YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

亡命者の情報をどう評価するか

2010年03月31日 | INTELLIGENCE
 亡命者の情報が信じられるかどうかは、情報分析の上で議論が分かれるところである。
 第二次世界大戦が終結した頃、米国はソ連や東欧諸国からの亡命者と積極的に接触して、
 乏しかった共産圏の情報を収集することに努めた。
 米国は建前上、大戦時にソ連と同盟関係にあった。
 そのため、モスクワに情報活動の拠点を置くことはしなかったし、
 ソ連もまた、駐ソ米大使館を厳しい監視下に置いて、スパイ活動の余地を与えなかったのである。
 したがって、主にソ連の情報源として利用されたのは、
 ソ連が流す宣伝放送と共産体制を嫌って西欧諸国に移民・亡命してきた人々から情報であった。
 
 国務省政策企画室の文書を読むと、1948年の段階で、そうした計画が浮上しているが、
 軍部の方では、それよりも早い段階で尋問調査を通じた情報収集が実施されており、
 そうした情報の多くは、ソ連の軍事施設や軍需産業に関する状況を把握するために役立った。
 また、亡命者からの情報は、ソ連の宣伝放送では見えてこない共産圏の人々の本音が分かった。
 すなわち、平等とは名ばかりの民族差別や少数者政策の実情、宗教的行為の禁止、言論抑圧など、
 いかに彼らの多くが共産体制に鬱屈とした感情を抱いているかが理解されたのである。
 米国の文化政策が、冷戦終結に大きな影響を与えたといわれているが、
 それは何も、米国がただ存在するだけで、自ずと醸し出された文化的影響力によるものではなく、
 亡命者からの情報を基に、ある程度、計算された上で実施された冷戦政策の一つだったのである。

 一方、亡命者からの情報が必ずしも信頼できなかった事例として、
 ケネディ政権で実施されたピッグス湾侵攻が挙げられる。
 当時、CIAは、キューバからの亡命者を情報源にして、様々な国内情報の収集に努めていた。
 米国にとって、物貰いのような存在だったキューバは、
 機会があれば、政権を転覆して、共産体制を放逐したいと考えていたのである。
 実際、キューバ人亡命者がもたらす情報も、国民はそれを望んでいるといったものが多く、
 もし米国が侵攻したら、国民はこぞって立ち上がるだろうと耳打ちされていた。
 
 ところが、いざ作戦が始まってみると、キューバ軍は想像以上に強力で、
 反体制勢力の軍事力では、どうにもならないことが分かってしまった。
 しかも、キューバ国民が反体制側を積極的に支援するという構図にもならなかったし、
 ケネディ政権も、正規軍を投入することに躊躇して、作戦が完全に孤立化することになった。
 結局、亡命者の言葉に信頼を寄せすぎたCIAの失敗ということになり、
 当時鳥瞰だったアレン・ダレスは更迭されることになったのである。

 そこで、今回、報じられているイランの核技術者が米国に亡命した記事である。
 読売新聞(ウェブ版)によると、
 米国に亡命したのは、昨年6月から失踪していたテヘラン大学のシャハラム・アミリ氏であり、
 亡命に際しては、CIAが手引きを行なったとされている。
 その後、アミリ氏は、イラクの核計画に関する情報の真偽について確認することに協力し、
 特に亡命前に勤務していたイラン濃縮施設の情報を提供しているのではないかとの推測がなされている。

 亡命者にとって、最も重要なことは身の安全である。
 しかし、何をもって身の安全と考えるかは、必ずしも人によって一致しないことがある。
 ある人にとっては、迫害から逃れることかもしれないし、
 ある人にとっては、民族の自立性を守ることかもしれない。
 先の事例で言えば、共産圏からの亡命者は、迫害を逃れることが最も重要なことであった。
 キューバからの亡命者は、むしろ、民族の自立性こと最も重要なことだったが、
 他の国民にとってもそれは同じであったから、
 政権転覆という暴挙に乗る者はほとんどいなかったのである。
 
