YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

ポップス大好き

2010年09月30日 | ET CETERA
 日本のポップスが好きである。
 しかし、以前に比べると、聴く機会はだいぶ減ってしまった。
 日常生活が忙しくなったということもあるが、
 何事にもあまり感動しなくなったということもある。
 どんなものを見たり聞いたりしても、既視感を覚えることが多くなった。
 また、良くも悪くも世間知に通じるようになってきたので、
 知らないうちに、物事を斜に構えて見る癖がついてしまった。

 心が老いてきたということなのだろう。
 10代の頃みたいに、ポップスの世界に酔えなくなっている自分がいる。
 楽曲の中で提示されている物語に共感できなくなっている。
 些細な出来事にも心を躍らせるような感受性が失われてきている。
 これは非常によろしくない。
 心の水分を補給する必要がある。

 とはいえ、基本的に80年代ポップスで育った世代としては、
 最近のポップスは、アレンジの豪華さや派手さとは裏腹に、
 描かれている世界観が内面的な躍動感に乏しい印象を受けていたのも確かであった。
 ロックの基本精神が「現状打破」であるのに対して、
 「現状維持」にポップスの基本精神があることを考えると、
 現状維持の方向性がどこか退廃的な雰囲気を漂わせていることが多かったからである。

 流行歌において、同時代性は絶対的に不可欠な要素である。
 政治でも経済でも、価値の紊乱と相対化が著しく進んだ日本社会において、
 新しい価値観を提示するような楽曲を制作することが、
 非常に困難な作業であったことは想像に難くない。
 したがって、むしろ、そうした時代状況に抗うのではなくて、
 全面的に受け入れて狡猾に生き抜こうとするイメージに由来した楽曲が支持されたのだし、
 それは確かに一つの時代を象徴していたといえよう。

 以前、何かの雑誌でのインタビューにおいて、
 佐野元春がポップスの普遍性はポジティブな世界観に宿ると語っていた。
 これはまさしく真理であるように思う。
 CD売上の低下で、音楽業界全体が地盤沈下の傾向にあると言われているが、
 音楽配信の形式やメディアの変化といったハード面ばかりが理由なのではなく、
 この普遍性の追求こそが、最近のポップスで疎かにされていたからかもしれない。
 そして今、原点に回帰するかのように、
 それを現代的な音でうまく表現するアーティストが増えてきたことは、
 非常に喜ばしい出来事である。
 日本のポップスは、捲土重来、これからが大いに期待できそうな感じがする。

 そんなわけで、今度、いきものがかりのベストアルバムを予約してきます。
 発売は11月3日だそうです。
 それを聴きながら、いつしか忘れていた瑞々しい気持ちを取り戻したいところです。

読まずして語る方法

2010年09月28日 | WORK STYLE
 以前の記事で、司馬遼太郎の作品を読んだことがないと告白したが、
 古典や基本書だけでなく、話題になった本やベストセラーなど、
 読んでいるのが当たり前と思われている本を、実際には読んでいないということは、
 誰しもどこかで思い当たるところがあるのではないだろうか。

 世の中には「博覧強記」ともいうべき読書量と知識量を誇る人がいて、
 些細なことでも質問すると、その何十倍もの情報量で答えてくれることがある。
 聞いている側は、ただただ圧倒されるばかりで、
 この人は一体、どうやってこれだけの読書量をこなしているのだろうと不思議に思うこともある。
 とてもじゃないが、自分の読書速度を考えると、まるで歯が立たないからである。
 
 しかし、人によっては、まるで読んでいなくても、
 読んだふりをしなければならない時があるかもしれない。
 たとえば、学生がいる教室で講義している時や、
 学会や研究会など、大勢の人たちの前にして発表を行なう時など、
 「そんな本も読んでないの?」という嘲笑を避けるために、
 そうしたふりをすることは、自己保身上、止むを得ないことである。
 そこで、次の本を使って、その修練を積んでみては、いかがであろうか。

 ピエール・バイヤール/大浦康介訳
 『読んでいない本について堂々と語る方法』
 筑摩書房、2008年

 著者がフランス人なので、表現や文章の運び方が随分、まどろっこしいのだが、
 その心構えとしては、次の四つである。
 「気後れしない」
 「自分の考えを押しつける」
 「本をでっち上げる」
 「自分自身について語る」

