吉田麺業のスタッフブログ

創業明治23年。名古屋市中川区で名古屋名物「きしめん」の製造を続ける「吉田麺業」のスタッフブログです。

昭和40年代からのよしだ麺の様子です。(よしだ麺)

2009年03月27日 | 社長インタビュー

社長インタビューのご紹介をさせていただいております。

今回は昭和40年代からの様子です。

この頃から大型スーパーマーケットが出来始めました。

それまでは製造販売のみでしたが、飲食店を出すことになりました。

始めの店が上飯田にあるダイエーでした。

その後、ダイヤモンドシティー、エスカ、テルミナと店を出しました。

エスカは飲食店とお土産店を出しておりました。

当時はまだ新幹線が名古屋止まりでした。

そのため名古屋のお土産として、よしだ麺を買って行かれた方からぜひ送ってほしいとの要望がありました。

電話注文から始まった通販です。

今では、全国各地からのご注文を頂いております。

大変ありがたいことです。

また、3年前からはインターネット販売も開始いたしました。

若い方にもぜひお召し上がり頂きたいです。

次回は、名古屋の麺についてです。

よしだ麺HP
http://www.yoshidamen.co.jp/


戦後のよしだ麺の様子(よしだ麺)

2009年03月25日 | 社長インタビュー

社長インタビューのご紹介をさせていただいております。

今回は戦後の様子です。

名古屋では麺作りが盛んに行われるようになりました。

小さな製麺工場がたくさんありました。

きしめん、うどん、ひやむぎなどが人気があり、消費も多くありました。

しかし、洋食が普及し始めると、麺の人気が以前ほどではなくなりました。

また、機械も普及し始め、機械化が進みました。

そのため小さな製麺工場がなくなり、大きな工場が増えていきました。

現在麺を作り、乾燥させるお店は名古屋市内では、よしだ麺のみとなりました。

次回は、その後のよしだ麺についてです。

よしだ麺HP
http://www.yoshidamen.co.jp/

 


戦前からのよしだ麺の様子(よしだ麺)

2009年03月18日 | 社長インタビュー

社長のインタビューのご紹介をさせていただいております。

今回は、戦前からのよしだ麺の様子です。

戦争が激しくなる前(昭和10年ごろ)は自由に麺の製造販売することができましたが、戦争が激しくなってくると、自由に製造販売することができなくなりました。

米も小麦も配給制度になり、農林省から指定の原料をもらい、加工して納めることとなりました。

製品は配給制度で各家庭に配られていました。

その後、名古屋市中川区荒子にある工場も焼けてしまいました。

次回は、よしだ麺の戦後の様子をお伝えしたいと思います。

よしだ麺HP
http://www.yoshidamen.co.jp/


社長インタビューより創業当時(よしだ麺)

2009年03月13日 | 社長インタビュー

よしだ麺は明治23年吉田清兵衛が、手延べうどんを学び製造を始めました。

当時は石臼で粉を挽き、手打ちで製造していました。

農業閑散期の12月から3月ごろ、その年できた麦を使い、麺を作っていました。

明治のころは製造するお店は少なかったようです。

すこしづつ社長の話を記事にしてまいりたいと思います。

 


社長のインタビューを紹介してまいります。(よしだ麺)

2009年03月11日 | 社長インタビュー

いつもよしだ麺をご愛顧いただきありがとうございます。

昨年社長のインタビューを撮り、HPなどでご紹介してまいりたいと思っておりましたが、編集が上手くいかずそのままとなっておりました。

ブログで少しずつご紹介してまいりたいと思っております。

よろしくお願いいたします。

よしだ麺HP
http://www.yoshidamen.co.jp/