 イランの場合、おそらく後者側のタイプに近い印象を覚える。
 確かに、米国の支援で、生活面での優遇は確保されているとは思われるが、
 同じ民族からの批判や視線を無視して生きられるほど、イスラム社会の結束力が弱いとも思えない。
 今回は、核技術問題であるから、基本的には科学的事実の真偽を問うだけで良いが、
 政治・社会情勢については、米国はあまり強い期待と信頼を寄せない方が身のためである。
 それでなくても、すでに「中東の民主化」という構想は破綻状態にあるのだから、
 これ以上、中東に深入りするのはやめて、自国と同盟国の関係維持と向上に尽力した方が良い。
 現在、経済悪化で国力が低下しているのだから、一層、そうした方針で臨むことが望ましいように思う。
 

荷造りの日

2010年03月30日 | FROM WASHINGTON DC
 今朝、日本に衣類を送るために、近所の郵便局に行って手続きを済ませてきた。
 複写した書類にすべきかどうか迷ったが、
 絶対に途中で紛失するのは嫌だったので、自力でもって帰ることに決めた。
 もしかしたら空港で余計に料金請求されるかもしれないが、
 衣類はまた日本で買えば良いが、書類だけはまた取りに来るとなると、
 金銭的な問題以上に時間的な問題が尋常じゃないくらい大きくなる。
 したがって、高くついてもいいから、手持ちで持って帰たかったのである。

 幸い、昨日のうちに原稿も仕上がり、
 仮原稿を送付した先からコメントが寄せられて、上々の評価をもらった。
 とりあえず、これで一安心である。
 あとはさしあたり、原稿が査読に回って、さらに色々とコメントが寄せられて、
 それを基礎にして、もう少し校正を入れれば出来上がりといったところであろう。
 正直、一週間で原稿を2本書くということが初めてだったので、
 出来るかどうかヒヤヒヤしていたけれど、やってみたら何とかなるものだと悟った。
 人生、気合だけではどうにもならないが、気合を入れれば、プラス・アルファが付く。
 書き手の気分が乗っていない文章は、やっぱり内容も退屈なことが多い。
 多分、送った原稿は、学術的な内容であるにもかかわらず、
 妙に勢いのある文章になっているに違いない。

 明日は、大学で諸手続きを終わらせて、いよいよあさって帰国である。
 なので、明日は大学に行くついでに、色々と散策もして、
 おそらくしばらく来なくなるであろうワシントンDCの風景をデジカメで撮ってこようかと思っている。
 しかし、そうしたものなら、すでに土産物コーナーにいい写真集が売っているので、
 それで済ませてしまっても良いかなと、ずぼらな気持ちもないわけではないが、
 いずれにしても、そうした予定で明日は過ごすことにしたい。

 それにしても、鳩山政権の支離滅裂ぶりが凄い。
 インターネットで新聞各紙のウェブ版や動画サイトを見ていると、
 とても正気の沙汰とは思えない鳩山首相の答弁に、思わず唖然というか、慄然とした。
 とにかくその場その場の思いつきでしか、この人物は話していないのである。
 閣内調整に骨を折る気もなく、おそらく平野官房長官に丸投げなのであろう。
 日本国民は、政権交代によって恐ろしく高い授業料を払うことになった。
 しかも、その授業料は、戦後最大の国債発行によってあてがわれている。
 また、それでも間に合わないから、ぼちぼち増税の議論も本格化するはずである。
 まったくとんでもないことをしてくれたものだ。

鳩山事務所リストラ?

2010年03月29日 | NEWS & TOPICS
 先ほど、読売新聞(ウェブ版)を見ていたら、
 あまりにも笑える記事があったので、引用しておきたい。

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 「鳩山事務所リストラか、背景に母の援助切れか」

 都内にある鳩山首相の個人事務所や、北海道の後援会事務所はリストラが検討されている。
 母親からの資金が途絶えたことが背景にあるとみられている。

 東京・永田町のビル6階にある「鳩山由紀夫事務所」。
 偽装献金事件が発覚するまで、
 その入り口のドアのわきに並んでいた「友愛政経懇話会」の表札は、26日時点でなくなっていた。
 関係者の間では「事務所そのものも、3月末に引き払うのではないか」との話も浮上しているが、
 衆院議員会館の議員事務所にいる私設秘書は「先の話は分からない」と答えるだけだった。

 地元の北海道9区でも、
 登別、伊達両市の後援会事務所を室蘭市の事務所に統合する方向で準備が進められている。
 登別、伊達両市の事務所は昨年末、計3人いた事務員をゼロにし、
 伊達市の事務所は来月、引き払う予定だという。

