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遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

EGFR

2025-08-15 20:34:46 | 肺癌

10時半に自宅を出て、12時15分に病院に着き、

12時半〜13時という医師からの指定時間だったのが、

診察室に呼ばれたのは14時過ぎ。

 

↓  「説明と同意書」

これに沿った話。

2023年の術後に調べた遺伝子検査のEGFR変異が陽性、

ということで、EGFR阻害薬という薬を飲むんだそう。

飲んだ7割8割の人に効果があり、癌が小さくなるそうだ。

(抗がん剤は3割の人にしか効かない、と医師が言ってた。)

だから、私にはEGFR阻害薬が効く! と信じよう。

 

 

医師の説明の後、2度目の問診票を書かされ、

入院説明を受け、会計が終わったのは16時近く。

もう病院内には患者もまばらで閑散としていた。

待ち時間がとても長い日だった。

 

 

◆8月27日から入院。

私と子ども(どちらか)で、医師からの説明を聞く。

血液検査とレントゲン。

◆翌28日から、朝8時に毎日飲む。

9月3日に、血液検査とレントゲン。

◆4日か5日に退院? ハッキリ書いてない。

医師は入院は1週間と言ったけど、

入院日と退院日を合わせて9日? 

 

娘と息子に半々で来てもらう予定。

これから、2人と日程合わせ。

 

ゆーちゃんはだいぶ弱っていて介護状態なので、

子ども達にはどうしても自宅に居てもらわないと困る。

ゆーちゃん、みるみる頼りない感じになってきた。

去年の12月まではあんなにはハツラツとしたお顔だったのに。

ああ、ゆーちゃん、そういえば11月12月から、

2人して体調を崩し始めたよね。

ママが退院して帰ってくるまで元気にしていてよ。

仕事を辞めて、ずっと自宅にいられたらいいのにね。

 

18日月曜は、支所や同僚達に伝えて、人の段取りしなくては。

 

 

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お盆

2025-08-14 08:20:49 | 肺癌

お盆ゆえ、

最低限、お盆らしきことをする。

 

11日は晴れたり降ったり。

12日1日土砂降り。

 

13日気温低めに晴天。

朝8時にお寺に行き、同級生住職とチラリ長話。

お盆過ぎたら直腸癌手術なのに、まだ喫煙しとるし。

私が行ったら、3才上の現役看護師檀家さんにお説教されてた。

私もお説教と脅しに加わる。

術後殺してくれってほど痛いよ、麻酔効かないと生き地獄だよ。

看護師姐さん、しまいに呆れて、「たうぇなし!」と叫ぶ。

住職、奥さん、私、大爆笑。

※「たわい無し」の地元方言。意味は、稚拙で分別がなくアホ。

小学校の悪ガキ時代と変わらぬバカぶりがロックでいいわ。

 

◆3月から放射線治療28回通い、抗がん剤もやり、

癌が小さくなり、癌マーカーも1/10になったので手術。

手術で取りきれない(散らばる)微小な癌は残るだろう。とのこと。

トシオだけ生き残って、私が死ぬと悔しいから、

わたくし、絶対生きねばならね。

 

 

その後、お墓へ。お寺から100メールちょっと。

11日の晴れ間にお墓周りの草むしりした。

隣にお墓が並ぶイトコが、

そこそこ綺麗にしてくれてたのを細かく仕上げ。

花立を洗ったり、ちょこちょこ掃除。

1時間半やったら疲れ果てた。 

 

13日午前、花を立てて起き、

午後4時ころ、お墓まいり。

父・母に、

「まだ私は入らないよ、よろしくね。」と伝える。

 

 

さて、ズルズルやってなかった仏壇のお盆仕様。

13日夕方にやるだらしなさ。

非常にシンプルというか、質素すぎ、というか、

これでご勘弁を、な略式にしてお金かけないスタイル。

風情溢れる蟷螂が4つあるから、

それは出そうと思ってたけど、結局、出さず。

蟷螂の灯りを見つめてると、心が冥界に行きそうだしね。

 

 

ゴーヤチャンプルと鉄火巻き寿司のお皿は何?