 そもそも、本の読み方に定まった型というものはなく、
 自由に読まれるべきものであることを、著者は指摘する。
 その自由の中には、読まないという自由も含まれている。
 たとえば、中身を読まなくても、著書とタイトルだけ見れば、
 大体の内容が分かってしまうという場合もあるだろう。
 また、流し読みやつまみ読みで面白そうな部分だけ目を通している場合でも、
 それはそれで、その部分から自分なりの感想や評価へと拡張させていけばよい。
 大事なことは、「この本はこう読まれなければならない」という同調圧力から自らを解放することであり、
 先の四カ条もまた、そうした意味で掲げられている。
 読んでいないことは、決して罪悪ではないのである。

 もちろん、本は読まないより読んだ方がいいに決まっている。
 しかし、仮に読まなくても、想像的な作業ができないわけではない。
 したがって、見方を変えれば、本書は書評術の指南として読むことも可能である。
 特に面白くなかった本を書評する際には、こうしたテクニックを知っておくと何かと便利であろう。
 裏ワザ好きの人には、興味深く読める本だと思われる。

「書き言葉」と作文術

2010年09月27日 | WORK STYLE
 作文やレポート作成のハウツー本が書店に数多く並ぶようになって久しいが、
 日本人の文章能力が飛躍的に向上したという話は聞かない。
 むしろ、教育現場からは、小学生から大学院生まで、
 きちんとした文章を書けない学生が急増しているという声が後を絶たないようである。
 事態の改善に向けて、作文術や文章術といった講座を開講し、
 学生指導に当たっている大学もあると聞くが、
 十分な成果が上がっている雰囲気は見られない。
 実際、知り合いの大学講師から聞くところによると、
 定期試験で、解答者自身の見解を問う論述問題を出したら、
 「俺」という一人称を使って、答案を提出してきた学生がいたらしい。
 内容的には、必ずしも欠点に相当するものではなかったのだが、
 果たしてこのまま合格点を与えるのもどうかと悩んだとのことである。

 これは明らかに「話し言葉」と「書き言葉」の区別ができていない事例であろう。
 最近の小学校では、作文の時間に、あえて「話し言葉」で作文させる学校もあるらしく、
 もしかしたら、その学生も「話し言葉」で書くのが常識となっているのかもしれないが、
 普通は、何かを論理的に説明する場合には、「書き言葉」で表現するのが常識である。
 そうでないと、文字面は確かに見やすくなるが、
 前後の論理が飛躍していたり、押さえるべき事実が省略されていたりするので、
 書き手の意志や主張が理解しづらく、はなはだ読み手に負担をかけることになるのである。

 さすがに、いい歳した大人が「話し言葉」で企画書や報告書を書くことはないであろうが、
 「話し言葉」から「書き言葉」に表現形式を変えるだけで、
 どうしてここまで文章作成の上で大きな壁が生まれると感じるのであろうか。
 次に挙げる文献は、「話し言葉」と「書き言葉」の性質を区別し、
 何かを正確に伝える場合に必要となる「書き言葉」の力を育むためのものである。 

 工藤順一
 『文書術 読みこなし、書きこなす』
 中公新書、2010年

 著者は、長年、学習塾で国語教育に携わってきた人物で、
 現在、「国語専科教室」を開校して、小学生などに作文指導を行なってきたベテランである。
 本書の考え方は、「読み書き」の訓練とは、
 あくまでも「書き言葉」を通じて行なわなければならないとしている。
 元来、文章とは、読み手に自分の意志や主張を伝えるためのものである。
 そのためには、客観的に状況を把握し、全体像をつかんだ上で、
 それが相手にも分かるように、論理的に並べることが求められる。
 このことは、「書く」のみならず、「話す」際においても同様で、
 状況を共有していない第三者に対して、正確に何かを伝えようとするならば、
 必然的に「書き言葉」によって表現することが必要となる。
 つまり、本書で著者が目指しているのは、
 他人とのコミュニケーションにおける抽象性・主観性から具体性・客観性への転換であり、
 それに付随する形で、文章作成上の発想法や形式論が説明されるのである。

 本書で紹介されている例題は、
 いずれもその転換の力を鍛えるためのものと言っても差し支えない。
 何となく書きたいことはあるけれども、
 それをどうやって伝える形にすればよいかで悩んでいる人には良い訓練になりそうである。
 
 ちなみに、昔の政治家は、演説や答弁などを聞いていると、
 そのまま文字に起こせば文章として成立するようなものが多かったが、
 最近の政治家には、まったくそうした印象を受けることがない。
 これも作文教育の弊害なのだろうか。

誰が批判できるというのか?

