近年、情報活動に従事した元自衛隊幹部の回顧録が相次いで出版されている。
ようやく日本でも「インテリジェンス」への真摯な関心が高まりを見せつつある中で、
従来なら公然と語ることができなかった事柄についても、
歴史の証言として残しておこうという気運が、彼らの中に芽生えてきたのかもしれない。
また一方で、自分の活動が正当に評価されないまま、歴史の闇に埋もれていくことに、
多少なりとも忸怩たる思いがあったのかもしれない。
ただ、いずれにしても、研究者の立場から見れば、
こうした流れは大いに歓迎すべきことである。
何といっても、情報史研究において、最大の障害は情報文書が決定的に不足していることであり、
それを補うためにも、情報関係者の証言や記録は、歴史的資料として貴重だからである。
もちろん、人間の記憶には不正確な部分があるので、
そうした証言や記録といえども、クロスチェックすることは欠かせない。
だが、最近まで、そのクロスチェックすらままならない状況が続いてきたことを思うと、
一連の回顧録が、この状況を改善する方向に作用していることは間違いない。
それゆえに、日本の戦後情報史も、
いよいよ新しいステージに入りつつあることを感じずにはいられないのである。
今回、ここで紹介するのも、同じく情報活動に従事した元自衛隊幹部の回顧録であり、
著者は、陸上幕僚監部第二部特別勤務班、通称「別班」と呼ばれ、
「ムサシ機関」というカバーネームが与えられた組織で機関長を務めた人物である。
平城弘通
『日米秘密情報機関 「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』
講談社、2010年
ムサシ機関とは、1954年頃、日米間で交わされた「MIST協定」に基づいて、
日米の情報協力関係を維持・発展させるために設立された部局で、
MISTとは、軍事情報スペシャリスト訓練(Military Intelligence Specialist Training)の略である。
この組織は当初、組織名が示す通り、情報員の育成・訓練を目的としており、
米軍の指導に基づいて、自衛隊員が情報活動の訓練を受けるという内容であったが、
1961年、日米間で新協定が締結され、
人材養成のプログラムと並行する形で、情報収集活動も担当するようになった。
もちろん、主な標的は極東アジアの共産諸国であり、
日米が共同の立場と責任において、それぞれ資金を分担する形で工作活動が進められたのである。
著者がムサシ機関に配属されていたのは、1964年から1966年の間であり、
ベトナム戦争が本格化した時代であった。
米国としては、東南アジアに情報活動の力点を置いていた時期であり、
手薄となりがちな極東アジアの情報収集活動について、
日本側のサポートを望んでいたのである。
日本側としても、米国からの情報提供に甘んじていることを好ましくないと考えていたため、
この機会を通じて、工作活動の強化を図りたかったのである。
だが、著者によると、確かに情報収集を目的とした工作活動は活発になったが、
いわゆるスパイ活動やプロパガンダといった謀略的な活動は、
資金と人員の不足によって不可能であった。
また、日米の資金分担に関しては、日本側25%、米国側75%の割合となっており、
米国の工作活動として正式承認されたものは、米国が全額負担していた。
著者は、こうした資金面での依存関係を改善する必要性を感じていたため、
「秘密工作」の一環として、街中で写真現像店を開業して、資金捻出に努めたという。
一方、情報協力の面においても、日本の対米依存が見られたことを率直に認めている。
米国側は、主に通信情報や偵察情報を基礎にした情報評価などを提供し、
日本側は、通信情報のほかに、在外自衛官などを通じて得た人的情報などを提供していたが、
その量と質は、圧倒的に米国側の方が優れていたからである。
もっとも、こうした格差によって、日本側は自前の情報の精度を確認することができたし、
米国側もまた、日本側の情報の中に初めて接するものもあったことから、
両者の利害が一致し、定期的に連絡会議が開かれたのである。
全体として、本書は、個々の工作活動を明らかにしたものではなく、
むしろ、組織的な面から日米の情報関係を振り返った内容といってよいだろう。
そこで、一つだけ注意しておかなければならないのは、
本書で記された情報協力は、基本的に日米の軍事関係者の間で構築されたものであって、
CIAや国務省とは別ルートであったという点である。
著者も指摘しているように、CIAと軍情報機関の不仲は有名で、
そうした事情が日本側にも持ち込まれて、
米軍が不信感を募らせるといったことも起こっていたらしい。
つまり、情報協力と一口にいっても、
情報ルートの系統ごとに異なった協力関係が存在しているということであり、
その系統同士の関係は、必ずしも協力的ではなかったということが分かるのである。
また、本書では、具体的な組織名や個人名が多く記載されているので、
今後、研究を進める上で、基礎的なデータを提供してくれるだろう。
その意味においても、本書の価値は高いと思われる。
なお、ムサシ機関の存在について、最初に報じたのは『赤旗』であった。
1970年代初頭のことである。
当時、政府関係者は存在自体を否定していたが、
時を経て、いまやその存在が認められたということは、『赤旗』の記事は正しかったことになる。
政治スタンスはともかくとして、軍事・外交分野での『赤旗』のスクープは、
