よっちゃんの独り言

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台湾へ(2) 台湾ランタンフェスティバル

2015年03月13日 | 旅行
台湾2日目の夜、台湾ランタンフェスティバルを見学した






ランタンフェステバルは、台湾の旧正月を祝う行事として毎年開催地を変え行われている

今年はここ台中駅前での開催となった

規模が偉容だ

これほどの行事は日本にはない

3月5日から15日までの期間開催されている

会場の一部をみてほしい





















































見事だ

見学時間が約1時間と短かったので全てを回ることは出来なかったが、規模の大きさに驚いた

前々日の3月8日の日曜日には約130万人が詰めかけたと。







台湾へ(1)

2015年03月13日 | 旅行
この年になり初めての「台湾」へ


成田からキャセイ航空で出発


約3時間30分で桃園市にある桃園国際空港へ

到着後、高速バスで「嘉義市」へ

台湾はさつまいもに似た形状の島国で、面積は日本の九州に近い

嘉義まで高速道路で約3時間

この日はホテル直行

ツアーのため強行日程はやむを得ない

日本との時差は1時間、日本より1時間遅い


翌日はホテル朝食後高速バスで1時間の「高雄」へ

ここは台湾第二の都市だ

「蓮池譚公園」へ



「龍」のイメージをした橋が


高雄港や市内を見下ろす「寿山公園」へ




名勝地「日月譚」へ
ここは中部台湾を代表する景勝地で高雄から約3時間30分の距離だ


雨が多いところと聞いていたが、強い雨と濃霧で何も見えない
北海道の摩周湖を思い出させる濃霧だった




巨大な獅子が迎えてくれる「文武廟」を見学


早々に「台中」へ  

つづく










県議会一般質問を傍聴!

2015年03月07日 | 日記
昨日、誘われ茨城県議会定例会の一般質問を傍聴した。

地元県議が質問するとあって、当該県議の後援会がなんと大型バス7台をチャーター。

300人を超える後援者が茨城県議事堂に詰めかけた。

傍聴席は満席、傍聴できない人はロビーのテレビで見入った。


午後3時40分から質問に立った県議は、2期目の新鮮さが売り物の好青年だ。

約30分間に7つの課題を質問した。

質問の内容は省略するが、一括方式と呼ばれる質問だ。

全ての質問項目を一括して質問し、知事や商工労働部長、教育委員会委員長などが答弁を行う。

その間、ヤジが飛ぶわけでもなく淡々と進行する。

結局、質問30分、答弁30分の1時間が作られた作文を発表するように行われた。

味気ない、本当に寂しい、県の最高機関の審議がこんなことでよいのだろうか。

テレビ中継で国会での論戦をみていると、この県議会の状況は如何なものか。

県の答弁に対して再質問は無く、議長も他の議員に対して質問の余地を与えない。

県の答弁が終えた瞬間、議長から「本日の会議は終了する」の発言で一斉解散。

300人の一員として傍聴したが、「これでいいの?」が感想だ。


傍聴者には厳しい傍聴ルールが説明され、静寂を旨とし拍手一つも禁じられている。

一方、議員の中には隣の議員と雑談するや、居眠りとも思える姿もあった。



偕楽園へ

2015年03月05日 | 日記
観梅が始まって約2週間

そろそろ梅も咲きそろっただろうと偕楽園へ

風がやや冷たかったが絶好の天気

いつもと違い「御成門」から入場


平日だったが多くの観梅の人たちが

紅梅が咲きそろっていた


いつものように常磐神社に参拝ののち階段を降りた


南崖にある洞窟は水戸城までつながっているとの言い伝えもある


南崖から見上げる紅梅は見事だ


こんな所に「大日本史編纂」の記述が


公園広場から千波湖方面を見る


南崖から見た紅梅


好文亭を望む広場は美しい


好文亭には今日も多くの人が


田鶴鳴梅林を望むが、まだ咲きそろってはいない、3分咲きといったところか


南崖には見事な松もある


表門に向け歩く
表門出口付近には杉並木と竹林が静寂を創っている




約2時間、8,000歩のウォーキングだった。

偕楽園の梅はこれからが見頃だ。

3月12日~13日あたりが満開かなと感じた。







「小瀬一揆跡を訪ねる」(自然と歴史講座)

2015年03月03日 | 日記
「小瀬一揆」をご存知だろうか。

明治時代当初、地租改正事業に反対する那珂郡小瀬地方の農民たちが明治9年(1876年)に起こした農民一揆をいう。

地租改正とは

封建制社会から近代的国家社会への変革のため明治新政府が行った三大改革の一つ。

三大改革とは「学制」「徴兵制」「地租改正」

那珂郡小瀬地方とは、現在の常陸大宮市小舟、大岩、上小瀬、下小瀬などを指し、旧大宮町の照田、長田や旧御前山村の野口なども含まれていた。


小瀬一揆

明治9年ごろ、当地方は大洪水や大暴風、冷害などから米価が下落、農民は燦燦たる窮状だった。

そこに追い打ちをかける地租税率3.0%

小舟村の本橋次郎左衛門、上小瀬村の大町甚左衛門、長田村の鈴木教善が農民救済を掲げ立ち上がった。



当時、茨城県権令(後の県知事)だった中山信安に小瀬地方の農民達は農民救済の建白書を提出するも却下される。

その後、茨城県真壁郡においても地租改正などに反対する農民一揆がおこる。

小瀬地方では、明治9年12月6日から7日にかけ小祝地区で800人余りが集会を開催。

この時は当時の巡査(警察官)に諭され解散した。

12月8日上小瀬、小舟の農民等は高館山に集合、嘆願書を作成した。


この時も巡査2名が解散を命令したが、この時は農民たちが巡査2名を殺害する。

12月9日から10日 農民たちは「徳川御用」の檄文や「救万民」の旗を持ち、長田村淡島神社境内に集合

その数は1,500人とも1,600人とも。

12月10日朝、小野河岸から那珂川を渡り阿波山上神社(現在の城里町阿波山)境内へ


那珂川を渡るには、舟が少なく歩いたり泳いで渡ったと、境内に集まった数 2,000名とも。

上神社境内で暖をとり、石塚村(城里町石塚)薬師寺境内へ移動


そこに来た巡査2名をも殺害。

十万原に向かい、途中で警官・士族混成の鎮定隊と衝突した。

この時、県は水戸監獄に収監されていた囚人6名に農民達の首謀者暗殺の密命を出した。

なんと一揆を鎮めるため、囚人を使ったのだ。

農民の代表者たちはこの囚人に襲われ殺害された。

農民たちは首脳を失い離散した。

これより前、明治9年12月19日には三重県、愛知県、岐阜県、大阪府でも地租改正反対の一揆がおきた。


明治10年、福島県白河郡に逃げていた小林彦衛門が捕縛、岡崎新八は宮城県の山中で捕まった。

同年1月にはそれまで3%だった地租が2.5%に引き下げられた。

中山信安県令は罷免させられた。(囚人を使ったことなどが影響?)


明治11年8月12日 水戸裁判所で争いで命を落とさなかった首謀者たちに処罰が言い渡された。

本橋次郎左衛門(39歳)に斬首、岡崎新八(35歳)、小林彦衛門(33歳)に絞罪。

その他懲役24名、罰金1,064名となった。


本橋次郎左衛門の辞世の句

「國のため民のためぞと思ひしに 身のいたづらとなるは悲しき」


またこんな言葉も

「竹やりでドンと突き出す2分5厘」

壮絶なドラマだ。