2010年09月25日 | NEWS & TOPICS
 尖閣諸島付近において、海上保安庁の巡視船に衝突し、
 公務執行妨害で逮捕されていた中国漁船の船長が釈放されることになった。
 今日、中国からのチャーター機が到着して、帰国する見込みである。

 これまで経済・文化交流の停止やレアアースの対日禁輸など、
 手を替え品を替え、あれこれと日本への圧力を加え続けてきたが、
 あくまでも日本は、国内法に則って、粛々と司法手続きを進める姿勢を崩さなかった。
 
 しかし、昨日、遺棄化学兵器処理事業に従事していた日本人会社員4人が、
 中国の公安当局によって身柄が拘束されたニュースを聞いた時、
 これは間違いなく、近いうちに日本側が折れることになるだろうなと思っていたら、
 急転直下で、船長釈放である。
 菅政権、特に仙谷官房長官の感覚は、田中真紀子元外相と同レベルであることを見事に露呈した。

 この釈放がもたらす影響については、すでに多くのメディアで指摘されているので、
 もはやここで改めて言及する必要はないだろう。
 多分、その懸念は現実となり、今後、東シナ海は一気に緊張の海へと変貌を遂げることになる。
 そして、日米安保が実質を伴ったものであるかどうかが、いよいよ試されることになるであろう。
  
 ただ、今回の件で、日本政府の判断に批判的な声が上がっているようだが、
 日本の現状を踏まえば、こうなることは至極、当然であって、別段、驚きに値するものではないだろう。
 軍事的圧力を加えられるはずもなく、経済的制裁を行なうわけにもいかず、
 合法的に司法手続きを進めることだけが、唯一、選択可能な手段であった中で、
 日本人が身柄拘束された以上、その安否に配慮しない決断を下すことはできないだろう。
 したがって、心ある人は、こういった事態が現実に起きてしまう前に、
 中国との軍事的格差を埋めるべきと発言していたし、
 ともすれば核武装も視野に入れるべきとの議論を提起していた。
 中国に対して、日本の利益を守るには、それしか方法がないと気づいていたからである。
 だが、多くの人は、それをまるで法螺話でも聞かされるかのように一蹴し、
 まったく相手にしなかったではないか。
 このとき、彼らの多くは、ソフトパワーやら相互依存やら、何やら訳の分からん理屈を振り回していたが、
 その結果がこの有様である。
 地獄の火の中に投げ込まれて然るべき人たちであろう。

 彼らが根本的に間違っているのは、どれだけ経済的に発展したとしても、
 中国の本質とは共産主義体制にほかならないという現実を理解していないことである。
 かつてソ連を引き合いにして、共産主義の性格を喝破したジョージ・ケナンは、
 有名な「長文電報」ではっきりと書いている、共産主義体制は、力の論理に敏感であると。
 ここでいう「力」とは、経済力でもソフトパワーでもなく、すなわち、軍事力のことである。
 そして、そうした国と交渉する際には、決して弱い立場から交渉してはならず、
 常に強い立場を確保した上で交渉することが肝要であるとも指摘している。
 今回の件は、ケナンによって指摘された共産主義の性質が、
 中国においても、まさしく如実に表れたものと言えるのではないか。
 
 また、日本国民も、いい加減、軍事アレルギーから卒業してもらわないと困る。
 小さな善を為すために、大きな悪を見逃すような姿勢や態度は、卑怯者のメンタリティである。
 菅政権の判断を「腰抜け」というのは簡単だが、
 それはそのまま、国民自身が軍事や安全保障に関心を寄せないで、
 むしろ、将来的には無くなればいいと夢想していたことの裏返しにほかならない。
 卑怯で腰抜け、これが今の日本国民の姿である。
 誰が菅政権を批判できるというのだろうか。

「ムサシ機関」と日米の情報関係

2010年09月24日 | INTELLIGENCE
 近年、情報活動に従事した元自衛隊幹部の回顧録が相次いで出版されている。
 ようやく日本でも「インテリジェンス」への真摯な関心が高まりを見せつつある中で、
 従来なら公然と語ることができなかった事柄についても、
 歴史の証言として残しておこうという気運が、彼らの中に芽生えてきたのかもしれない。
 また一方で、自分の活動が正当に評価されないまま、歴史の闇に埋もれていくことに、
 多少なりとも忸怩たる思いがあったのかもしれない。