 (2010年3月30日07時24分  読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100329-OYT1T01359.htm?from=top
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原稿完成と帰国準備

2010年03月29日 | FROM WASHINGTON DC
 今朝は早くに起きて、資料の状況に関してチェックするためにNARAへと向かった。
 チェック自体はすぐに終わるので、あとは閲覧室の机で原稿を書きつつ過ごしているうちに、
 なんとか完成までこぎつけることができた。
 あとは荷造りの続きと身の回りの整理を進めればいいだけなので、
 随分と気が楽になった。

 2月初めに訪米して、当初、大雪に苛まれながらも、
 中旬辺りでようやくNARAに通えるようになってから1ヶ月強が経過した。
 おそらく今日が、今回の訪米でNARAに来る最後の日になるだろう。
 平日、ほぼ毎日通ってきた場所に、またしばらくお別れをしないといけない。
 まだまだ見たい文書や読みたい資料もあるが、時間の制約だけはどうしようもない。
 次また来た時に、もっと効率よく作業が進められるように、教訓としておかなければならない。
 
 さすがに1ヶ月近くもいると、何となくスタッフとも知り合いになって、
 いちいち個人的に挨拶を交わしたりすることはないけれども、
 軽く会釈を交わすような感じにはなる。
 口うるさい人もいれば、冗談ばかり言って笑わしてくれる人もいて、様々だったが、
 基本的にどの人も親切に接してくれていたことだけは確かだった。
 また、スタッフだけでなく、調査に来ている人たちにも、何となく顔なじみの人がいて、
 そういう人たちはいつも朝一番に来て、毎回、同じ席に座っているので、
 ある日、いなかったりすると、「あれ、今日はどうしたのかな?」などと心の中で思ってみたり、
 変な感覚がよぎったものである。
 しかし、それは多分、日本人だからということではなく、外国人も同じであろう。

 現在、このブログの原稿は、まさにNARAの閲覧机の上で書かれている。
 隣近所には、文書箱を積んだ人たちがまだ文書を読んだり、デジカメで撮影したりしている。
 ちょっと向こうの方に行くと、コピーをとっている人が大勢いる。
 今朝はずっと雨が降っていて、どうやら明日まで続くらしい。
 宿舎から米国の郵便局まで結構、歩かないといけないので、ちょっと嫌な感じだが、
 出来れば、明日は晴れて欲しいものである。
 今まであまり行けなかった観光地、特に今、開催している桜祭りを見てみたい。
 現地の新聞によると、ちょうど見頃になってきたとのことなので、いいチャンスだと思う。

 帰国まであと3日である。
 過ぎてしまえば、月日というものは本当に早い。
 ホームシックのような気分になるかと思ったが、
 結局、そういうことは一度もなかった。
 ということは、こちらの生活がそれなりに肌にあっていたということなのだろう。
 帰国しても、色々と片付けないといけないことがあって、
 必ずしもゆっくりできるわけではない。
 ただ、こなすべき仕事があるというのは幸せなことである。
 微力ながらも貢献したいという気持ちは大切だと思うから。
 

DC恒例の桜祭り開催

2010年03月28日 | FROM WASHINGTON DC
 昨日は、原稿執筆に難渋して、ほぼ一日中、部屋にこもっていたので、
 出掛けることができなかったが、
 ワシントンDCでは、毎年恒例の桜祭りが開催されていた。
 日本でもこの祭りは有名で、明治政府が米国との友好親善を記念して、
 約3000本のソメイヨシノの木を贈呈したことから始まっている。
 今もその桜を大事に育てて、イベントとして楽しんでくれている米国人の心根に感謝したい。
 
 この桜は、ポトマック川沿いに植えられているが、
 実を言うと、DCの街を歩いていると、至る所に桜の木が植えられていることが分かる。
 現在、宿舎にしている建物の中にも桜の木は植えられているし、
 近所の博物館にも巨大な桜の木があり、現在、満開の時期を迎えている。
 ちょうど帰国することに一番の見頃となるらしくて、
 それを現地で見ることができないのは、少々残念ではあるが、
 原稿がうまく片付いたら出かけてみたいと思う。

