YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

休止

2011年02月28日 | NEWS & TOPICS

 少し前にも宣言した通り、このブログは今日で一旦、休止することにします。

 振り返れば、昨年、米国に行く前に、軽い日記のつもりで始めようと思い立ってから、
 気づくと一年以上、このブログを続けていた。
 他のブログを眺めてみれば、何年にもわたって続けている人もいるので、
 たかが一年程度など続けたうちにもならないかもしれないが、
 元来、非常に飽きっぽい性分にもかかわらず、
 ここまでやってこられたことは、まるで奇跡のように感じられる。
 しかも、何の娯楽性もなく話題の提供もなく、文字ばかりでまったく愛想も愛嬌もないブログに、
 多い日は、500以上の閲覧数が記録されるなど、
 一体、誰が読んでいるのだろうと妙な気持ちに囚われることもあった。
 
 ブログを休止すると決めたのは、特に大きな理由があるわけではない。
 しかし、理由の一つとして、自分の中で、ややマンネリな気分になってきたことが挙げられる。
 先程、自分の性格を「飽きっぽい」としたが、
 実を言うと、政治や歴史といったことだけでなく、
 もっと肩の力を抜いたブログにした方が良いのではないかという気になっていて、
 ここら辺で心機一転を図りたいと思うようになってきたのである。
 春も近付いてきたし、いわば「模様替え」といったところです。

 したがって、このブログは休止しますが、
 どこか別の場所にブログを開設して続けることになると思います。
 しかし、今後も出来るだけひっそりと書いていたいので、移設先をここに記すことはしません。
 悪しからず。
 とはいえ、自分の関心や興味が大きく変わるわけではないので、
 何かを検索した際に、記事内容から発見されることもあるでしょう。
 その時は、新しいブログのタイトルから、
 「なるほど、こっちに移設したのか」と思ってくれれば幸いです。

 拙い文章にもかかわらず、記事に目を通してくれた方々には感謝いたします。
 それでは、また会う日まで。


政変後の動きはどうか?

2011年02月25日 | NEWS & TOPICS

 リビア・カダフィ大佐は、反政府デモの鎮圧に向けて、傭兵部隊を投入したと報じられている。
 また、一部の報道では、天安門事件を引き合いに出しながら、
 デモに参加した市民を死刑にすると息巻いて、
 実際、自国民に対して空爆を決行したというのだから恐れ入るしかない。
 正統性を失った独裁者の末路とは、こんなにも無節操で哀れなものかと思い知らされる。

 現在、類稀なる独裁体制を敷いている北朝鮮も、この光景を固唾を飲んで見ていることだろう。
 いかに情報統制を厳しいとしても、
 中東での出来事がまったく市民の耳に入らないということはないはずである。
 すでに今年に入ってからも、地方では五月雨式に反乱や暴動が発生していると報じられており、
 いよいよ抑止が利かなくなってきたからかもしれないが、
 地方に配置された軍部隊の銃や戦車から弾を没収する措置が採られているそうである。
 もちろん、これは反乱や暴動を事前に起こさせないためのものであろう。
 
 しかし、それにしても、なぜ今年になってから、
 中東において、唐突に民主化の波が押し寄せてきたのかはよく分からない。
 フェイスブックやツイッターといった情報ツールの影響と一般的には論じられているが、
 たとえそれで民衆の結束力が大きくなったとしても、
 その力が国家の持つ軍事力を圧倒することは、事実上、不可能である。
 それゆえに、かつて天安門事件がそうだったように、
 また、カダフィ大佐自身が実践しているように、
 自国民に対する強制的な鎮圧を行なうために武力を行使するということになれば、
 民衆はいとも簡単に押し潰されてしまい、市民革命は成立しないままに終わるのである。

 1980年代後半、確かに東欧諸国では西側陣営の情報が浸透し、
 そうした情報の影響を受けた数多くの市民が、政府を取り囲んで独裁体制に終止符を打たせたが、
 それは必ずしも市民のみによって達成されたわけではなく、
 その背後に市民側の主張に同調した軍部や警察の存在があったことを忘れてはならない。
 つまり、中東の民主化、言い換えれば独裁体制の終焉は、
 結局、市民の結束以上に、軍部や警察といった国家が持つ物理的強制力の動向によって、
 その方向性は大きく変わると言えるのである。
 