 ただ、いずれにしても、研究者の立場から見れば、
 こうした流れは大いに歓迎すべきことである。
 何といっても、情報史研究において、最大の障害は情報文書が決定的に不足していることであり、
 それを補うためにも、情報関係者の証言や記録は、歴史的資料として貴重だからである。
 もちろん、人間の記憶には不正確な部分があるので、
 そうした証言や記録といえども、クロスチェックすることは欠かせない。
 だが、最近まで、そのクロスチェックすらままならない状況が続いてきたことを思うと、
 一連の回顧録が、この状況を改善する方向に作用していることは間違いない。
 それゆえに、日本の戦後情報史も、
 いよいよ新しいステージに入りつつあることを感じずにはいられないのである。

 今回、ここで紹介するのも、同じく情報活動に従事した元自衛隊幹部の回顧録であり、
 著者は、陸上幕僚監部第二部特別勤務班、通称「別班」と呼ばれ、
 「ムサシ機関」というカバーネームが与えられた組織で機関長を務めた人物である。
 
 平城弘通
 『日米秘密情報機関 「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』
 講談社、2010年

 ムサシ機関とは、1954年頃、日米間で交わされた「MIST協定」に基づいて、
 日米の情報協力関係を維持・発展させるために設立された部局で、
 MISTとは、軍事情報スペシャリスト訓練(Military Intelligence Specialist Training)の略である。
 この組織は当初、組織名が示す通り、情報員の育成・訓練を目的としており、
 米軍の指導に基づいて、自衛隊員が情報活動の訓練を受けるという内容であったが、
 1961年、日米間で新協定が締結され、
 人材養成のプログラムと並行する形で、情報収集活動も担当するようになった。
 もちろん、主な標的は極東アジアの共産諸国であり、
 日米が共同の立場と責任において、それぞれ資金を分担する形で工作活動が進められたのである。

 著者がムサシ機関に配属されていたのは、1964年から1966年の間であり、
 ベトナム戦争が本格化した時代であった。
 米国としては、東南アジアに情報活動の力点を置いていた時期であり、
 手薄となりがちな極東アジアの情報収集活動について、
 日本側のサポートを望んでいたのである。
 日本側としても、米国からの情報提供に甘んじていることを好ましくないと考えていたため、
 この機会を通じて、工作活動の強化を図りたかったのである。
 
 だが、著者によると、確かに情報収集を目的とした工作活動は活発になったが、
 いわゆるスパイ活動やプロパガンダといった謀略的な活動は、
 資金と人員の不足によって不可能であった。
 また、日米の資金分担に関しては、日本側25%、米国側75%の割合となっており、
 米国の工作活動として正式承認されたものは、米国が全額負担していた。
 著者は、こうした資金面での依存関係を改善する必要性を感じていたため、
 「秘密工作」の一環として、街中で写真現像店を開業して、資金捻出に努めたという。

 一方、情報協力の面においても、日本の対米依存が見られたことを率直に認めている。
 米国側は、主に通信情報や偵察情報を基礎にした情報評価などを提供し、
 日本側は、通信情報のほかに、在外自衛官などを通じて得た人的情報などを提供していたが、
 その量と質は、圧倒的に米国側の方が優れていたからである。
 もっとも、こうした格差によって、日本側は自前の情報の精度を確認することができたし、
 米国側もまた、日本側の情報の中に初めて接するものもあったことから、
 両者の利害が一致し、定期的に連絡会議が開かれたのである。

 全体として、本書は、個々の工作活動を明らかにしたものではなく、
 むしろ、組織的な面から日米の情報関係を振り返った内容といってよいだろう。
 そこで、一つだけ注意しておかなければならないのは、
 本書で記された情報協力は、基本的に日米の軍事関係者の間で構築されたものであって、
 CIAや国務省とは別ルートであったという点である。
 著者も指摘しているように、CIAと軍情報機関の不仲は有名で、
 そうした事情が日本側にも持ち込まれて、
 米軍が不信感を募らせるといったことも起こっていたらしい。
 つまり、情報協力と一口にいっても、
 情報ルートの系統ごとに異なった協力関係が存在しているということであり、
 その系統同士の関係は、必ずしも協力的ではなかったということが分かるのである。

