YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

11月9日

2009年11月09日 | INTELLIGENCE
 1921~22年にかけて、五大海軍国(米英日仏伊)の間で、
 主力艦保有率の比率をめぐる交渉が行なわれた。
 いわゆる「ワシントン軍縮会議」である。
 このとき、日本は「米:英:日」の比率を「10:10:7」と主張していたのだが、
 実は妥協線として、「10:10:6」も止むなしと覚悟していた。
 米国は通信暗号の解読で、すでにそのことを把握していたため、
 日本側の主張をことごとくはねつけた結果、
 最終的に米国の望み通り、保有比率「10:10:6」で決着したのであった。

 当時、米国の暗号解読チームは、「ブラック・チェンバー」と呼ばれ、
 ハーバート・ヤードレーという人物がトップに立って指揮していた。
 だが、待遇面の不満などから辞職し、
 ワシントン軍縮会議の裏側を明かした暴露本を発表したのである。
 
 ハーバート・O・ヤードレー/近現代史編纂会編
 『ブラック・チェンバー 米国はいかにして外交暗号を盗んだか』
 (荒地出版社、1999年)

 この暴露本はすぐに邦訳され、当時の日本でも大きな話題となったらしい。
 だが、ヤードレーがその後、いくつかの職業を経た後、
 中国にわたって蒋介石の下で再び日本の暗号解読に従事していたことは、
 案外、知られていないかもしれない。
 
 Herbert O. Yardley
 The Chinese Black Chamber: An Adventure in Espionage
 New York: Houghton Mifflin Company, 1983

 これは、ヤードレーが中国(重慶)に滞在し、暗号解読に従事していた頃の回顧録である。
 実を言うと、古くから中国では、暗号技術があまり発達しなかったと言われている。
 その理由としては、表意文字である漢字が暗号に不向きだったからだとされている。
 回顧録によると、ヤードレーは文字を記号化することで、漢字のもつ意味を一旦、無効化し、
 その上で暗号理論を応用していったようである。
 また、日本軍の航空部隊が使っていた暗号解読にも成功し、
 蒋介石は大いに喜んだのであった。
 
 ところが、ヤードレーは米国に残してきた彼女が恋しくなって、
 重度のホームシックにかかってしまった。
 その結果、重慶に到着して一年もたたないうちにアルコールに溺れるようになり、
 会う人に猥談を持ちかけては、悦に浸るような生活に送るようになった。
 結局、ヤードレーは、1940年7月に帰国することになり、
 二度と中国の地を踏むことはなかったのである。

 ヤードレーの人生は、なかなか波瀾万丈で面白い。
 そもそも伝説的な暗号理論家には、変なキャラクターの人物が結構多いのだが、
 彼もまた、金に対して強い執着心を見せた挙げ句、
 それで失敗するということの繰り返しである。
 中国に赴いた理由も、年一万ドル以上の高給に目がくらんだからであり、
 その分別のなさは明け透け過ぎるくらいである。
 もっとも、日本軍にとっては、ワシントン軍縮会議の二の舞を踏む心配がなくなったのだから、
 ヤードリーの恋人に感謝すべきところだったのかもしれない。