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遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

息子一家と幸せな時間

2025-05-30 04:50:43 | 家族・家族まわり

そろそろ最後の投稿かな。

息子一家は丸24時間滞在して帰京。

日曜日の14時に瀬波温泉の旅館到着。17時合流。

夕食はすぐ近くの大江戸温泉ホテルのバイキング。

(日帰りプラン→ 夕食+お風呂、税込4500円)

 

久しぶりに会った。2歳3ヶ月。

息子とよく電話してるから、←スピーカーで声が聞こえてる

私の声が、やっと実物と一致したようで、

今回の初対面では、私が話しかけたら、目を見開いて、

「あいこしゃん!」とニッコリ笑ってくれた。

それからは100回くらい、「あいこしゃん」と呼びまくり。

なーちゃん(ママ)に髪をパッツンと切ってもらい💦←しかもギザギザ

なんか変だけど、可愛いから、まあいいか。

 

食後、このホテル内の売店で、

トミカのミニカーやサメのオモチャなど買ってあげ、

宿泊旅館に戻って話して過ごした。

孫はバイキングですっかり私に慣れて手をつないで歩き、

部屋では私に抱っこされて、お膝でミニカー遊び。可愛い。

息子一家はロングドライブで疲れたろうから、

夜もふけぬうちに、私は帰宅。

 

翌朝早起きして、お料理6品と、お弁当作り。

買っといた地場産の上質豚肉やウインナーなど合わせて、

東京の自宅での夕食用・数日分食料を、

保冷剤たくさん入れた箱に詰めて、お土産完成。

写真を撮る余裕は全くなかった。

 

息子チェックアウト後に、道の駅など寄ってから、

我が家に迎えに来てくれて、

息子の車に同乗して海岸線ドライブ。

孫は後部席でママと寝たり起きたり。

私は助手席で息子とお喋り。

息子お気に入りの、

塩釜(塩作りと販売。海側外カフェ、内カフェ)のお店で一服。

というか、息子はここに来たかったらしい。

お天気は曇り。でも雨はまぬがれラッキー。

 

ほんの少し遅めの昼食は、

チェーン店ではない、地魚豊富な地元のお寿司屋さん。

(店内の造りは回転寿司と同じ。タブレットは無くて、

注文は紙に書いてカウンターから手渡しか、口頭で。)

息子も奥ちゃんも、美味しい美味しいと大喜び!

お米美味しいし、ネタがデカいし新鮮だし。

2人ともたーくさん食べて幸せそうで、私も幸せ。

孫は卵焼き大好きで、3巻食べたかな? 2巻かな?

 

 

これは、「にーさいです!」としてるところ。

まだ人差し指と中指の「2」が難しい時期。

息子も2歳の時はこうだったなあ、と懐かしくもある。

私に孫という存在を授けてくれて本当にありがとう、息子。

そして、こんなに健康でいつもニコニコ、穏やかで良い子。

呆れるくらい溺愛する息子夫婦と孫、なんて幸運なことだろう。

息子夫婦はほんとに仲が良くて、

息子は家事も子育ても何でも一緒にやっている。料理は息子が得意。

魂が呼び合って出会うべくして出会ったパートナーって感じ。

昔の自分の時を思い出すと、もう心から羨ましい。

 

息子が2歳の頃はすでに、私たち夫婦は破綻していた。

その中での、実質ひとりでの子育ては、負担が重かった。

破綻した中で、離婚せずに氷河期みたいな生活を8年送った。

人生の最大の無駄だった。

以後、子ども達にも、よく言って来た。

仕事でも恋愛でも、ダメだなと思ったら、即刻やめなさい、と。

我慢や忍耐は最悪の選択だと。すぐ次いけ、と。

あ、また、横道にそれた。

 

ほんとにほんとにありがとう、息子もなーちゃんも孫も。

最高に心満たされる幸せな時間だった。

 

最後に地元の海をぐるり回ってながめて、 

息子に自宅に送り届けてもらい、バイバーイ!

孫が、「え? あいこしゃん、ばいばい、しゅるの?」

と、ちょっと寂しい困惑顔してくれて、なんて素敵な子!

