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秘密工作の評価

2010年09月06日 | INTELLIGENCE
 昨日に続いて、ビッセルの回顧録から秘密工作の評価基準を見てみることにしたい。

 Richard M. Bissell, Jr. with Jonathan E. Lewis and Frances T. Pudlo
 Reflections of a Cold Warrior: From Yalta to the Bay of Pigs
 New Haven: Yale University Press, 1996, Chap. 8.

 ビッセルによると、秘密工作の評価においては、専門的な判断が求められるとしている。
 ここで「専門的な判断」というのは、信頼喪失などによって発生する損害と、
 工作活動の成功で得られる成果を比較考量して、政治的な判断を行なうことを意味している。
 そのための基準として、次の4つが挙げられている。

 ①リソース・コスト
 ②短期的な信頼喪失の可能性
 ③長期的な信頼喪失の可能性
 ④信頼喪失やその他の失敗によって生じる工作機関の能力損失

 リソース・コストとは、工作活動の実施に伴って生じる様々な損害を指しているが、
 最も重要なものは、秘密工作に入る前の準備活動である。
 情報協力者の確保や工作資材の調達など、本格的な工作計画を決定するまでには相応の時間がかかる。
 秘密工作と言っても、まったく極秘裏に実施することはできないし、
 規模が大きくなればなるほど、工作活動の動きは相手側に察知されやすくなる。
 当然、察知されれば、秘かに進めてきた秘密工作の準備にも影響を与えてしまうため、
 そうしたコストを踏まえた上で、秘密工作の規模を決定することが必要になるのである。

 一方、秘密工作と一口に言っても、その内容は様々である。
 たとえば、政権転覆や反体制運動への支援といった工作活動の場合、
 短期的に見れば、国益上、正しかったと判断されるかもしれないが、
 長期的に見れば、国家の信頼喪失につながったとして否定的に評価されるかもしれない。
 あるいは、プロパガンダや世論操作といった工作活動の場合、
 長期的に見れば、相手国の意志や行動をうまく誘導することができたかもしれないが、
 短期的に見れば、その成果が非常に分かりにくいため、正当な判断を下すことは非常に難しくなる。
 もちろん、秘密工作以外の手段で政策目標を達成することはできなかったのかという点も、
 評価の基準に加えられなければならないだろう。
 確かに、これらの評価を一義的に定めることは困難であって、
 それが政治的性格を帯びるものであるとしたことは間違っていない。

 しかし、そうであるなら、秘密工作が適切にコントロールされていることは不可欠な条件である。
 個々の工作活動ごとに政府の政治的判断が優先されるとすれば、
 批判論者が指摘するように、政府の暴走を生む余地が与えられることになりかねず、
 それを客観的に監視する制度が設けられてしかるべきであろう。
 ビッセル自身も、工作活動のオーバーサイトをまったく否定しているわけではない。
 ただ、その機能は行政府に置かれるべきであって、議会が担うことに疑問を呈している。
 一つには、秘密工作の内容をマスコミにリークされる可能性が高いこともあるが、
 元来、秘密工作の評価について、議会が行政府よりも有能かつ賢明という保証はどこにもないからである。
 たとえば、1980年代後半に発覚したイラン・コントラ事件において、
 ビッセルは議会の介入がなければ、もっと手際よく工作活動を進めることができたとしており、
 議会の存在は、機密保持と工作活動の有効性に反するとしている。

 こうしたビッセルの考え方には、違和感を覚える人も少なくないだろう。
 だが、言われてみれば、確かに客観的立場の者が常に正しい判断を下せるとは限らず、
 むしろ、詳しい事情に疎い分だけ、杓子定規の判断に基づいた評価が下されることも十分、あり得る。
 ビッセルが指摘したように、それは政治的判断を要する秘密工作の評価には馴染みにくいのである。