調教師として人馬を育てる一方、執筆活動も精力的に行い、馬事文化への貢献が認められて昨年はJRA理事長特別表彰を受けた。週刊ギャロップでも『私の馬研究ノート』を連載するなど、マルチな才能を見せた異色のホースマン小桧山悟調教師
多くの人材を育てた今週定年引退の小桧山調教師…原優介騎手「先生がいなかったら、たぶん騎手を辞めていた」
今週は新たにスタートを切る新人騎手がいれば、この世界を勇退する調教師もいる。
美浦トレセンで1996年に開業した小桧山悟調教師もその一人。2月26日現在、JRA通算7324戦218勝。08年スプリングSを勝ったスマイルジャックを筆頭に重賞5勝の実績を残すが、それ以上に多くの人材をサークル内に送り込んできた功績は計り知れない。
引退を目前に控え、小桧山調教師に話をうかがうと「みんながそれぞれに努力しただけで、俺は何もしていない。そういう人材がたまたまウチにいたということ。それは縁だし、ありがたい」と謙遜した。愛弟子である2人にも話を聞いてみた。
昨年の中山大障害をマイネルグロンで制し、G1トレーナーになった青木孝文調教師は「個々の努力と仰っているみたいだけど、騎手や調教師を目指すうえでプラスになる環境をつくってくれた。励ましの言葉を直接かけてもらったり、目に見えないところでサポートしていただいたこともあった」と振り返る。自身が同じ立場になり、改めて人を育てることの難しさを痛感。「人を一人送り出すということが、大変なことだと身にしみる。表面で人を応援するのは大したことではないけど、本当の意味で後押しするのは大変。たくさんの人を送り出してきたことは、なかなかできることじゃない。自分が調教師になれたのも先生のおかげです」と感謝する。
原優介騎手は20年8月〜23年3月まで小桧山厩舎に所属。昨年はウィルソンテソーロとのコンビでチャンピオンズC、東京大賞典で2着に好走した。「先生がいなかったら、たぶん騎手を辞めていた」という第一声に記者は驚いたが「先生と出会うまではネガティブだった性格が大きく変わった」と、メンタル面で変化があった。「レースに多く乗せてもらったことで、周囲にアピールできた。ウィルソンテソーロでG1に乗せてもらえるまで繋いでくれた」。ここまで育ててもらったという想いは強い。「先生の引退前に重賞を勝ちたかったですね」と悔しさをにじませたが、「なるべく早く重賞を勝ったことを報告できるように頑張ります」と目標を掲げる。愛弟子たちの活躍を目にする機会は、今後ますます増えていくことだろう。(浅子 祐貴)
※師と原優介のエピソード
30年近くにわたる調教師生活は「最後の10年が面白くて仕方なかった。人を育てる喜び、面白さを知った」。3人の調教師(青木、小手川、堀内)を厩舎から送り出し、東のホープとしてブレーク中の原優介騎手もかつて、フリーになった直後に所属騎手として迎え入れた。
「デビュー当初、挨拶にきた彼に『俺は自分の弟子が世話になった厩舎の子を乗せなきゃいけないから、悪いけど乗せられない』と言って突き放したんです。そんな人間のところに(フリーになって)すぐに電話してきたら、助けないわけにいかないじゃないですか。でもあいつは自分の努力でここまできた。俺と関わらなかったら、もっと良かったんじゃないか」
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こういうエピソードは知らなかったが、これを見ると原優介という若手の真摯な姿勢が感じられて好ましいな