Vol.71の記事で、琉球の舜天王統の三代目(最後)の王であった義本王のお墓が、沖永良部のワンジョビーチ付近の海岸にあると伝承されている話を書きました。
その義本王のお墓ですが、資料にあった場所を島の協力者の方が散策してくださいました。
この海岸は伊座敷泊という名がついているようで、地元ではイジャシチの浜と呼ばれているそうです。
お墓の場所は地図で見ると青丸の個所あたりになるようです。遠目で見ると洞窟のような感じです。

近づいてみると、そこは岩の割れ目で通り抜けできます。
そして割れ目の真ん中に見えている岩、これがお墓なの?

もともとあった岩なのか?それとも誰かが置いた岩なのか?はっきり分かりませんが、石の真ん中が空洞になっています。
そういえば、島の豪族で倭寇であったとも伝わる後蘭孫八の城後にある孫八のお墓という場所、そこのお墓も同じように円形になっていて真ん中が空洞でした。
義本王の方が150年ほど前の人物ですが、円形に石を置き真ん中を空洞にするのがかつてのお墓スタイルだったのか?
単なる偶然だとは思いますが、ここがお墓だという確証はないので、真相は謎です。
昭和10年の調査時の地図には、義本王の墓の奥の突き当りにはズリ墓と書いてあります。
ズリとは小石や土砂交じりの物をそう呼ぶようです。ズリを盛って作った墓があったのか?それはどこなのか?
青丸の左側の方や、崖上の畑付近の藪などを探してもらいましたが、お墓らしき形跡はどこにも確認できませんでした。
90年ほど前には確認できる状況であったのか?
知る人ぞ知るお墓の伝承だけが残っていて案内板もありませんので、今ではもう忘れ去られた伝承のようです。
しかしこの付近にはまだ古い時代と何か繋がりがありそうな場所があるので、次回に紹介したいと思います。