幸せ。

 

 

でも私は、もうバッテリーが切れていた。

私が帰宅して喜ぶゆーちゃんと1時間半夕寝した。

 

 

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カーネーション

2025-05-11 10:29:25 | 家族・家族まわり

 

宅配便が来て、何だろ?と思ったら、

娘から母の日のカーネーションだった。

 

というか、今日は娘の33歳の誕生日!

 

 

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風邪

2025-05-04 17:40:40 | 家族・家族まわり

娘は帰省予定だったけど、風邪でキャンセル。

娘と彼氏は2人して熱出して自宅で寝てる。

 

で今日午前は、娘にお米を送った。

「こっち(東京)は輸入米しかないよ。」と言うではないか!

どいこと、それ! 

セージ家が皆んなバカだから、日本がめちゃくちゃだ。

というわけで、

同級生のお米(玄米30キロで8000円)を精米し、

白米15キロを発送した。

最後の「最安値@お友達価格米」だ。

 

 

↓は、今朝のLINEのやり取り。

風邪がまだ治らない様子。

マグロ屋は今すごーく忙しいらしい。

忙しくて疲れが出たのかもね?

 

 

娘は、↑ こんな話をする子じゃなかったのに、

なんだか、お利口な人みたいな事を書いてくるようになった。

以前は、省エネ電報文よこして読解不能だった。変わったね。

え? この程度じゃ、全然お利口ではない?

いやいやこの子、30過ぎてから、ちゃんとした文を書くようになった。

私から見ると、たいした進歩だ。まともな人になった。

 

 

昨日から今日午前中は、

なんでこんなにダルいんだろう。

私はもう「仕事」を続ける体力などないんじゃないか?

足腰も普段より痛いし、全身がダルくてやる気が出ない。

老化がハイスピードで進んでるの?

と思った。

けど、たぶん、風邪だ。

鼻がクシュクシュしてきた。くしゃみも出る。

子どもから移ったかな? 

ゆーちゃんとさっき港を散歩した時、寒かった。

あれから体が冷えている。

 

それで、午後からは寝てることにした。

まず、体を休めて治さなきゃ。

 

息子も娘も大丈夫。うまくやっていくはず。

あとは私。

学童は年内か来年3月で辞める。

私にはやりたい事がある。

道を開かないと。

これ以上年齢がいけば、体力が落ちてできなくなる。

先延ばししていられない。

 

あー、寒気がする。熱が出るかな?

 

 

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12年前

2025-05-04 16:20:59 | 家族・家族まわり

 

12年前のFacebookの投稿が浮かんできた。

息子は大学1年。

ハンドボール部に入ってすぐ、先輩らに認められ、

オマエはうちの部を背負っていく奴だ!と期待されていた。

ハンドボールの実力は、

他の強豪高から来た子に劣っていたにもかかわらず。

息子はなぜかどこでも、年上の男子・男性らに好かれる。

経済上の理由から大学を半年で辞めた。

19歳ちょうど。

 

大学を辞めてすぐの8月、

新潟の私の実家でひと月1人暮らしをして、運転免許を取った。

 

9月、私は息子の東京のアパートを決め、

最低限の家具とたったひと月分の生活費を手渡し、

10月には新潟に移住した。

 

息子はそこから完全に1人で生きてきた。

私は息子に仕送りしたことはない。

 

①ピザ屋でバイト。

運動部を辞めたショックもあったし、やりたい事がわからなかった。

2年か3年くらいやった。私は一切口を出さなかた。

 

②配送の個人経営者。

とにかくお金を作ることした。すごくキツいが収入は高い。

1年かな?もっとやったかな? 