 また、本書では、具体的な組織名や個人名が多く記載されているので、
 今後、研究を進める上で、基礎的なデータを提供してくれるだろう。
 その意味においても、本書の価値は高いと思われる。

 なお、ムサシ機関の存在について、最初に報じたのは『赤旗』であった。
 1970年代初頭のことである。
 当時、政府関係者は存在自体を否定していたが、
 時を経て、いまやその存在が認められたということは、『赤旗』の記事は正しかったことになる。
 政治スタンスはともかくとして、軍事・外交分野での『赤旗』のスクープは、
 もっと評価されてもいいのかもしれない。

ベトナム戦争関係のFRUS最新刊

2010年09月23日 | ARCHIVES

 今月8日、ならびに16日、国務省編纂『米国外交文書集(FRUS)』の最新巻(2巻)が公刊された。
 内容としては、1970年代前半における米国のベトナム政策を中心としたもので、
 ニクソン政権での政策決定プロセスや北ベトナムとの和平交渉などに関する文書が収録されている。
  
 詳しくは、国務省歴史家局ウェブサイトを参照。

 Foreign Relations of the United States, 1969–1976
 Volume VII, Vietnam, July 1970–January 1972
 http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1969-76v07

 Foreign Relations of the United States, 1969–1976
 Volume IX, Vietnam, October 1972–January 1973
 http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1969-76v09


データ改竄・研究者の場合

2010年09月22日 | NEWS & TOPICS

 研究者であれば、データ改竄という行為が万死に値することは常識である。
 数年前、韓国でクローン研究を専門とし、ノーベル賞も近いと囁かれていた科学者が、
 重大なデータ改竄を行なっていた事実が発覚し、学界から追放された。
 日本でも、考古学の分野で、「ゴッドハンド」と称される有名な調査員がいて、
 その人物が手がけた史跡からは、必ず大発見が出てくると持て囃された時期があったが、
 新聞記者のスクープにより、自分で土器や勾玉などを埋めていた事実が発覚し、
 同じく学界から追放された。
 いずれにおいても、当然の結果であって、同情の余地など微塵もない。
 その後、彼らの業績はすべて抹消されるとともに、
 彼らが関係した研究に関しても、徹底的な検証作業が進められることになった。
 そして、その多くは、信頼性が低いとして否定されていったのである。

 研究者にとって、最も犯してはならない行為とは、盗作と捏造である。
 盗作は、他人が重ねた努力を詐取する行為にほかならないし、
 捏造は、客観的事実に基づいた真理の追求を目指す世界において、
 その前提を覆す行為と言えるからである。
 したがって、研究者の世界で、万が一、盗作と捏造のレッテルが貼られたら、
 もはやその世界で生きていくことは諦めなければならない。
 先に挙げた二人のみならず、こうした行為に及んだ研究者の多くは、
 その資質とモラルが厳しく問われ、石を投げつけられるかのように追い出されてきた。
 真理への冒涜は、研究の世界では絶対に許されないことなのである。

 翻って、大阪地検特捜部主任検事が、
 証拠物品として押収されたフロッピーファイルのデータを改竄していた事実が発覚し、
 世間を大きく賑わせている。
 検察当局は、あくまで個人レベルでの犯罪と位置づけており、
 組織的関与はなかったという立場を採っているが、
 各種の報道を見ている限り、黙認という形での間接的な関与はあったような印象を受ける。
 実際、今回の事件が発覚する前に、主任検事は上司にデータ改竄を伝えていたらしく、
 その間、大阪地検で特別な措置を講じた様子は見られない。
 厚労省元局長の無罪判決が出なければ、
 もしかするとそのまま沈黙を保ち続けていたかもしれなかったのである。
 
 また、裁判で証拠として提出しなかったとはいえ、
 証拠物品に手を加えたという事実そのものが非常に重大な検察への疑念を抱かせる。
 検察に押収されたものは適切に管理・処理されているという保証が、
 今回の事件で崩壊してしまった。
 今後、弁護側は、被告に都合の悪い証拠について、
 いちいち適切に管理されていたか問い質すことになるだろう。
 それは当然のことであって、こうしたことが罷り通っていたら、
 犯罪などいくらでも捏造可能となってしまう。
 この検事は、すでに証拠隠滅罪として起訴されており、
 最長で懲役2年の刑罰が加えられるらしいが、
 検察が被った信頼の喪失は、とても2年くらいで回復できるものではないだろう。
 まさしく万死に値する犯罪である。
 