 今のところ、エジプトでは、軍部が政府側に付いたことで、劇的な政変を回避することに成功し、
 ムバラク大統領の辞任という形で、ひとまず区切りをつけたことになった。
 市民の不満が十分に収まっているわけではないので、
 今後ふたたび同じような政治運動が拡がらないとは限らないが、
 政治体制の根本的否定にまで発展する可能性は低そうである。
 だが、リビアでは、軍部が市民側に同調する動きを強めているため、
 このまま推移すれば、政治体制の転換まで到達するかもしれない。

 世界の主要国は、いずれもこうした動きを静観する構えだが、
 原油価格の高騰が象徴的であるように、
 政変後、石油生産の契約に関して、水面下での攻防が繰り広げられることになるだろう。
 日本もまた、出遅れないようにしたいところである。


日本版CIAの模索?

2011年02月23日 | INTELLIGENCE

 オーストラリアで発行されている新聞『シドニー・モーニング・ヘラルド(Sidney Morning Herald)』によると、
 中国や北朝鮮を対象とし、CIAやMI6をモデルとした情報機関の設立を目指す動きが、
 麻生・福田両政権下で進められていた事実について、
 内部告発ウェブサイト「Wikileaks」が入手した米外交公電から明らかにされたとのことである。

 Philip Dorling
 "WikiLeaks unveils Japanese spy agency"
 Sydney Morning Herald, February 21, 2011
 http://www.smh.com.au/technology/technology-news/wikileaks-unveils-japanese-spy-agency-20110220-1b17a.html

 基本的には、内閣情報調査室を中心として、主にHumint(人的情報)能力の強化を図るものだが、
 情報活動の経験や知識が必ずしも十分、蓄積されているわけではないという認識から、
 情報体制の構築を徐々に進めていくことが米国と合意され、
 人材育成や要員訓練などのプログラムも実施される予定だったとされている。

 吉田茂が1952年に「日本版CIA」を設立するために、
 内閣調査室を設立したことはよく知られている。
 実際には、当時、官房長官だった緒方竹虎が担当となって、
 米国からの支援や指導を仰ぎながら進めていったのだが、
 野党や世論の反発だけでなく、外務省の強力な抵抗にも遭遇したことで、
 米国型の情報体制を構築することは叶わず、
 結果的に、内閣官房の一部局としての立場を超えることはできなかったのである。

 すでにいくつかの一次史料から明らかにされているように、
 このとき、緒方竹虎はCIA局員から様々なブリーフィングを受けており、
 中国やソ連といった国々から帰還した日本人への尋問調査などで、
 米国側から日本側に対して協力を要請されていたことが分かっている。
 
 今回の記事は、ウィキ・リークスの暴露から報じられたものだが、
 安倍政権で「日本版NSC」構想が提起された後、
 日本でも情報機関の設立を目指す動きがあったことは、特に秘密にされていたわけではなく、
 各種メディアの報道などにおいても指摘されていた。
 また、小泉政権において、小泉元首相と安倍元首相(当時、官房長官)の両名が、
 ホワイトハウスで行なわれている国家安全保障会議(NSC)に出席しており、
 小さくない関心を寄せていたことは広く知られたところである。 
 したがって、記事の内容自体に驚くべきところは少ない。
 ウィキ・リークスの暴露は、それを改めて確認することが出来たということである。
 
 問題は、こうした動きが政権交代によってどうなったかということであろう。
 菅首相は、「日本版NSC」設立には前向きな姿勢を示しており、
 先のビデオ流出事件の影響もあって、
 基本的には、政府の情報管理を一元化することにも積極的だと言われている。
 ただし、それが情報機関の設立にまで結び付くかというと、
 やはり政治的に微妙と言わざるを得ないだろう。