お花もやや寂しいけど、いいや。

お線香がたくさん立つのは、

わたし、ゆーちゃん、娘、息子、

息子妻、孫、娘彼氏  の分で7つ。

みんなの分を祈っておいた。

そして、また言う。

まだ、そっちには行かないよ。

 

15日は、病院で薬の決定と入院日程決め。

 

 

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共存

2025-08-07 22:24:35 | 肺癌

①  7月11日(肺から腹部のCT、血液検査←癌マーカー)

②   7月18日(前日に再発の電話を受け、急遽説明を聞きに)

③  7月24日(脳のMRI)  

 ④  7月31日( PET-CT)

⑤  8月5日(検査結果の説明と今後の治療について)

   ↑ ここまで2年半、呼吸器外科

 

   ↓ 今日から担当が呼吸器内科に移行

⑥  8月7日(病状確認と治療説明など。血液・尿・心電図検査)

 

この1ヶ月の間にがんセンターに6回行ってる。

8月15日も行く。← 7回目

 

 

◆◆◆医師への質問でクリアになった点

・私の場合?放射線治療は「ない」とのこと。

・抗がん剤も放射線も薬も癌を完全に消すことはできない。

・再発の場合ステージいくつというのはなく、いわばステージ4。

・薬は2年くらいで効かなくなる。別の薬か抗がん剤治療になる。 

・再発すれば、内科が担当になる。抗がん剤も点滴だし。

 

あと何があったかな? また思い出すかも。 

薬のんだり放射線治療しながら仕事してる人は、

癌と共存して生活してるんだなあ、とわかった。

で、私もその道を歩むわけか?

 

 

5日、岡田くんに、

「薬を飲まないと進行するんですか?」と聞いたら、

「進行するね。」とキッパリ言ってから、重ねて、

「薬飲まないって事は、もう治療しないって事になる。」

と、毎度の横目で私の目をとらえ、ちょっと皮肉っぽく笑った。

私がそーゆー事を言い出しそうな人間だと、彼は知ってる。

言われてなんとなくムッときた。

飲まないと確実に死ぬよ、と言われた気がした。

岡田くんとの付き合いは、これが最後と気が付かず、

ろくにお礼も言わずに診察室を出た。

いつもは丁寧にお礼を言い、岡田くんも柔らかく言葉を返して終えるのに。

非常に頭が混乱し動揺していたから、息子の後からぼぉーっと出て来た。

 

 

帰宅後に、息子と娘にコピーペーストでLINE送信。

↓ これは息子に。

 

      ↑ 遺伝子異常の検査をしたら、

      ある型に陽性反応があった、ということ。

 

 

↑ 岡田くんの話はいつになくクールで突き放された感じを受けた。

もっと質問をしたかったが、言葉が出なくなっていた。

岡田くんは、もう自分の患者から外れた人に関心はなかった。

帰宅後にセカンドオピニオンを考えた。

近くの県立病院の(最初に癌宣告をした)医師の所に相談に行こうか?

術後1年経った頃、定期検診の件で相談に行ったことがある。

母の病中の対応時から、とても信頼している医師だ。

診察日程を調べると、彼は近々では診察日がなかった。

 

仕方ないので、何も考えないようにして、

7日を迎えると、

内科の先生は、岡田くんとは打って変わって優しかった。

この医師は真っ直ぐ私に向いて目を見て話をする。

私は数分で彼女の言葉を信じ、安心感を覚えた。

 

 

娘の職場には、放射線治療しながら働く人が数人いるそうだ。

同級生の友達は、5年前に、3ヶ月間入院して放射線治療して仕事復帰した。

て、みんな、癌は小さくなったり進行を抑えはしてるが、

癌はちゃんと体内にある状態だってことだ。

 

 

昨晩は、夕食を食べてる最中に、吐いた。

チャットgptに、薬の副作用を聞いたら、世にも恐ろしい中身だったからだ。

病院で測った5日の体重から今日の体重は、1キロ以上減っていた。

癌の再発と告げられただけで、気持ちは一気に落ち込んだ。怒りにも似てる。

7月11日から食欲は消えた。当初は暑さもあったかもしれない。

食べたい物も美味しく感じる物もなくなった。

PET-CT前の飲食制限からは、食べる気がなくなった。

体重が落ちて体が軽くなった。

再発に気を取られ、坐骨神経痛は軽減した。気になる対象が変わったのだろう。

 

 

私も共存の道を選ばざるを得ないのだろう。

それしかない。

医師を信頼できれば、あとは怖くない。

 

 

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入院して薬の薬害をみる?

2025-08-06 05:52:33 | 肺癌

チャットgptのGminiで、聞いてみた。

 

右肺に再発し、手術できないから、

遺伝子異常の薬を飲むことなったが、

入院が必要と言われた。

入院して、様子を診る必要があるほどの薬害があるのか?

