげにもできず、
ときには、おままごとはお父さん役として参加し、どうにか過ごしていた。
つづく
「僕」をさがして はじまりました。
あまり文才ありませんが、どうぞご覧になってください。
よろしくお願いいたします。
1979年新春に 僕は誕生 次女として誕生しました。
父母ともに、とても子煩悩で、女の子ということもあり、舐めるような勢いで手塩にかけて育てられました。
父は自営業で、母は専業主婦。兄弟も多く、多くの人の中、何不自由なく育てられました。
今、思えばうちの家は裕福な方だったと思う。
兄弟が多いにもかかわらず、服は新しい服を買ってくれたし、古いが家も大きかった。
両親は本当に大切に育ててくれたと思う。
本当にありがたい。
僕がビアンであることは、けして両親の育て方の影響ではないと思う。
これは僕が生まれ持った生得的なものだと断言してもいい。
僕は生まれつき、女性と男性の心を持つ子供だった。
子供のころから、男性っぽいところが多かった。
母は僕と違って、女性らしい人で、服装はスカートが好きで、髪は長く、いつもきれいにしていた。
その母から生まれた女の子。
そのため、子供のころは、かわいい服を着せられたものだ。
母が買ってくる服は、いつもリボンがついていたり、ボンボンがついていたり、ピンクを基調とした服だった。
おしゃれに全く興味のない僕だったが、どうも母が買ってくる服は、気に食わなかった。
しかし、子供のころの僕は、着さされるままの人形であり、趣味でもない服をきていたのだ。
もちろん母の希望により髪も長かった。
周りの友達は「髪を伸ばしたいのに、お母さんが短くしなさいって言うんだよ」と言っていた。
「いいなあ。私も短い髪にしたいな」と、思っていたものだ。
遊び仲間も男の子だった。
兄や、弟、近所の男の子と一緒に、キャッチボールしたり、近くの川に冒険にいったり、自転車レースをしたりした。
その反面、女の子がする遊びにはまったく興味がわかない。
近所の女の子が僕を誘ってくれる人形遊びや、おままごと は苦痛でしょうがなかった。
まったく興味がひかれない。
できるだけ、そうゆう遊びには誘われないように、すこし距離をおいて接していた。
それでも、「遊ぼうよ」と言ってくれる好意をむげにもできず、
ときには、おままごとはお父さん役として参加し、どうにか過ごしていた。
つづく
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