 その一方で、情報機関の設立において、外部からの浸透を事前に排除しておくことが必要だが、
 その前提として、「スパイ防止法」を成立させておかなければならない。
 機密保持が担保されなければ、情報機関としての能力は著しく損なわれるし、
 国家間の情報協力も制約を受けざるを得ない。
 個人的には、情報機関の設立よりも先に「スパイ防止法」の成立が望ましいと思われるが、
 そちらの方はまだ、政治日程に組み込まれる雰囲気はなさそうである。

 なお、思うところあって、このブログは今月をもって、一旦、中断させることにします。
 いつか近いうちに再開させる予定ですが、
 その時はまた別の場所でお目にかかることになろうかと思います。
 新しくブログを開設しても、記事内容を大きく変えるつもりはないので、
 今のブログを継続するという選択肢もありましたが、
 自分の中で心機一転を図りたいという気持ちもあって、
 こうした形を採ることにしました。
 ここでの記事に関しては、いずれ削除しようと思っています。
 特に役立つ情報があるというわけではないので。
 
 それでは、残りわずかではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。


明日、帰国です。

2011年02月18日 | FROM WASHINGTON DC

 スキャナーが壊れてしまって、その後、あれこれといじってみたが、
 結局、状況改善には至らなかった。
 そんなわけで、調べものはもう諦めて、昨日はスミソニアン博物館やらナショナル・ジオグラフィー協会やら、
 無料で入れるところを回りつつ、市街観光に繰り出していた。

 それにしても、こちらの天候は日毎に良くなっていて、
 日中は20度くらいまで気温が上がり、セーターを着て歩いていると汗ばむほどであった。
 こうした陽気になると、どこからともなく公園に集まってくるのが米国人の行動パターンで、
 特に正午から午後2時くらいは、オープン・カフェの席もほとんど埋まってしまう。
 しかも、ビジネス街だけでなく、近所の大学や保育園から学生やら園児もわんさか出てきて、
 いつの間にやらベンチの空席は見当たらなくなるのである。
 実に平和な光景としか言いようがない。
 
 今日はブランチを摂った後、この間、行った本屋(Book A Million)で、
 買い損なった本を何冊か買って、あとは帰国に向けた荷造りでもしつつ、
 時間があったら、どこかまた行こうかと思っていたのだが、
 荷造りの最中に入ってきたルームサービスのスタッフが
 ほとんど英語を使えない人で非常に焦った。
 最初、こちらの発音が悪いのかと思っていたけれども、
 どうやらまだ片言の英語しか話せないらしくて、
 スペイン語なら分かるらしい。
 こちらはスペイン語なんて「パエリア」くらいしか知らないので、
 これが本当のボディ・ランゲージといった具合に、
 身振り手振りでコミュニケーションする羽目になってしまった。
 いい思い出です。

 明日、朝早くホテルを出て、ダレス空港に向かい、
 そのまま直行便で成田に帰ってくる予定になっている。
 いつも思うが、過ぎてしまえば、いつでも一瞬である。
 きっと人生も死に際になったら、そう思うのだろう。
 しかし、それでいいのである。


スキャナー壊れた

2011年02月16日 | FROM WASHINGTON DC

 ガーン、スキャナーがおかしくなってしまったよ~ん。
 電源はちゃんと入るし、スキャナーの動作に問題はないようなのだけれども、
 どういうわけか、パソコンに画像が出てこない。。。
 取扱説明書は日本に置いてきたし、
 ヘルプをクリックしても、二言目にはカスタマーセンターに問い合わせろとしか言わないし、
 かといって、自力で直せるほどパソコンに精通しているわけでもなければ、
 米国のメーカーに直接、問い合わせて文句言うほどの語学力があるわけでもない。。。

 「この役立たずが!」と、一瞬、こちらで捨てて帰ってしまおうかとも考えたが、
 思えば、このスキャナーは、去年、訪米したときも連れて行った相棒で、
 色々と活躍してくれたしな・・・と妙な感慨がふつふつ湧いてきて、
 やっぱり日本に持ち帰って、修理することに決めた。
 とにかく、これが米国到着初日とかじゃなくて本当に良かった。
 今回は、デジカメも持ってきていないし、
 一回ごとに「チロリ~ン」と音を鳴らして、携帯電話の写メで撮るというチャレンジを敢行する勇気もないので、
 基本的なノルマをこなした後で起きたことは、不幸中の幸いであった。
 