 蛇足だが、海上保安庁のパトロール船に体当たりした漁船の船長が日本に拘束され、
 中国側が早急に釈放することを要求しているけれども、まったく相手にする必要はない。
 色々と涙ぐましい制裁措置を繰り出して、
 中国国内で反日気運が盛り上がっているかのように見えるが、
 近いうちに、その不満の矛先は中国政府自身に向けられるであろう。
 また、中国が船長の釈放を強く要求するのは、日本に拘留されている間に、
 実を言うと、政府の意向を受けて活動していたと供述されることを恐れているからである。
 体当たりという暴挙に出たのも、そうした後ろ盾があったからであろう。
 ちなみに、尖閣諸島の問題に関しては、
 共産党の機関紙『しんぶん赤旗』が非常に分かりやすく解説してくれている。
 勉強になるので、一度、読んでみるとよいでしょう。

 「日本の領有は正当/尖閣諸島 問題解決の方向を考える」
 『しんぶん赤旗』2010年9月20日web版
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-20/2010092001_03_1.html

 なお、共産党の公式見解においては、尖閣諸島を日本固有の領土と定めている。
 やるじゃないか、共産党。


「産業報国」の精神

2010年09月20日 | MILITARY
 第二次大戦が終結した後、日本は米国によって占領統治を受けることになり、
 非軍事化の一環として、財閥解体が断行された。
 その中で、戦時中、造船や航空機の開発生産を行なっていた三菱重工は、
 昭和25年、東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業の三社に分割されてしまったのである。
 財閥解体に際して、当時の三菱重工社長・岡野保次郎は、全社員への告辞として、次のように語った。

 「わが三菱は創業以来、実に80年の久しきにわたりう所期奉公を社則とし、
  単なる営利会社にあらざりしことは、すでに諸子のよく知るところなり。
  されば過去においても国運発展に関係薄き事業は、たとえそれがいかに利潤多きものであっても、
  かつて手を初めたることなし」

 「しかるに世間は必ずしも真相知らずして時にいわゆる『財閥』として敵視するものもありたり。
  それにもかかわらず、今日のごとき混乱の末世においても、
  業界におけるわが社の信用絶大なるものある現実はなぜぞ。
  これまったく、社祖岩崎彌太郎以来歴代社長が真に国家の利益を第一義として、
  社業を経営し来れるためにほかならず。
  諸子は今後常にこの大方針を忘れることなく、よく乏しきに耐えて大勇猛進を奮い起こし、
  正々堂々邁進せられるよう祈る次第である」

 「私はわが三菱重工業株式会社の最後の社長として、全従業員諸子に対し、
  どこまでも国家と運命をともにするべきことを要請する」

 このエピソードは、次の文献において紹介されている。

 桜林美佐
 『誰も語らなかった防衛産業』
 並木書房、2010年、28-29頁。

 軍事と言えば、兵器や装備のスペックについて事細かく論じるマニアが数多く存在するけれども、
 そうした技術を支える人たちや企業にまで関心を広げる機会は案外、少ないように思われる。
 本書は、日本の防衛産業に従事する企業や技術者への取材を通じて、
 彼らがどのような思いで防衛産業に携わっているのかをレポートしたものである。

 すでに各方面で報じられているように、
 中国やロシアが近年、明らかに軍拡の動きを強めているのとは対照的に、
 日本では防衛費削減の傾向が続いている。
 その結果、生産中止や大幅な減産に追い込まれた兵器や装備が相次いでおり、
 防衛産業自体が大きな利潤を生まない分野に落ちぶれつつある。
 企業の論理で考えれば、早々に撤退して、民需生産に完全シフトした方が賢明と言えるだろう。
 しかし、それでも細々と軍需生産を続けている企業が存在している。
 儲からないにもかかわらず、である。

