yoyo独り言

日常の思いつくままを、
心の整理場所として・・

セネガル便り-651-

2015年04月26日 | セネガル便り
セネガル便り No638~No639 届きました。
それと「懐かしの歌」CDも届きました。(3月19日)
早速 プレイヤーを・・・
お約束の 涙ぼろぼろになるかな?・・・と。
いっや~ 澄み切った声、日本の古い歌声、歌い方・・・
ず~っと 心臓がドキドキ鳴りっぱなし。
懐かしい歌詞、曲、
これらは私の小学校時代に聴いたか、習ったものですね。
で、この心臓の鼓動、響きは 私にとって何だろうと考えていましたら
懐かしさは勿論なんですが、恋しさなんですよね。
だって 私の日常、当たり前なんですが、
プール語かウオロフ語かフランス語で会話しています。
家の中に居る時だけ、日本語を頭の中で考えています。
そう言った事が2年~3年位でしたら、
まだ 非日常と楽しむ事が出来ると思いますが、
もう約15年ですから、同じセネガルの田舎の村にて・・・・
そこにこだわるつもりは無いのですが・・・
こうして 「懐かしの想い出」 として
ふるさと・あおげば尊し・小さい秋みつけた・富士山・青い山脈・・
等聴かされたら、何をどうやっても適わない・・
「あっ!やられた」 「私をどうしろと言うのだ」
例 ふるさと 如何に在ますの「います」は
住んでいるではなく尊敬語で
「どうしていらっしゃるのでしょうか、お父さん、お母さん?」
という意味(歌のルーツを尋ねてより)
そう言った事、私にも思い当たりました。
又、青い山脈 ♪ 若く明るい歌声に・・・・
この軽快なリズム、弾むような声、
♪ 古い上着よさようなら、さみしい夢よさようなら・・
もう訳が分からないうちに内に勇気が出てきます。
そして何が有っても頑張ろうという気持ちにもなりました。



このCDを送ったのですが
喜んでもらえて嬉しいです。
海外に長期に滞在していると
日本語そのものが懐かしく、そのイントネーションが
耳に心地よく響いていくのでしょうね。




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