 

というような文章だ。実際はもう少し丁寧で長めだった。

 

すごく恐ろしい反応が書いてあった。

重篤な反応が起こることもありうる、とか。

 

明日、11時半から診察室。

2022年12月、最初にがんセンターで診察した女医が担当になった。

 

 

どうなるんだろう。

恐ろしい。

 

 

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うちの母もそう言ってた

2025-08-06 05:48:12 | 肺癌

なぜ多くの医師は「がんで死にたい」と話すのか…89歳で亡くなったホスピス医が残した本当にいい死に方とは
8/5(火) 18:16 Yahoo!ニュース
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chinnapong
がんで死ぬことは不幸なのか。長年、消化器外科医やホスピス医として勤務し多くのがん患者を看取った小野寺時夫さんはそれを否定する。小野寺さんの同名書籍を新装復刊した『私はがんで死にたい』(幻冬舎新書)より紹介する――。(第1回)

【この記事の画像を見る】

■「ポックリ死」は本当にいい死に方なのか

 日本人は、死を口にするだけで「縁起でもない」と嫌う傾向が強い民族ですが、折に触れて「死」について考え、語り合うことが、逆によく生き、よい死を迎えるために欠くことのできないことだと私は信じています。

 高齢になるにつれて身近な人や知人の死に接することが多くなると、自分はいつ、どういう死に方をするだろうかと誰もが考えると思います。

 近年は、「ポックリ死」や「ピンピンコロリ」を望む人が増え、ぽっくり寺(寝たきりや認知症にならず、ぽっくり往生できることを祈願する寺)参りも盛んだと聞きます。仲間の医師のなかにも、眠ったまま目を覚まさないで逝くのが理想だという人もいます。

 長い間寝たきりになったり、ひどい認知症になったり、がんで苦しんだりしたくないからでしょう。

 認知症の進んでいる人やかなり高齢の人なら、ローソクの火が消えるようにフッと死ぬのはメリットがあります。しかし、そうでない多くの人にとって「ポックリ死」が本当にいい死に方なのでしょうか? 私にはそうとは思えないのです。

■死ぬ前に別れの一言も交わせず…

 腰痛持ちの女性Kさん(71歳)のカルテを見ると、飲んでいる睡眠薬と抗うつ薬の量が次第に増えているので、飲み始めたきっかけを聞くとこうでした。

 2年前のある日、夕食の後に些細なことが原因でKさんは夫に小言をいいました。無言になった夫は毎日欠かしたことのない風呂にも入らず、早々に床につきました。翌朝、いつも早起きの夫が起きてこないので覗いてみたら、息をしていなかったというのです。

 Kさんの夫は農家の次男で、分家してもわずかな農地しかもらえませんでしたが、荒れ地を安く買い足して夫婦で苦労して開拓し耕地を増やし続けました。やがて、優良農家として表彰されるまでになりました。亡くなる数年前からは、老夫婦だけで無理なくやれる広さだけに縮小し、これから旅行などを楽しもうと話し合っていたそうです。50年間一心同体で励まし合いながら生きてきたのに、死ぬ前に何の世話もできなかったこと、別れの一言も交わさなかったこと、そして些細ないさかいをしたことの無念さで頭がいっぱいになり、どうしても眠れなくなるというのです。

■夫の突然死で経済的に追い込まれた

 私が担当した肝臓がんの女性Mさん(70歳)の夫は、従業員15人ほどの医療機器会社を経営していましたが、3年前に心筋梗塞で急死しました。

 「ワンマン経営」を続けていたので、Mさんと2人の娘さんは会社経営のことにはまったく無知で、そのため結局、会社は閉鎖に追い込まれました。その後、空いたビルを隣の産婦人科病院院長の女医に病室修理の間だけと頼まれ、しかもほんのわずかな家賃で半年貸したのですが、2年経っても立ち退かず、結局は大変安く買い叩かれたそうです。

 残されたMさんと娘さんは夫の突然の死をきっかけに経済的にも追い詰められ、高額な不動産を破格の安さで手放さざるを得ない破目になったのです。

 場合によって「ポックリ死」は、本人にとってはいいかもしれません。しかし、比較的若くして亡くなる場合はもちろんですが、高齢になってからでも配偶者や家族との絆の強い場合は、遺族に、癒やすことがときには困難な心の傷を残すことが多いのです。

 30代や40代で夫を突然亡くした女性で、精神不穏(興奮して落ち着きがなくなること)や原因のわからない痛み・灼熱感の発作が生涯続く人がいるということをよく聞きます。

