亡命者の情報が信じられるかどうかは、情報分析の上で議論が分かれるところである。
第二次世界大戦が終結した頃、米国はソ連や東欧諸国からの亡命者と積極的に接触して、
乏しかった共産圏の情報を収集することに努めた。
米国は建前上、大戦時にソ連と同盟関係にあった。
そのため、モスクワに情報活動の拠点を置くことはしなかったし、
ソ連もまた、駐ソ米大使館を厳しい監視下に置いて、スパイ活動の余地を与えなかったのである。
したがって、主にソ連の情報源として利用されたのは、
ソ連が流す宣伝放送と共産体制を嫌って西欧諸国に移民・亡命してきた人々から情報であった。
国務省政策企画室の文書を読むと、1948年の段階で、そうした計画が浮上しているが、
軍部の方では、それよりも早い段階で尋問調査を通じた情報収集が実施されており、
そうした情報の多くは、ソ連の軍事施設や軍需産業に関する状況を把握するために役立った。
また、亡命者からの情報は、ソ連の宣伝放送では見えてこない共産圏の人々の本音が分かった。
すなわち、平等とは名ばかりの民族差別や少数者政策の実情、宗教的行為の禁止、言論抑圧など、
いかに彼らの多くが共産体制に鬱屈とした感情を抱いているかが理解されたのである。
米国の文化政策が、冷戦終結に大きな影響を与えたといわれているが、
それは何も、米国がただ存在するだけで、自ずと醸し出された文化的影響力によるものではなく、
亡命者からの情報を基に、ある程度、計算された上で実施された冷戦政策の一つだったのである。
一方、亡命者からの情報が必ずしも信頼できなかった事例として、
ケネディ政権で実施されたピッグス湾侵攻が挙げられる。
当時、CIAは、キューバからの亡命者を情報源にして、様々な国内情報の収集に努めていた。
米国にとって、物貰いのような存在だったキューバは、
機会があれば、政権を転覆して、共産体制を放逐したいと考えていたのである。
実際、キューバ人亡命者がもたらす情報も、国民はそれを望んでいるといったものが多く、
もし米国が侵攻したら、国民はこぞって立ち上がるだろうと耳打ちされていた。
ところが、いざ作戦が始まってみると、キューバ軍は想像以上に強力で、
反体制勢力の軍事力では、どうにもならないことが分かってしまった。
しかも、キューバ国民が反体制側を積極的に支援するという構図にもならなかったし、
ケネディ政権も、正規軍を投入することに躊躇して、作戦が完全に孤立化することになった。
結局、亡命者の言葉に信頼を寄せすぎたCIAの失敗ということになり、
当時鳥瞰だったアレン・ダレスは更迭されることになったのである。
そこで、今回、報じられているイランの核技術者が米国に亡命した記事である。
読売新聞(ウェブ版)によると、
米国に亡命したのは、昨年6月から失踪していたテヘラン大学のシャハラム・アミリ氏であり、
亡命に際しては、CIAが手引きを行なったとされている。
その後、アミリ氏は、イラクの核計画に関する情報の真偽について確認することに協力し、
特に亡命前に勤務していたイラン濃縮施設の情報を提供しているのではないかとの推測がなされている。
亡命者にとって、最も重要なことは身の安全である。
しかし、何をもって身の安全と考えるかは、必ずしも人によって一致しないことがある。
ある人にとっては、迫害から逃れることかもしれないし、
ある人にとっては、民族の自立性を守ることかもしれない。
先の事例で言えば、共産圏からの亡命者は、迫害を逃れることが最も重要なことであった。
キューバからの亡命者は、むしろ、民族の自立性こと最も重要なことだったが、
他の国民にとってもそれは同じであったから、
政権転覆という暴挙に乗る者はほとんどいなかったのである。
イランの場合、おそらく後者側のタイプに近い印象を覚える。
確かに、米国の支援で、生活面での優遇は確保されているとは思われるが、
同じ民族からの批判や視線を無視して生きられるほど、イスラム社会の結束力が弱いとも思えない。
今回は、核技術問題であるから、基本的には科学的事実の真偽を問うだけで良いが、
政治・社会情勢については、米国はあまり強い期待と信頼を寄せない方が身のためである。
それでなくても、すでに「中東の民主化」という構想は破綻状態にあるのだから、
これ以上、中東に深入りするのはやめて、自国と同盟国の関係維持と向上に尽力した方が良い。
現在、経済悪化で国力が低下しているのだから、一層、そうした方針で臨むことが望ましいように思う。
