娘は21日で今までの勤め先を辞め、
やっと千葉県から脱出、今日、引越しを終えた。
娘曰く、
コウキとコウキの家族以外は、皆いい人達だった。
( コウキ 🟰 別れた夫 )
でも、もうコウキのことは何にも考えなくなったとか。
良かった良かった。さっぱりしたね〜
で、新しい職場(←豊洲)でもらったマグロをお裾分けしてくれた。
私の好きなフレバリーコーヒーと、タイの調味料など。
↑ 大きなマグロ。
ステーキとかカルパッチョとか、サラダ用、だとか。
黒いのはよく見たら、(ホタテ用の)保冷剤であった。
マグロカマは、焼くのかなあ? 煮付け?
サーモンは大好きだけど、
マグロはそーでもないので友達にあげる。
10月1日から、娘は新しい職場に出勤。
娘は、やっぱりあの時(入籍直前に揉めた時)に、
結婚をやめてしまえばよかった、と言ってたけど、
私はそうは思わない。その逆だよ。
結婚しないで終われば、
その後、壁に突き当たって辛い時に、
ああ、あの時に結婚していれば今は楽だったんじゃないか、
ときっと思う。何かあるたび毎回思う。
結婚をやめたせいで、幸せを逃したんじゃないかと。
そういう夢まぼろしを想って後悔をしないで済む。
結婚してわかったから。
結婚相手はアレじゃダメだった。こちらの努力の問題ではない。
娘の人生には必要だったのだ、この「結婚勉強」の時間。
人生の1年半、32歳。 ぜんぜんOKだ。
しかも、子どもがいない。
ストーリーは娘に味方した。
世田谷の小学校中学校時代の女友達が、
娘とほぼ同時期に、千葉県某市で結婚して住み、
娘が夜逃げしたひと月後に、
彼女も(父母の助けを呼んで)夜逃げした。
その子は小学校の教師。お父さんも校長をしていた。
そんな真面目な家庭の子でも、
娘と同じ苦悩で逃げ出したのだ。
昭和の嫁の役割りを、夫もその両親も求めるからだ。
それを「常識」だと思い込んでいて、手がつけられない地域性。
いくらNOと言っても、同居、同居と繰り返す親。
子を産んで、夫に頼らず子育てしながら仕事をして、
家にお金を入れ、同居する両親の分も含め、
家事一切をやる、親の老後の面倒もみる、それが嫁のツトメ。
はあ??
・・新潟の田舎でも、今どきそんなこと言う人はいない。
結婚前の会食の時に、私は向こうの親にキッパリ言い渡した。
「嫁にやる、というつもりは、毛頭ありません。おほほほ。」
バカ言ってんじゃないよ、こんなお金かけて苦労して育てて、
アンタんちの、奴隷労働者にさせるわけないじゃん。
そんな話なら、中国のど田舎から買って来なよ。
不思議なんだけど、2024年でも、そんな場所だ、あの辺は。
意識が、昭和30年40年代で止まってる。
だから、すごく真面目なアコちゃんも、
耐え難きを耐えてみたけど、やっぱ無理ー!
と父母に迎えに来てもらって逃げたのだ。
昭和ど田舎気質の家の長男は、似たようなタイプなのだ。
だから、なんと、娘とアコちゃんは、
1年半の千葉離婚仲間になった。
娘の高校大学時代のバイト(球場の売り子)仲間が、
これまた同じような悩みで、近々、離婚しそう。
千葉の田舎っちゃあ、新潟より田舎だ。
あれ、文章が長くなった。寝よう。