 本書の著者・桜林氏は、「装備品はずっと作り続けることで、新しいものが作れるのである。
 作ることをやめれば、新しいものは生まれないのだ」と指摘している(同書222頁)。
 昨今、厳しい財政事情を反映してか、
 他国で安く生産できるものなら輸入した方が効率的だという議論が見受けられるが、
 その論理を国防や安全保障の分野にまで持ち込むのは、確かに危ういものがある。
 実際、桜林氏が取材した技術者や企業の多くが、
 生産中止によって技術者がいなくなってしまうことを恐れており、
 ある日突然、生産再開を指示されても対応できない可能性があると語っている。
 シミュレーション・ゲームのように、現実の社会は都合よく動いてはくれないのである。

 本書を通じて感じられるのは、非常に高度な技術が求められる軍需生産の現場において、
 まさしく日本の「ものづくり」の精神が見事に発露されている点である。
 一つ一つの技術が名工とも言うべき職人によって支えられている。
 技術とは、単純にマニュアルがあれば誰にでも習得できるものではない。
 最後は、経験と勘が物を言う世界である以上、
 技術継承の機会が断絶することは避けなければならないだろう。
 また、日本の技術優位が失われることで、対外的な抑止効果が低下する可能性もある。
 それを何よりも恐れているのは、そうした技術者たちなのである。
 政府として、早急な対策を進めてもらいたいところである。

 それにしても、最近、軍事や戦争をテーマに選ぶ女性ジャーナリストが多くなった印象を受ける。
 元来、男ばかりでむさ苦しい分野だっただけに、女性の視点が入ってくることは非常に喜ばしい。
 もちろん、何かを議論する上で、男も女も関係ないのは当然ではあるが、
 男女の垣根を超えて、軍事について語る環境が整ってきたことは良いことである。
 これからもたくさん参入してほしいと思う。

一流選手になれない気質

2010年09月19日 | ET CETERA
 小学生の頃、地元の少年野球チームに入っていた。
 ポジションはキャッチャーだった。
 監督やコーチから出されたサインをきちんと覚えている唯一の選手だったからである。
 今にして思えば、随分と情けない理由でキャッチャーを任されたものだが、
 そんなチーム事情にもかかわらず、意外に強くて、市内の大会ではいつも優勝していたし、
 協会推薦で出場した近畿大会でも、3位まで上り詰めた。
 全国大会への出場枠は、優勝・準優勝の2チームに限られていたため、
 その切符を手にすることはできなかったが、
 サインもまともに使えないチームがここまで勝ち残ったというだけでも大したものである。
 そのため、負けても別段、悔しいとは思わなかったし、
 明らかに準決勝で実力の差を感じたので、負けたのも仕方ないと割り切ることができた。

 だが、試合後、周囲を見ると、同じチームメイトが涙を流して悔しがっていた。
 聞くと、全国大会に行きたかったそうである。
 おいおい、だったらサインくらい全部、覚えてから試合に臨もうぜと言いたいところだったが、
 そこは内心、こちらとしても行けるものなら全国大会に行きたかったので、
 確かに残念な気持ちは持っていた。
 しかし、それが悔しいという気持ちに到達するまでには、大分、距離があって、
 さすがに涙がこぼれるような感情の起伏を生んではいなかったのである。

 すると、周りで泣いていないのは、自分一人であることに気づいた。
 監督やコーチは、他のチームメイトを慰めたり、肩を抱いてやったりして、
 なかなか感情を抑えることができない様子だったが、
 自分はさっさとプロテクターを外して帰り仕度を進めていたのである。
 おそらくそうした態度がどうも気に入らなかったのであろう。
 見に来ていた父兄の一人が、こちらに向かってきて「悔しくないのか!?」と詰め寄ってきた。 
 ここで、小学生のくせに生意気なことを言わなければよかったのだが、
 「悔しいというより、残念な結果だった。また次に頑張ればいいと思う」といったところ、
 「そんな心構えだから負けるんじゃ!」と怒鳴られた揚句、一発、殴られてしまった。

 それは、幼心にきわめて理不尽に感じた。
 ちなみに、その日の準決勝は、19対2で負けたのである。
 もはや精神論で克服できる得点差ではない。
 要するに、ボロ負けなのである。
 実力の差を感じたというのは、そういう意味である
 しかし、それを今、言い募っても、かえって火に油を注ぐようなものである。
 そのため、理不尽に思いながらも、小さく「スイマセン…」と言うしかなかったのである。

 この出来事が災いしたからかどうかは分からないが、
 昔から「スポ根」が嫌いである。
 仲間同士の同調圧力がどうしても好きになれないからである。
 また、この気質が団体競技のプレーヤーに向かないことも悟った。
 それよりも、相手のデータを収集・分析して、あれこれと戦術を考えたり、
 過去の試合を振り返って、その敗因を検討したりする方が性に合っている。
 その点では、基本的に裏方気質なのだろう。

