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先祖を探して

Vol.132 世之主の墓(2)人骨の調査報告


世之主の墓であるウファ、豊山家と宗家の墓チュラドゥール、そしてチュラドゥールのすぐ横の北西側に位置する林の中にある3号墓は、平成25年度~30年度にかけて調査が実施されています。
この隣接する3つの墓が使用された時期や構造、そして納骨されている人骨などの調査が行われました。
今回はまずウファの中に納められている人骨の調査結果から書きます。


世之主の墓の人骨

納骨堂の中には、中央に3つと四隅に4、合計7つの骨壺が納められています。
それらの骨壺の中にあった全ての人骨の調査が行われていました。
子孫としては大変気になるところですが、以下の結果が報告書に記載されていました。



中央→世之主の壺
成人5体(1体は男性)  未成人3体

*200片を超える人骨があった。全身の各部位が納められているが、頭蓋骨は  
 少ない。紙の付着した人骨片もわずかにあり。
*壺の中に昭和58年銘の10円硬貨が1枚あり。

中央西側→妻の壺
成人2体  未成人(幼児)1体

*60片を超える人骨があった。全身の各部位が納められているが、頭蓋骨は  
 少ない。紙の付着した人骨片もわずかにあり。

中央東側→子供の壺
成人6体(男4 女2)  未成人(乳児~幼児)1体

*80片を超える人骨があった。全身の各部位が納められているが、頭蓋骨は  
 他の壺に比べて多い。紙の付着した人骨片もわずかにあり。
*壺の中に100円、10円および1円があった。

南東→四天王①
成人(男)1体

*20片を超える人骨があった。全身の各部位が納められている。長さが短い骨片が多い。

北東→四天王②
成人6体 火葬骨あり(この壺だけ)

*焼かれた骨と焼かれていない骨が混在している。壺底近くは焼かれていない 
 骨が多い。焼かれた骨には、遺体を直接火葬したことを示すような大きなひ
 び割れやそねりがあるものが含まれている。焼かれた骨は色が違うものがあ
 り、黒い骨は温度が上がらなかった(火がまわらなかった)ことを示してい
 る。

南西→四天王③
成人(男)1体

*20片を超える人骨片があった。頭蓋片が多く、全ての骨は焼かれていない。

南東→四天王④
成人2体 性別は不明

*80片を超える人骨片があった。全身の各部位が納められている。


7つの壺のうち、5つには複数の人骨が納められていることが分かりました。これは衝撃です。伝承のように1つの壺に1体が納められていると思っておりましたので、これはどいういったことか?

骨に紙が付着とはどういった状況なのでしょうかね?
骨は土葬したものを掘り起こして、もしくは風葬したものをお酒で洗って骨壺に入れており、数年ごとに壺から取り出してまたお酒で洗骨をするしきたりがあったようです。その際に紙を使って拭いたのか?
しかし昔は紙は貴重品でしたので、紙で拭いていたとは考えにくい。あり得るとすれば近代まで続いていたとされる洗骨の時に、紙で拭いていたのが付着した可能性がありますね。

中央東の世之主の子供の壺には、成人と未成人(幼児)しか納められていません。自害した子供は長男で、年齢は16歳とかいう説があります。徳之島に逃げた長女は5歳、次男は3歳だっというわけですから、少なくとも長男はそれ以上の年齢であるため、幼児ではありません。下の二人の年齢を考えると、成人はしていなかった可能性が高いです。これはいったいどういうことか?

世之主の壺も複数の人が納骨されています。代々の子孫の嫡子を一緒に納骨したのか?それは考えられることです。チュラドゥールの方の壺には、家ごとに代々1つの壺に納骨したりしていますので、あり得ないわけではありません。しかし、何となく世之主様は特別感がありますので、複数人を一緒に納骨しているのには違和感があります。

火葬した骨が混じっている件については、火葬制度がまだ無かった時代の骨である場合は、2つのことが考えられます。

考察1 火災にによる焼死
これは当家のお爺様が記録していたことですが、時期は分かりませんが火災があり家財が一式燃えて無くなったことが書かれています。数百年の歴史の中で、火災によって焼死した人がいてもおかしくはないですね。

考察2 本土での火葬
薩摩時代以降には、与人職などをしていたので鹿児島に上国したりもあったようです。仮に本土で亡くなった人がいた場合、本土で火葬をした可能性はあります。沖永良部島で火葬が始まったのは、昭和49年(1974年)です。それまでは風葬や土葬が続けられていました。いっぽう本土では、平安時代から火葬という風習はありました。時代や宗教的な考えから、土葬に戻ったり火葬をしたりと繰り返されたようですが、火葬という風習は持っていたわけなので、本土で火葬された可能性はあります。

予想に反した調査結果に少々驚きを感じてしまいましたが、これが現実であるわけですから、納骨されている人たちの年代の鑑定が望まれますね。
これらの遺骨の中に1400年台のものがあれば、伝説となっている北山王の次男であった真松千代=世之主が眠っている可能性がありますし、もしその年代のものが見つからなければ、別の年代に世之主と呼ばれた方の遺骨の可能性があります。ぜひ鑑定を希望します!

お墓のことについてはまだ続きがありますので、次回に書きたいと思います。



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