 それで、まぁ、コピーを利用してもよかったのだが、
 もう何だか心が折れてしまって、早々に調査を打ち切ってホテルに戻ってきたのであった。
 世の中、なかなか思うようにはいかないもんですな。


もう構わないのがベスト

2011年02月15日 | NEWS & TOPICS

 残り日数もそれほどないというのに、面白くも何ともない割には、
 やたらと分量だけ膨大な文書を発注してしまって、余計な時間を過ごす羽目になってしまった。
 尋問調査や海外放送のモニタリングに関する文書のことである。
 きちんと一度、どんなものか見ておきたかったのだが、
 とてもじゃないが、一人でアタックしようとするのは間違っているだろう。
 もしくは、相当、戦略的にアタックしないと、いとも簡単に文書の海へと飲み込まれてしまうと思う。
 比較的最近(といっても、1980年代後半以降だが)になって公開されたことや、
 軍事・情報関係への関心が高まり始めたこともあって、
 こうした文書に手を出す人が徐々に増えてつつあると聞いているが、
 元々、優等生ではないので、征服するだけの根気と集中力がまったく具わっていない。
 無念である。

 泊まっているホテルのネット環境が悪くて、なかなかうまくつながらないのだが、
 昨日、Yahoo!ニュース(日本版)を見ていたら、鳩山前首相がまた余計なことを吹聴したみたいで、
 普天間基地移設問題において、移設断念を決断した「抑止力の維持」という理由は、
 単なる「方便」で使ったに過ぎないと発言したらしい。
 その発言に対して、沖縄のメディアや県民世論が烈火のごとく怒りを表しているとのことである。

 詳しい経緯や発言の背景についてはよく分からないが、
 まず、「方便」という言葉を使った以上、
 日米合意の遵守を重視し、もはや普天間基地移設は不可能と判断した結果、
 後付けの理由で、「抑止力の維持」を持ってきたと考えるのが普通であろう。
 その上で、二つの可能性があるように思われる。

 一つは、抑止力の意味を本当は何も理解していなかったにもかかわらず、
 国民一般に向けて、抑止力を根拠に、方針転換の理由を説明したという可能性である。
 これは、単に沖縄県民だけでなく、国民一般に対しても、愚弄している。
 こう言っておけば納得するだろうという軽薄で浅はかな心理が十分に見て取れるし、
 しかも、その意味を実は分かっていなかったとすれば、これほど人を食った話はないであろう。

 もう一つは、仮に抑止力の概念を理解していたとしても、それが後付けの理由である以上、
 軍事的観点から日米合意、ひいては日米同盟の意義を了解したわけではなく、
 あくまでも合意という事実のみを根拠にして、方針転換を決定したという可能性である。
 そうだとすれば、政権交代前に鳩山氏が主張していたことは、
 初めから実現不可能なことだったということになる。
 もしそれを分かった上で、そうした主張を繰り広げていたとしたら、
 稀代の詐欺師と言わざるを得ないだろう。
 沖縄県民が憤慨するのも当然である。

 それにしても、いい加減、マスコミもこの人からコメントを取るのは止めにした方が良いのではないか。
 鳩山氏に限らず、民主党政権が犯した最大の罪は、
 政治家の言葉を今までにないほど空虚なものに変えてしまったことである。
 リーマン・ショック以降、国際的なパワーバランスが大きく変動しつつある状況の中で、
 日本の政治がこれほど信頼を失っていることは、実に危うい兆候である。
 俗に「2012年問題」と言われるように、この年、世界のリーダーが一斉に入れ替わる。
 その年に向けて、各国とも少しでも優れたリーダーを作り出して、
 パワーゲームの勝者となるために、しのぎを削ろうとしているにもかかわらず、
 日本は、相変わらず素人同然の政治家を頂いて、国家を運営させているのである。
 
 政権交代に伴って支払われた高い授業料は、今後、日本の行方に大きな影を落とすことになるだろう。
 また、現下のパワーゲームに完全に出遅れたことで、日本の国際的地位が低下することは避けられないだろう。
 このまま行くと、日本は先進国から脱落することも想定しておく必要があるかもしれない。
 いずれ、GDPが中国に抜かれて世界第3位となったことを憂いていた時代が懐かしくなる日が来るだろう。
 覚悟しておいた方が良いように思う。