 ただ、一流と呼ばれる選手は、この両方を兼ね備えているように思う。
 イチローなどを見ていると、つくづくそれを感じる。
 華やかさと地道さ、この二つの面を持っていてこそ、国民的スターになれる。
 中学に進学する際、リトルリーグに所属して野球を続けていれば、
 有名校からスカウトされるかもしれないと期待を寄せてくる人もいたが、
 きっとその道に進んでいても、この気質が変わらない限り、一流選手になることはなかったであろう。
 早々に撤退して正解であった。

「脱小沢」路線は吉か凶か?

2010年09月18日 | NEWS & TOPICS
 合理的に考えれば、党内融和に動くと予想していたのだが、
 どうやら菅氏は、この機会を生かして、
 本格的に小沢氏のグループを潰すという選択肢を採用したようである。
 注目の幹事長職には、岡田外相が起用された。
 本人はまだ外相に未練があったらしく、
 当初、要請があった際も固辞する姿勢を見せていたが、
 最終的に「あなたしかいない」と口説かれて、覚悟を決めたとされている。

 また、もう一つ、今後の展開を考えた時、
 党選対委員長に渡辺周氏が就任したことも注目しておく必要がある。
 渡辺氏は、前原グループに所属し、
 「政治とカネ」をめぐる問題に批判的な立場を貫いてきた人物で、
 当然、小沢氏との距離は離れており、今回の党代表選においても菅氏支持を明らかにしていた。
 
 ここまで「脱小沢」を志向した閣僚人事と党人事を断行してしまった以上、
 いくら口先で「412人内閣」や「有言実行内閣」と言ったところで、
 党内調整が難しくなることは避けられない。
 岡田氏が幹事長就任を渋ったのは、外相への未練だけではあるまい。
 これから先、民主党は国会だけでなく、党内にも野党を抱えた状態になる。
 特に小沢氏のグループは、一人の入閣も果たせなかったことから、
 現執行部への反発をさらに強めるであろう。
 そうした中で、各方面の調整をどうやって図っていけばよいのかと考えた時に、
 思わず憂鬱な気分に囚われたとしても不思議ではない。
 普天間問題から解放されても、岡田氏の胃が痛む日々は続くのである。
 
 党内の不満分子と「ねじれ国会」という現実に直面する中で、
 菅氏が採り得る選択肢は自然と狭まってくる。
 一つ目は、党内で吹き荒れる「菅おろし」の動きに応じて、
 彼らの言い分を丸飲みしていくことである。
 だが、この選択肢は、今回の人事を見て分かるように、
 最初に消去されてしまった。
 二つ目は、「ねじれ国会」解消に向けて、野党との政策連携を進めていくことである。
 すでに新党改革は、民主党との政策協議に応じる姿勢を明らかにしており、
 両者が提携する可能性は十分考えられるのだが、
 その他の野党に関しては、今のところ期待薄と言わざるを得ない。
 
 そこで、三つ目として、衆参同時選挙という選択肢が出てくることになる。
 とりわけ現在、国民的関心が民主党に引き付けられ、
 菅政権の支持率も回復傾向にあるという現状を踏まえれば、
 大きな政策上のミスが出る前に、国民に信を問うことも間違った判断とは言えないだろう。
 ここで、選対委員長を石井一氏から渡辺周氏に代えた意味が発揮される。
 石井氏も菅氏支持を明らかにしていた人物だが、
 本妻があくまでも小沢氏であることは周知のことであろう。
 今回、幹事長・選対委員長という選挙活動の中枢を牛耳ったことで、
 170億とも言われる政党交付金は、実質上、菅氏の手中に収まった。
 解散総選挙をちらつかせるだけで、小沢氏のグループに揺さぶりをかけることができるし、
 もし総選挙になっても、党の金庫は押さえているわけで、
 以前に比べて、小沢氏のグループをコントロールすることは難しくなくなった。
 さらに、万が一、衆参で民主党が第一党を占めるようになれば、
 懸案の「ねじれ国会」も解消される。
 
 やはり来年1月の通常国会までが、一つのポイントになってくるだろう。
 いやはや、それまでの間、果たしてどうなることやら。