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先祖を探して

Vol.392 越之山神社:ノロ屋敷

お墓の移動の話の前に、この妹ノロの屋敷跡が分かりましたので先にそのあたりのことを書きます。
アダンの森に葬られた世之主の妹ですが、その森はおそらくは屋敷があった場所の付近にあった森ではなかろうかと推測されます。
屋子母の海岸近くにはノロ屋敷(青丸の場所)があったといいます。



今はもう屋敷の跡形はありませんが、その場所には石垣が積まれ石門が残されています。




この場所は、時徳泊から屋子母泊の間を結ぶ海岸線の道路の付近であり、小字名を「久米せんす」といいます。何だか変わった地名ですが、ほんの少しだけ西側に行くとスセン当貝塚(赤丸の場所付近)があり、昭和57年に弥生式土器といわれるスセン当土器が出土したといいます。
このスセンが入れ替わって「せんす」となったのか?
そこはよく分かりませんでしたが、彼女は祈願所兼宿泊所として屋敷を作り、琉球との交流にあたっての船の出入りの見張りや安全祈願の役を務めながら、島主たる内城居城の世之主との連絡を司っていたといいます。
琉球では第二尚氏の尚真王の時代に完全な祭政一致体制を成立させたようですが、それ以前にもノロが海上交通の安全祈願をするなど政治と関わった役職ではあったようです。

そもそも世之主であった真松千代には姉妹などはいなかったはずですから、琉球神道の妹が兄を霊的に守護するという考えによる信仰であったために、そのノロのことを妹としていた、もしくはそう呼ばれていたのでしょう。実際には本当の妹ではなく、親族の誰かだったのだと思われます。


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