 とはいえ、どうしてもNARAで確認しないといけない部分が出てきたので、
 明日、再びNARAに足を運んで、あれこれチェックすることにして、
 今日の予定は、帰国への準備に当てようかと思っている。
 原稿もちょっと寝かしておいた方が、推敲や校正を行なう上で効果的だし、
 何よりぼちぼち本格的に準備を進めないと、帰国当日に間に合わないという事情もある。
 
 そんなわけで、これからブランチを食べに行った後、荷物の整理に取り掛かることにしたい。
 ちょっと多忙になってきたので、今日の記事はここまで。

リーダーシップとフォロワーシップ

2010年03月27日 | NEWS & TOPICS
 3月27日の読売新聞(ウェブ版)によると、
 鳩山首相は、夫人とともに千葉のリゾートホテルで一泊二日の静養を取っていたとのことである。
 当事者能力が欠如しているとはこのことで、
 呑気にホテルの売店を物色したり、ガラス工房を見学している場合ではないのである。

 首相周辺から、「この状況で夫人と旅行なんて理解できない」との声が出ているらしいが、
 小沢幹事長も、次の選挙で確実な勝利を得たいと考えているならば、
 この男を首相のままにしていては、なかなか難しいのではないか。
 おそらく今後、拉致被害者が全員帰国するくらい大きなインパクトを持つ出来事でもない限り、
 支持率を回復することはおろか、維持することさえできないであろう。
 もっとも元来、ジャーナリストの佐野真一氏が指摘しているように、
 鳩山氏のメンタリティーは、基本的には「超ニート」傾向であることから、
 普天間問題が結局、解決できなくなったから突然辞任ということもありえるだろう。
 
 「神輿は軽くてバカがいい」とはよく言ったものだが、
 軽いのはともかく、バカはやっぱり困るのである。
 神輿を担いでいる方は、軽い方が都合が良いのかもしれないが、
 見ている方は、むしろバカの方に目が行ってしまうからである。
 これで、祭り(政)は盛り上がらない。
 今回、喫緊の課題が山積する中で、バカンスに洒落込む首相の姿を見ると、
 国民の感情としては、ますます白けたムードが強まるであろうし、
 政府内からも、自分たちの努力が虚仮にされているように感じることから、
 今以上に求心力が低下していくことは必至であろう。
 
 実際、永田町界隈では、次のような風刺話が流れていると、
 3月26日産経新聞の『正論』欄で、京都大学名誉教授の市村真一氏が紹介している。
 
 「東京には、正体不明の怪鳥がいる。
  日本人はサギだと言うが、中国人はカモと見、米国人はチキン、欧州人はアホウドリだと言う。
  本人はハト(鳩)と言い張っているが、おれは日本のガンだと思う」

 笑って済ませられる話ではないから恐ろしい。
 さらに、市村名誉教授は、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーが示した指導者の条件として、
 次のようなものも紹介している。

 1)勇気と、国民を奮い立たせる能力がある
 2)私的偏見がない
 3)他人の考えや気持ちを敏感にとらえる直感力を持つ
 4)あくまで確実で限られた目標を追求する

 このどれをとっても、現在の日本の首相が満たしている条件は見当たらないだろうし、
 そうした条件に見合うリーダーになろうという気概も感じられない。
 それでもなお、こうした人物に支持を与える人たちが、日本人全体の30%もいるのである。
 
 従来、政治の問題は得てしてリーダーシップの問題と重ねて議論されてきたように思う。
 しかし、昨今の鳩山政権と国内世論の反応を見ていると、
 フォロワーシップの問題も多分に重要であることを強く感じる。
 今回、様々な面で非常に高くついた政治の授業料を、
 日本人はきちんと教訓として生かすことができるのであろうか。
 それとも、やっぱり神輿に乗せるのは、軽くてバカが良いとなってしまうのだろうか。
 良きリーダーには良き国民が付いているように、
 良き国民からは良きリーダーが生まれるのは必然である。
 よくよく考えておかなければならない真理である。

最近の民主党政権への雑感

2010年03月26日 | NEWS & TOPICS
 昨日、毛布を投げ出して寝ていたせいもあってか、朝から若干、鼻声になってしまっている。
 不運なことに、天気予報によると、ちょうど今日から寒さが戻ってきたらしくて、
 気温の方も、ここ数日、20度前後まで上がっていたのに、今日は10度以下になっている。
 ただ、ちょうど帰国する頃には、再び20度近くまで上がるみたいなので、
 せっかく持ってきたダウンコートは、完全に季節外れになってしまいそうである。