この仕事は消耗するだけ。体力の限界が収入の限界と辞めた。

 

③スポーツジムのバイト、契約社員、正社員となり、

最年少でマネージャー、支配人を2ヶ所で勤めた。

 

子どもが産まれる半月前に、

全く畑違いのIT会社に転職した。28歳だった。

 

②では同職の勢い盛んなお兄さん達に可愛いがられていた。

そして交通事故を起こした時、彼らが全力で後始末してくれた。

③の時は世田谷にある赤字経営の店舗を黒字化すべく、

支配人に一緒に立て直そうと誘われ、息子も躍起になって取り組んで、

2人で2年で黒字にした。それが評価され最年少支配人になった。

 

ほんとに息子はエライ。

高校の担任はよく「オマエはどこに行ってもやれる!」と言ってた。

 

息子はこの連休は一家で奥さんの実家に行ってる。

そこから昨日午前9時、土曜恒例のLINE電話してきた。

私は自宅前の草むしり中。

ちょっと手を休めて電話に付き合った。

 

12年前の私に教えてあげたい。

そんなに思い煩わなくても擦り切れなくても、

いい方に行くよ、大丈夫、って。

 

 

時間がかかったけど、

未来は明るい気がしてきた。やっとやっと。

子どもが大人になると、こんなにありがたいものか。

 

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近ごろの叔母

2025-04-30 02:08:48 | 家族・家族まわり

 

前の前の学童で土曜勤務でよく一緒に組んでいて、

この3月から、うちの学童の助っ人要員になってもらった人から、

採れたてタケノコをいただいた。

以前もこの時期に何度かいただいた事がある。

いちご、白菜やキャベツ大根、タケノコ、タケノコ缶詰、

あと何だろ、いろんな物をくれる人だ。

 

その人の自宅はわりと遠い。

なのに近くまで持って来てくれると言うので、

私も急いで「お返し」を用意した。

 

 

道の駅で、サバの一夜干しと、粒あんの笹団子を購入。

山の幸のお礼は海の幸?

以前は、叔父の獲った生鮭やヒラメのお刺身などをあげてた。

叔母も元気だったから、

お刺身も鮭を捌くのも、サッとやってくれた。

だけどもう今は無理になった。

今回はノルウェー産のサバだ。加工してる商店がすぐ近所。

ま、これはこれで、味もいいから良し。

 

 

3つのタケノコは……

1本は、先日、双子卵をたくさんくれたカヨちゃんに。

残り2本は茹でた。

 

夕方5時頃、叔父から電話が来て、

どーしても夕食に来いとしつこく言うので、

茹でたタケノコ1本分と、

お稲荷さんにしようと煮た油揚げを持参して出かけた。

で、叔父宅にて、その場でお稲荷さんを作って、2人に食べさせた。

タケノコは明日お味噌汁にでもするだろう。

 

叔母はホントだいぶボケてきた感じがする。

認知症が出てくると料理が次第にできなくなっていく。

母もそうだった。

だから話すことがまともでも、叔母の料理で進行具合も分かる。

 

カヨちゃんは、私より2人に接する時間が多いから、

たまに電話で、叔母の奇妙な言動を報告してくる。

とっくに亡くなった舅姑が「そこにいる」と言い出すんだとか。

「いないよ、どこに?」と聞くと、

「ほら、そこに横になってる。」とソファを指したり、

ちょっと上を見ながら、「そこにいる、そこ。」と顎を向けたり。

叔父が同席してると、すごくイラついた声で、

「バカなこと言ってんじゃない!」と怒ってるそうだ。

そういう話は、私がいる時には全くしない。

カヨちゃんの前では何度もあったらしい。

 

今日は、お嫁さんを褒めてた。

褒めるのを、初めてきいた。あり得ない。

で、「誰だっけ、あの子、午前来ていたの、誰?」と叔父に聞く。

叔父はカッとして、「誰も来てない!ヨシコがいただけだ!」と答える。

「あー、そうそう、ヨシコちゃん、あははは。」

不気味だった。ちゃん付けするのも、初めて聞いた。

嫁の名前や、他人か家族かが一瞬わからなくなってた……

 

漁に出なくなった叔父と、息子夫婦がいるから、

今んとこ、叔母はそんな調子でもギリギリOK範囲。

うーん、でも、目に見えて進んでいる。

 

 

老いるって、どうにもならないけど、

ほんとに受け入れ難いよねえ。

タケノコのお味噌汁はちゃんと作れるんだろか?

 

 

 

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