第二次世界大戦が終結した頃、米国はソ連や東欧諸国からの亡命者と積極的に接触して、
乏しかった共産圏の情報を収集することに努めた。
米国は建前上、大戦時にソ連と同盟関係にあった。
そのため、モスクワに情報活動の拠点を置くことはしなかったし、
ソ連もまた、駐ソ米大使館を厳しい監視下に置いて、スパイ活動の余地を与えなかったのである。
したがって、主にソ連の情報源として利用されたのは、
ソ連が流す宣伝放送と共産体制を嫌って西欧諸国に移民・亡命してきた人々から情報であった。
国務省政策企画室の文書を読むと、1948年の段階で、そうした計画が浮上しているが、
軍部の方では、それよりも早い段階で尋問調査を通じた情報収集が実施されており、
そうした情報の多くは、ソ連の軍事施設や軍需産業に関する状況を把握するために役立った。
また、亡命者からの情報は、ソ連の宣伝放送では見えてこない共産圏の人々の本音が分かった。
すなわち、平等とは名ばかりの民族差別や少数者政策の実情、宗教的行為の禁止、言論抑圧など、
いかに彼らの多くが共産体制に鬱屈とした感情を抱いているかが理解されたのである。
米国の文化政策が、冷戦終結に大きな影響を与えたといわれているが、
それは何も、米国がただ存在するだけで、自ずと醸し出された文化的影響力によるものではなく、
亡命者からの情報を基に、ある程度、計算された上で実施された冷戦政策の一つだったのである。
一方、亡命者からの情報が必ずしも信頼できなかった事例として、
ケネディ政権で実施されたピッグス湾侵攻が挙げられる。
当時、CIAは、キューバからの亡命者を情報源にして、様々な国内情報の収集に努めていた。
米国にとって、物貰いのような存在だったキューバは、
機会があれば、政権を転覆して、共産体制を放逐したいと考えていたのである。
実際、キューバ人亡命者がもたらす情報も、国民はそれを望んでいるといったものが多く、
もし米国が侵攻したら、国民はこぞって立ち上がるだろうと耳打ちされていた。
ところが、いざ作戦が始まってみると、キューバ軍は想像以上に強力で、
反体制勢力の軍事力では、どうにもならないことが分かってしまった。
しかも、キューバ国民が反体制側を積極的に支援するという構図にもならなかったし、
ケネディ政権も、正規軍を投入することに躊躇して、作戦が完全に孤立化することになった。
結局、亡命者の言葉に信頼を寄せすぎたCIAの失敗ということになり、
当時鳥瞰だったアレン・ダレスは更迭されることになったのである。
そこで、今回、報じられているイランの核技術者が米国に亡命した記事である。
読売新聞(ウェブ版)によると、
米国に亡命したのは、昨年6月から失踪していたテヘラン大学のシャハラム・アミリ氏であり、
亡命に際しては、CIAが手引きを行なったとされている。
その後、アミリ氏は、イラクの核計画に関する情報の真偽について確認することに協力し、
特に亡命前に勤務していたイラン濃縮施設の情報を提供しているのではないかとの推測がなされている。
亡命者にとって、最も重要なことは身の安全である。
しかし、何をもって身の安全と考えるかは、必ずしも人によって一致しないことがある。
ある人にとっては、迫害から逃れることかもしれないし、
ある人にとっては、民族の自立性を守ることかもしれない。
先の事例で言えば、共産圏からの亡命者は、迫害を逃れることが最も重要なことであった。
キューバからの亡命者は、むしろ、民族の自立性こと最も重要なことだったが、
他の国民にとってもそれは同じであったから、
政権転覆という暴挙に乗る者はほとんどいなかったのである。
イランの場合、おそらく後者側のタイプに近い印象を覚える。
確かに、米国の支援で、生活面での優遇は確保されているとは思われるが、
同じ民族からの批判や視線を無視して生きられるほど、イスラム社会の結束力が弱いとも思えない。
今回は、核技術問題であるから、基本的には科学的事実の真偽を問うだけで良いが、
政治・社会情勢については、米国はあまり強い期待と信頼を寄せない方が身のためである。
それでなくても、すでに「中東の民主化」という構想は破綻状態にあるのだから、
これ以上、中東に深入りするのはやめて、自国と同盟国の関係維持と向上に尽力した方が良い。
現在、経済悪化で国力が低下しているのだから、一層、そうした方針で臨むことが望ましいように思う。