 さて、鳩山政権の支持率が20%台近くまで下がってきたことに対して、
 ようやく首相自身に危機感が出てきたようである。
 とはいっても、何をするでもなく、「どうにかしないといけない」と思っているだけに過ぎないのだが、
 結局、どうにも出来ないことが目に見えているので、
 国民もおそらく白けた感じになっているのではないだろうか。
 
 子供手当法案も、あれだけ多くの不備が指摘されたにもかかわらず、
 とうとう衆参両院で可決されてしまった。
 その点で、3月26日の参院本会議で、自民党の丸川珠代議員が、
 「この極めて無責任な選択をしようとしている人たちの顔を決して忘れないでください。
 未来への咎を負うべきは、この人たちなのです」と訴えたことは、まさに至言であった。
 
 そうなのである。
 今回、民主党が進めている政策の多くに言えることだが、
 最大の問題は、こうして残された借金をすべて子供や孫の世代に回してしまうことなのである。
 一部では、国債はいくら発行したってかまわない、購入するのは日本人だからと嘯く人もいるが、
 不健全な財政運営で生じる不均衡な資源配分の状況を放置しておくことは、
 当然のことながら、日本経済全体に悪影響を及ぼすことは目に見えている。
 そのツケもまた、後の世代が負わなければならない。
 単に、貸借の問題に議論をすり替えて済むような話ではないのである。
 
 自民党の観点からすれば、こうした政策はすべて次の参議院選挙に向けた布石と解釈されることになる。
 そして、実際、子供手当が支給されることになり、手元に現金が入ってくるようになると、
 やっぱり民主党へ票を入れるというのならば、
 この国には、もはや「ミーイズム(meism)」しか残っていないと失望するよりほかないだろう。
 恐るべきは、それを肯定するかのような政策を次々と打ち出す民主党であり、
 まさに国家意識や公的感覚を破壊することが、最大の政策目的であるかのように思えてきてしまう。
 本当に、この状況のままで良いのだろうか。

 あまり世代論に引きつけて語るのは、適切でないことは承知しているのだが、
 1935~55年くらいに生まれた世代は、やはりかなり危ない政治感覚を有していると言わざるを得ない。
 GHQの戦後教育を全身で浴びて、学生運動を経験したことで、
 その政治的動機は、常に「日本」なるものへの敵意と反発によって占められてきた。
 そうした世代が、いまや政治のリーダーとなり、企業でも幹部となって意思決定を行なっているのは、
 皮肉ではなく、もはや悲劇である。

 もしかしたら、彼らは自分たちが犯してきた罪を知っているのかもしれない。
 どうあがいても悪し様に言われることを覚悟すれば、
 自分たちの都合こそ最優先し、
 残された世代には、その後に生じた負の遺産でもがき苦しめばいいとの発想も生まれてくるだろう
 それはあまりにもひどい開き直りであるが、
 今の民主党とその支持者にとって、その開き直りこそが共有し得る価値観なのかもしれない。
 まさに悪魔の思想をもった政権である。

ワシントン・ポスト紙で新連載開始

2010年03月25日 | INTELLIGENCE

 現在、2本目の原稿に取り掛かっている。
 1本目は、何とか火曜日に書き上げて、
 一日、寝かした上で、今日の午前に推敲・校正を加えて、完成した。
 2本目も、金曜日までに書き上げて、一日寝かした上で、日曜日に完成の予定だが、
 若干、原稿の予定枚数が多く求められているので、1本目以上に頑張らないといけないかもしれない。
 いやはや、こうなる前に、早いうちから手をつけておけば良かったのだが、
 いつの間にか、締め切り間際にならないと、やる気が出ない性分になってしまって、
 我ながら情けないというか、だらしない限りである。

 さて、ワシントン・ポスト紙では、
 最近、「Spy Talk: Intelligence for thinking people」というコラム型ブログの連載がスタートした。
 ブログ執筆者は、Jeff Steinというコラムニストで、
 これまでに情報活動、国防問題、対外政策に関して調査報道に従事してきた人物である。
 3月21日にスタートしたばかりで、まだほとんど記事らしい記事は掲載されていないのだが、
 情報活動に関する最新の動向やスキャンダル事件など、
 これから色々と発信してくれそうである。