 高齢になっても突然の別れは、遺族に無念さを残すことがあります。そして、特に自営業者の場合、経営者の突然死で経営が破綻し遺族は経済的に困窮する例が意外に多いのです。

■突然死が家族に与える重大な影響

 絆が強い夫婦で配偶者が突然死したときの心の傷は、病気で世話をした期間を経て亡くなったときよりも深いのです。やはり「突然死」は家族の心に激しい一撃を与えるのです。

 家族が死を受け入れるためには、ある程度の準備期間が必要であり、亡くなっていく人の世話をしたという心情も大切で、それがないと心に癒やし難い無念さを残すことになるのです。親に突然死された子どもの情緒障害は治療が極めて困難だと聞きます。

 友人の弁護士は奥さん(71歳)が突然、心筋梗塞死し、多忙ゆえに奥さん孝行をまったくしなかったことを嘆いていました。その友人は奥さんの死後1年ごろから認知症になり、次第に進行してしまいました。

 私の従兄(73歳)の奥さんが脳出血で突然死したのですが、その後1年経っても、従兄が奥さんに長年世話になったのに何のお返しもできなかったと悔やんでいました。そして、急に認知症が進み、奥さんの死の2年後に老衰様で自分も亡くなったのです。知人の高名な大僧正も、死が家族に与える衝撃は、突然死が最も強く、長く尾を引くといっています。

■「がん死」が最も自然な死に方

 「ポックリ死」がよくない、といっても、そもそも人は死に方を自分で選ぶことができません。

 がんは40代から80代までにおいて死因の第1位です。

 90代になると心臓病が多くなりますが、がん死は全年代を平均すると3人に1人の割合になります。60代から80代前半に限れば2人に1人の割合に近づいているのです。がん死の割合は今後の高齢化の進行に伴ってますます大きくなるとみられています。

 がんになると、若い人だけでなく高齢の人でも大抵は、「どうして自分がこんながんなどになったのか」と自分の不運を嘆き、早晩訪れる死に向かっていかなければならないつらさがあるので、多くの人が「がん死」を嫌っているようです。しかし、人の死に方として「がん死が最も自然」なのです。

 「がん死」は「ポックリ死」と違い、例外もありますが、多くの場合で助からないとわかってからも半年から2年ぐらい普通に生活できる期間があります。そう長くはない期間ですが、人生の最期を自分なりに締めくくることもできます。

 たとえ短くても、人生の最終期にやりたいことをやったり、死後のために整理をしたり、周囲の人に別れをいったりすることもできるのです。そして、実際にがん死を前にしての生き方は人それぞれ、百人百様なのです。

■だから医師は「がんで死にたい」と話す

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・配偶者が死を迎えるまでの数年間は、夫婦としての精神的な結びつきが一層深まり、人生の原点に立ち戻ってお互いに語り合いながら濃密な時間を過ごすことができ、それまでの何十年にも勝る価値のある生活だったと語る人が時々います
・自営業者などで、死後のための整理や対策を立派にする人がいます
・死の直前まで仕事を続ける人、あるいは趣味に没頭する人もいます
・亡くなる前に、親友や兄弟姉妹などとの宴会を頻繁にする人がいます
・亡くなる1週間から数日前に、家族に最後の言葉をかけ、私たち医療スタッフにも丁重にお礼をいう人がいます
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 がん死につらい面があるのは事実ですが、がん死は心、魂、感情を持つ人間に最も相応しい死に方なのです。

 人の死に関わっている私の友人の医師たちのなかでも、「自分はがんで死にたい」という人が多いのです。

 

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小野寺 時夫(おのでら・ときお)
ホスピス医
1930年生まれ。東北大学医学部卒業、同大学院修了。消化器がん外科専門医、ホスピス医。1968年、東北大学医学部第二外科専任講師時代に日本で最初に中心静脈栄養法に着手し、これが全国に普及。米コロラド大学病院で、当時最先端の肝臓移植に携わったあと、1975年から都立駒込病院に勤務。のち同病院副院長、都立府中病院(現・都立多摩総合医療センター)院長を務め35年以上にわたって消化器がんの外科治療に携わる。その後、多摩がん検診センター(のちに都立多摩総合医療センターと統合)所長、日の出ヶ丘病院ホスピス科医師兼ホスピスコーディネーターなどを歴任、緩和ケアに携わる。外科医時代を含めて5000人以上にがん治療をし、3000人の末期がん患者の最期に立ち会った。2019年10月、がんで逝去。享年89。著書に『治る医療、殺される医療』『がんのウソと真実』『がんと闘わない生き方』など。
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