バレンタイン・デー

2011年02月14日 | FROM WASHINGTON DC

 土曜日ぐらいから、随分、過ごしやすい気温になってきたので大いに喜ばしい。
 今日は、ダウンコートじゃなくても良かったくらいだった。
 風がやたら強いのが難点ではあったが、天候もすこぶる良くて、
 「どこか遊びに行きたいなー」という気持ちを抑えながら、朝早くから文書館に通っているのである。

 今、見ているのは、米極東軍関係の文書だが、
 やはりというべきか、G2関係についてはまだ多く公開されていないのが実情で、
 今ひとつ面白みに欠けるというのが正直なところであろう。
 今週末には帰国するので、残り時間は必ずしも多くないのだけれども、
 ちょっと興味を引く文書もないわけではないので、
 その辺をざっと見たところで、タイムアップといった感じになりそうである。
 お金があったら、もうちょっと長く居られるのになぁ。

 さて、今日はバレンタイン・デーということもあって、
 女性同士が「Happy Valentine!」といって挨拶している光景をよく見かけた。
 さすがに、男性がそうやって挨拶しているのは見ていないが、
 米国では、2月を「愛の月(month of love)」とも呼んだりするらしいので、 
 女性にとっては、親しみを覚える季節なのであろう。

 日本では、某製菓会社の陰謀によって、
 バレンタイン・デーには、好きな人にチョコレートを贈るという根拠不明の習慣が長く続いているが、
 米国では、好きな人に花束を贈るというのが一般的である。
 したがって、今日だけは、花屋の露天商が多く歩道で商売していた。
 また、見ていると、男性から女性だけでなく、女性から女性に贈ることも珍しくないようで、
 男女の愛だけでなく、もっと広いニュアンスでの愛情を表現する日として、
 バレンタイン・デーが受け入れられていることが分かる。
 
 最近になって、日本でも、恋人だけでなく、
 友達や家族、また、自分のためにチョコレートを購入して、それを贈ることもよく聞くようになったが、
 「何故チョコレートなのか」という根本的疑問はひとまず置いておくとして、
 バレンタイン・デーの心の持ち方として、ようやく本来の姿に戻りつつあるように見えて良い。
 そう思うと、恋愛感情ではない愛情のあり方も存在するのだから、
 「義理チョコ」という言葉も、できればもう止めにしてほしいものである。
 普通に、日頃の感謝を表す日ということでいいように思う。

 余談だが、節分の日に行なう「太巻き丸かじり」も、
 元々は、バレンタイン・デーに対抗して、関西の某寿司チェーン店が仕掛けた陰謀といわれている。
 この習慣は品がなくて、いかにも関西色丸出しで、個人的には非常に嫌いな習慣なのだが、
 その後、いつの間にか、これにコンビニが乗っかって、一気に全国へ浸透してしまった。
 今では「恵方巻き」などといって、毎年、誰が決めているのか知らないけれども、
 特定の方角を向いて、老若男女が太巻きを黙々と食べるのである。
 滑稽な絵と言わざるを得ない。


本屋めぐり

2011年02月12日 | FROM WASHINGTON DC

 昨日まで、街中に吹き込んでくる風が非常に冷たかったこともあって、
 マフラーを持ってこなかったことに後悔していたのだが、
 今日は、そうした寒さも少し和らいで、幾分、過ごしやすくなった。
 ちょうど土曜日だし、作業も小休止ということで、
 街中に出て、ブランチを摂るついでに、本屋めぐりに洒落こむことにした。
 
 一軒目は、デュポン・サークルにある「Books A Million」という本屋。
 地上から一段降りたところに入り口があるので、ひょっとすると見落としてしまうかもしれない。
 品揃えはそんなに悪くないが、個人的に関心を持っている政治・歴史関係が薄い。
 