 関心のある人は、以下のページにアクセスしてみると良いだろう。

 The Washington Post (Online)
 Spy Talk: Jeff Stein's intelligence for thinking people
 http://voices.washingtonpost.com/spy-talk/


帰化に伴う宿命

2010年03月24日 | NEWS & TOPICS
 人にはそれぞれ背負った文化がある。
 日本人ならば、どれだけ嫌悪していたとしても、日本固有の文化から離れて生きることはできないし、
 他の国の人々もまた、同様である。
 したがって、海外で生活すれば、当然、日本人は日本人として見られることを余儀なくされるし、
 仮にどこかの国に帰化したとしても、そのことを甘んじて受け入れなければならない。
 いくら法律的な要件を満たしていても、
 背負ってきた文化やアイデンティティーまで入れ替わるわけではない以上、
 それは止むを得ないことである。

 国際化の時代にあって、多くの外国人が様々な国や地域で生活するようになった。
 彼らの多くは、その生活する場所でコミュニティーを形成し、
 自分たちの文化やアイデンティティーを守ってきたし、それを子供たちに伝えるようと努力してきた。
 自分が生まれてきた起源を確認することは、誰にとっても重要なことである。
 どれだけ国際人を気取っていても、国家の存在を否定して生きるわけにはいかない。
 ナショナル・アイデンティティーは、一度、生命を授かった瞬間から受け入れなければならない宿命であり、
 そのことを否定することは、自らを否定することにほかならない。
 
 しかし、だからこそ、帰化した人たちは大きな苦悩を抱えることにもなる。
 もし母国と帰化した国の関係が悪化した時、彼らの立場は引き裂かれることになるからである。
 周囲の人間からは、当然、母国から送られてきたスパイといったレッテルを貼られるであろうし、
 何かにつけて、利敵行為に関わっているのではないかとの疑いをかけられることになるだろう。
 帰化した人にしてみれば、わざわざ現地の国籍まで取ったにもかかわらず、
 こうした濡れ衣を掛けられることは、大変、心外なことかもしれない。
 だが、それは先にも触れたように、
 自分のアイデンティティーが法律的要件によって規定されるものではなく、
 あくまでもその文化的要件によって満たされるのだとしたら、
 そうした嫌疑を掛けられることもまた、一つの宿命として甘受しなければならないのである。
 
 確かに気分が悪いであろう。
 しかし、そうした嫌疑を出来るだけ掛けられないようにするためには、
 現地の人々以上に、帰化した国への愛国心を強く示して、それを実践するしか方法がない。
 敵か味方かが問われている中で、どちらにも付かないという選択肢は、本来、ありえないのである。
 この問題は、帰化した人たちにとって、苦しい判断に迫られることになるだろう。
 だが、帰化した以上、最低限、現地の人々と同じ程度の愛国心を持っているはずだし、
 また、持っているべきである。
 その心境に達していれば、帰化した国への愛国心を示すことは、それほど難しくないはずである。
 
 間違ってもらいたくないのは、これは母国への思いを捨てろと言っているわけではないのである。
 火急の事態に際して、国民が一致団結して立ち向かおうとしている時に、
 帰化した人たちもまた、一人の国民として積極的に協力してくれますかと訊ねているのである。
 そこに逡巡を覚えるようであれば、
 帰化した人に限らず、現地の人でさえ嫌疑が掛けられるのだから、
 その意味では、その国の国籍を持つ人すべてにおいて試されている問いかけなのである。

 一見、リベラルな雰囲気を持つ米国も、
 実を言うと、非常に愛国的な側面を強く持っているのは、そうした理由からである。
 人種の坩堝といわれるこの国では、多様な文化に寛大な姿勢を取っている一方、
 事あるごとに、国家への奉仕と愛国心の保持が強く求められる。
 そうした感覚を共有することによって、国家としての団結を図っているのである。
 そのため、米国でも、どっちつかずの立場の人間は、常に攻撃され、迫害を受けてきた。
 1950年代に吹き荒れたマッカーシズム旋風は、最も典型的な例であろう。
 しかし、その前段階で、驚愕の核スパイ事件が発覚したことを思えば、
 国家の防衛本能として、それは当たり前の反応のようにも思われるのである。
 