もっと評価されてもいいのかもしれない。
ようやく日本でも「インテリジェンス」への真摯な関心が高まりを見せつつある中で、
従来なら公然と語ることができなかった事柄についても、
歴史の証言として残しておこうという気運が、彼らの中に芽生えてきたのかもしれない。
また一方で、自分の活動が正当に評価されないまま、歴史の闇に埋もれていくことに、
多少なりとも忸怩たる思いがあったのかもしれない。
ただ、いずれにしても、研究者の立場から見れば、
こうした流れは大いに歓迎すべきことである。
何といっても、情報史研究において、最大の障害は情報文書が決定的に不足していることであり、
それを補うためにも、情報関係者の証言や記録は、歴史的資料として貴重だからである。
もちろん、人間の記憶には不正確な部分があるので、
そうした証言や記録といえども、クロスチェックすることは欠かせない。
だが、最近まで、そのクロスチェックすらままならない状況が続いてきたことを思うと、
一連の回顧録が、この状況を改善する方向に作用していることは間違いない。
それゆえに、日本の戦後情報史も、
いよいよ新しいステージに入りつつあることを感じずにはいられないのである。
今回、ここで紹介するのも、同じく情報活動に従事した元自衛隊幹部の回顧録であり、
著者は、陸上幕僚監部第二部特別勤務班、通称「別班」と呼ばれ、
「ムサシ機関」というカバーネームが与えられた組織で機関長を務めた人物である。
平城弘通
『日米秘密情報機関 「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』
講談社、2010年
ムサシ機関とは、1954年頃、日米間で交わされた「MIST協定」に基づいて、
日米の情報協力関係を維持・発展させるために設立された部局で、
MISTとは、軍事情報スペシャリスト訓練(Military Intelligence Specialist Training)の略である。
この組織は当初、組織名が示す通り、情報員の育成・訓練を目的としており、
米軍の指導に基づいて、自衛隊員が情報活動の訓練を受けるという内容であったが、
1961年、日米間で新協定が締結され、
人材養成のプログラムと並行する形で、情報収集活動も担当するようになった。
もちろん、主な標的は極東アジアの共産諸国であり、
日米が共同の立場と責任において、それぞれ資金を分担する形で工作活動が進められたのである。
著者がムサシ機関に配属されていたのは、1964年から1966年の間であり、
ベトナム戦争が本格化した時代であった。
米国としては、東南アジアに情報活動の力点を置いていた時期であり、
手薄となりがちな極東アジアの情報収集活動について、
日本側のサポートを望んでいたのである。
日本側としても、米国からの情報提供に甘んじていることを好ましくないと考えていたため、
この機会を通じて、工作活動の強化を図りたかったのである。
だが、著者によると、確かに情報収集を目的とした工作活動は活発になったが、
いわゆるスパイ活動やプロパガンダといった謀略的な活動は、
資金と人員の不足によって不可能であった。
また、日米の資金分担に関しては、日本側25%、米国側75%の割合となっており、
米国の工作活動として正式承認されたものは、米国が全額負担していた。
著者は、こうした資金面での依存関係を改善する必要性を感じていたため、
「秘密工作」の一環として、街中で写真現像店を開業して、資金捻出に努めたという。
一方、情報協力の面においても、日本の対米依存が見られたことを率直に認めている。
米国側は、主に通信情報や偵察情報を基礎にした情報評価などを提供し、
日本側は、通信情報のほかに、在外自衛官などを通じて得た人的情報などを提供していたが、
その量と質は、圧倒的に米国側の方が優れていたからである。
もっとも、こうした格差によって、日本側は自前の情報の精度を確認することができたし、
米国側もまた、日本側の情報の中に初めて接するものもあったことから、
両者の利害が一致し、定期的に連絡会議が開かれたのである。
全体として、本書は、個々の工作活動を明らかにしたものではなく、
むしろ、組織的な面から日米の情報関係を振り返った内容といってよいだろう。
そこで、一つだけ注意しておかなければならないのは、
本書で記された情報協力は、基本的に日米の軍事関係者の間で構築されたものであって、
CIAや国務省とは別ルートであったという点である。
著者も指摘しているように、CIAと軍情報機関の不仲は有名で、
そうした事情が日本側にも持ち込まれて、
米軍が不信感を募らせるといったことも起こっていたらしい。
つまり、情報協力と一口にいっても、
情報ルートの系統ごとに異なった協力関係が存在しているということであり、
その系統同士の関係は、必ずしも協力的ではなかったということが分かるのである。
また、本書では、具体的な組織名や個人名が多く記載されているので、
今後、研究を進める上で、基礎的なデータを提供してくれるだろう。
その意味においても、本書の価値は高いと思われる。
なお、ムサシ機関の存在について、最初に報じたのは『赤旗』であった。
1970年代初頭のことである。
当時、政府関係者は存在自体を否定していたが、
時を経て、いまやその存在が認められたということは、『赤旗』の記事は正しかったことになる。
政治スタンスはともかくとして、軍事・外交分野での『赤旗』のスクープは、
もっと評価されてもいいのかもしれない。