 二軒目は、同じくデュポン・サークルにある「Kramerbooks」という本屋。
 ここは、他の本屋と少し違っていて、喫茶店が併設されているところに特徴がある。
 地元では有名な本屋らしく、以前、DCに来たときも時折、立ち寄っていた。
 だが、必ずしも品揃えが良いというわけではなく、
 ストックしているものは、新刊本を除けば、今ひとつといった感じ。

 三軒目は、地下鉄レッドラインの駅「Fragutt North」から歩いてすぐの場所にある「Borders Books」。
 ワシントンDCでは、各地にチェーン店が展開されている本屋で、
 オフィス街からも近いということもあtって、政治・経済関係の品揃えが充実していた。
 また、どういう理由なのかは分からないが、
 軍事や歴史などに関する本も多く並んでいて、ついつい長居して、あれこれ物色してしまった。

 四軒目は、少し遠出して、ジョージタウンにある「Barnes & Nobles」へ。
 ジョージタウンの街並みは、夜になるとライトアップされて非常に綺麗なのだが、
 今回は、普通に真っ昼間に到着。
 さすがに米国で最も有名な本屋チェーンだけあって、豊富な品揃えには目をも張るものがあった。
 ただし、政治・歴史関係は、先の「Borders Books」とあまり変わらない印象を受けた。
 近所にジョージタウン大学があるので、学生はそちらで専門書などを購入するのだろう。
 どうでもいい情報だが、店員が非常にかわいかった。

 ちなみに、途中、「サブウェイ」でサンドイッチなどつまみながら、
 「Borders Books」で買ったブッシュ前大統領の回顧録を開いて、
 小泉元首相がちゃんと写真付きで紹介されているのを確認したところで、
 しかし、よくよく考えたら、これっていずれ邦訳が出るんじゃないかということに気づいて、
 今更ながらに後悔してしまったが、
 それはともかく、興味深かったことは、中国脅威論を扱った本が結構並んでいたことで、
 もしかしたら米国の世論がそちらに傾きつつある兆候なのかもしれない。
 前回、訪米した際には、中国の経済的台頭を称賛するものが多かったことを考えると、
 これは大きな変化である。

 もちろん、それがそのままオバマ政権の対中政策に結びつくということにはならないだろう。
 だが、「政治の街」ワシントンDCで、中国への認識が変わろうとしていることは、
 あながち軽く見ることもできない変化のような気がする。
 いや、実際には、もうすでに変わってしまっているのかもしれないが。


針が見つからない

2011年02月10日 | FROM WASHINGTON DC

 ホテルでのインターネットへのアクセスの調子が悪くて、なかなかうまくつながってくれない。
 おそらく無線LANの発信力が弱いと思われる。
 「YouTube」を見て楽しく過ごしたいのに、途中で回線が切れて苛立たせること、この上ない。
 これは、ホテルレビューのサイトに書き込んでおかなければ。

 さて、米国滞在5日目ということで、何か面白い発見でもあるかといえば、特にない。
 何と言っても、朝7時に出かけて、日中は文書を読んだりスキャンしたりして、
 夜7時に帰ってくるという規則正しい生活を送っているので、
 まだ街にもきちんと出歩いていないし、人が集まりそうな場所にも行っていない。
 至って、真面目な5日間を過ごしているのである。

 では、その5日間で何か成果が上がったかというと、これがあまり上がっていない。
 ほとんど役に立たないような文書を一体、何ページめくったことか。
 藁の山の中から針一本探すような作業だとよく言われるけれども、
 世の先人たちは、心折れることなく、根気強く針を探し出したのだから、立派というしかないだろう。
 ようやく今日になって、少し目を引く文書に遭遇したが、これから先はどうなるか分からない。
 きっと何か出てくるはずと信じて頑張ってみよう。

 ちなみに、街を歩いていて、一つ気になったのが、
 どういうわけか若いアラブ系の人がワシントンに多くなったような気がする。
 確か米国の政策で、中東からの留学生を多く受け入れることになったらしいので、
 それが原因なのだろうか。
 もちろん、単なる思い過ごしかもしれないが。。。


