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History, Strategy, Ideology, and Nations

11月10日

2009年11月10日 | NEWS & TOPICS
 昨今の景気悪化に伴って、農業への関心が非常に高まっているとのことである。
 新聞やテレビなどでも、田舎暮らしや農家の生活を取り上げた記事や番組が多く見受けられるようになってきた。
 実際、昨年は以前よりも新規就農者が増加したらしく、
 そのこと自体は、農業を支えてきた人たちからすれば、喜ぶべきことなのかもしれない。

 とはいえ、農業を生業としても、それで理想的な生活を送れるようになるかというと難しいものがある。
 農地法など法制面の硬直性や農協に代表される流通・販売面の制約、若年労働力の不足など、
 個人の努力だけではどうにもできない問題が山積しているため、
 メディアで描いているような生活が過ごせることの方が、むしろ稀だと言わなければならない。
 このことは、特に専業農家を志す人に当てはまり、
 現在のように、兼業農家を優遇する制度が採用され続けている限り、
 結果的に「青空公務員」の方が気楽でよいということになる。

 もちろん、農業生産には気象・天候といった不確定要素が大きな影響を与えるため、
 市場合理主義的な政策で推し進めれば、そうしたリスクを農家自身が背負う羽目になり、
 おそらくそのリスクに耐えることはできないだろう。
 しかも、それは単純に技術革新や組織改編、情報化といった手法で乗り切ることもできないので、
 そこにはどうしても補助金という形で、そのリスクを軽減することが必要である。
 一部の経済学者には、足りない食料は海外から輸入すれば事足りると豪語する者もいるが、
 多くの人が食料自給率の低さを危惧するのは、食料問題が国際政治上の課題として浮上した時に、
 日本の脆弱性が著しく大きいことに不安を感じるからである。
 「米がないならパンを食べればよい」というセリフは、
 真面目に農業政策を考えている人の感覚でいえば、
 まるでいつぞやのマリー・アントワネットを彷彿させるものでしかない。
 農業保護を単なる産業規制として解釈するだけでは、農業再生の道は決して開かれないのである。

 だが、その一方で、従来の農業経済学者がマルクス主義経済に染め上げられてきたことも不幸であった。
 彼らは戦後から政府の審議会に数多く出席して、農業政策を産業政策の一環としてではなく、
 実質的には一種の福祉政策として形成していくことに力を貸した。
 GHQが進めた農地開放によって、地主から土地を得た小作農を保護するためである。
 その影響は今も根強く、厳しい国際競争の中で、日本の農業をいかに再生し、
 実りある産業に転換していくかという発想に著しく乏しい学者があまりにも多い。
 二言目には、地域振興や「スロー・ライフ」といった社会運動への接点を模索してしまうのも、
 その名残りであるといったら言い過ぎだろうか。
 また、政治家も、兼業農家が専業農家よりも数で上回るため、
 票を稼ぐために、兼業農家を優遇する政策に走る傾向が強かった。
 その点で、戦後日本の農政は、まことに不遇な運命を辿らざるを得なかったのであり、
 今日の農業衰退は、人災と言える部分も大きいのである。
 
 幸い、この不況によって、新しく就農した人は、そうした過去の因習からは無縁であるから、
 是非とも若くて新しい感性で、日本の農業を活性化すべく頑張ってほしい。
 行政側も、そうした声に耳を貸すべきであろう。
 日本人であれば、おそらく誰に聞いても、日本産のものを食べたいというのが本音である。
 その道は険しいかもしれないが、何とか努力を続けてもらいたいと思う。