 こうした問題に関しては、言い方が非常に難しいのだが、
 帰化に伴い、愛国心の試練というものは絶対に避けて通れないものである。
 それは仮に生きるための手段として、他国の国籍を取得したに過ぎない人でさえも、同様である。
 外国人参政権の問題などにおいては、安直に「帰化すれば良い」という意見もあり、
 個人的にも、それで良いと思っていた時期もあったが、
 どうやら問題は、それほど単純ではなさそうである。
 まさしく国民的な議論が待望されているといったところであろう。

台湾における対日世論調査

2010年03月23日 | NEWS & TOPICS
 読売新聞の記事(ウェブ版)によると、先日、台湾の交流協会が行なった調査で、
 日本を「最も好きな国」としてあげる台湾人が、なんと52%にも上っていることが発表された。
 2位の米国が8%であることを思うと、いかに台湾が親日的であるかがよく分かる。
 交流協会というのは、1972年、日本が中国との国交樹立に伴って、台湾と国交を断行した際、
 両国の関係を維持するために設置されたもので、事実上、台湾の大使館みたいなものである。
 
 今回の調査では、台湾全域の20-80歳、約1000人の男女が対象となっている。
 細かい内容については、交流協会のウェブサイトに公開されているので、そちらを参照してもらいたいが、
 個人的に興味深く感じたのは、
 日本の魅力として、自然環境の美しさや地方の文化などが上位に入っていることである。
 その傾向は、特に女性に強く現われているようで、
 同じ島国という事情も作用してか、風土的に近いという印象を持たれていると同時に、
 日本占領期に行なわれた風習が、台湾の人たちにとっては、今も馴染み深いものとなっているのだろう。
 
 もう一つ興味深かった点は、
 「親しくすべき国」として、中国が33%でトップとなっていることである。
 日本が31%で2位につけているので、両者の差はほとんどないといっても構わないが、
 読売新聞の記事が指摘しているように、
 「経済パートナーとしての中国を重視する姿が浮き彫りとなった」ことは間違いない。
 ただし、大陸中国を「好き」と答えた割合は、5%であることを思うと、
 台湾と中国の交流関係を実利面以上に深めていくには、まだまだ時間がかかりそうである。

 しかし、それにしても、かつての宗主国と植民地の関係において、
 ここまで親近感を抱いてくれる旧植民地の存在というのは、おそらく日台関係くらいではないだろうか。
 いや、厳密に言うと、植民地ではなく、旧日本領というべきなのだが、
 それにもかかわらず、台湾が日本に親近感を持ち続けてくれていることは、
 日本人として本当に有り難いと思うし、その期待に応えてあげたいと素朴に感じるものである。
 また、そうした親近感が失望感に変わらないように、
 日本も尊敬される国として立派に行動しなければならないと、身が引き締まる思いもする。
 
 一部では、経済的理由から台湾が中国に接近し、やがて取り込まれるとの懸念が広がっているが、
 日本に来て数年になる台湾人の友人の話を聞いている限り、
 台湾人が持つ大陸中国への不信感は、相当強いものがある。
 その友人は本省人なのだが、蒋介石が台湾に逃げ込んできた後、
 外省人が行なった数々の無法行為は、大陸中国への憧憬や尊敬をことごとく打ち砕いてしまった。
 また、現在も外省人が多くの利権を手にして離さない状況は、
 本省人にとって、憤怒の対象でしかなく、
 経済面以外での中国との交流はまっぴらゴメンというのが本音とのことである。
 
 日本にとって幸運なのは、こうした親日的な国が日本のシーレーン上に存在していることである。
 もしも朝鮮半島と台湾で、対日感情に関する事情が入れ替わっていたら、
 戦後日本の歩み自体が大きく変わっていたかもしれない。
 そうした地政学的な観点からの考慮を省みずに、
 日本では、事大主義的に中国への配慮を最優先する者があまりにも多すぎる。

 だが、本当に配慮すべきは台湾であり、
 その存在が日本にとって死活的に重要であることをもっと強く認識しなければならない。
 とりわけ中国の軍事的・経済的台頭が著しい昨今、
 日本と台湾の関係において、経済面だけでなく、
 あらゆる面において相互に協力可能な体制を整えていくことは、
 両国の安全保障や経済発展を維持するためにも必要なことである。
 台湾人にはその心の準備が出来ているのだから、日本人も真摯に期待に応えるべきであろう。