もはや「頭の体操」では済まされない

2011年02月07日 | NEWS & TOPICS

 日本人の悪い癖の一つとして、「すぐに忘れる」ということがある。
 北朝鮮が核実験に成功した後、日本でもにわかに核武装論が沸き立ったことがあったが、
 結局、そうした議論が政策に結びつくことはまったくなかった。
 今となっては、あの喧騒は一体何だったのかと思わせる。
 いつの間にか、核武装論はうやむやのまま終息を迎える形となってしまったけれども、
 日本を取り巻く環境が、米中露朝といった4つの核保有国によって囲まれている状況に変化がない以上、
 本来、こうした議論は継続的に進めていかなければならないはずである。
 しかし、「すぐに忘れる」癖がある日本人は、
 学者や研究者でさえ、核武装論の存在そのものを「なかったこと」にしようとする雰囲気がある。
 国民世論としては、小難しい軍事の話より、経済問題に関心が向かうのは致し方ないが、
 国際政治や外交を専門としてい人まで、この種の議論を真面目に考えようとしない状況は、
 この先、日本の安全保障環境を顧みた時に寒々しい感じすら覚える。
 果たしてこのままで良いのだろうか。

 長年、ワシントンで生活し、米国の政府要人や学者との議論を重ねてきたジャーナリストの伊藤貫氏は、
 煮え切らない日本の現状に強い不満を覚えている。
 なぜなら、日本の厳しい国際環境に日本人自身が極めて鈍感な姿勢を示し、
 「いざとなったら米国が助けてくれる」という他国依存型の安全保障政策を採り続けるからである。
 次に挙げる文献は、ワシントンに向かう機内で読んでいたものだが、
 あくまでもリアリスト的な視点に基づく伊藤氏の指摘は、
 こうした状況を生き残るためにも、日本人の覚醒が何よりも不可欠であることを思い知らされる。
 
 伊藤貫
 『中国の核戦力に日本は屈服する 今こそ日本人に必要な核抑止力』
 小学館新書、2011年

 本書の主張は、副題に示されているように、
 日本も核武装も含めた核抑止力を持つべきだというものである。
 伊藤氏によると、今後20年ほどで、
 米国は国力を衰微させ、アジアでの勢力圏確保が能力的に難しくなる一方、
 軍事的・経済的台頭によって、中国がアジアの勢力圏拡大を本格化させていった場合、
 核保有国とは絶対に戦争しない米国としては、
 「平和的台頭」戦略から離脱し、核の恫喝も含めた中国の「ブラックメール」に対抗することができず、
 日本や台湾といった米国の同盟諸国を見捨てるしかない状況が生まれるとしている。
 つまり、軍事的に見れば、日米同盟の賞味期限は、およそ20年ということであり、
 その後は、日本が中国の勢力圏に飲み込まれてしまうか、
 中国の勢力圏拡大に対抗するために、日本も核抑止力を持つか、二つに一つしかないのである。

 本書の内容は、あまりにも悲観的すぎると批判するものも多いだろう。
 だが、国際政治は軍事力の動向を押さえていれば、八割方分かると言われている現実に則すなら、
 その中で展開されている主張には耳を傾けざるを得ないだろうし、
 多分、それは概ね正しいのであろう。

 個人的には、核武装は非現実的であるように思われる。
 乗り越えるべきハードルがあまりにも多く、しかもそのいずれもが高い。
 仮にそうしたハードルを越えることができたとしても、
 国際的孤立、とりわけ米国との関係悪化は避けられないであろう。
 そうなった時、日本は4つの核保有国に独力で対峙していかなければならなくなる。
 それはまさしく悪夢であって、核さえ持てばブレイク・スルーが得られるというのは、
 やや短絡的であるような気がする。

 しかし、安全保障の基本がワーストケース・シナリオを想定することから始まるとすれば、
 伊藤氏が見据える20年後の未来に向けて、真面目に議論を重ねておく必要があるだろう。
 もちろん、核武装もタブーではない。
 そして、できれば、そうした議論を政策に結びつけることが重要である。
 「頭の体操」という逃げ口上を用意して、
 一度たりとも、真剣に核の議論をしていないということもまた、
 戦後レジームから脱却できていない証左といえる。
 この障害を克服するためには、やはり「人」が変わらなければならないのだろうか。
 それまで時間は待ってくれるだろうか。