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「チョウセンカラマツ」は日帝残滓!?国立公園の巨木50万本を伐採する韓国の狂気

2016-08-27 | 韓国
 ハハハ、今日も韓国が笑わせてくれます。

 「国立公園に日本産樹木は合わない」…国立公園に昇格した太白山公園、巨木50万本伐採で自然破壊の危機[08/25]
 
 韓国の太白山国立公園では、チョウセンカラマツの巨木50万本を伐採する計画です。


 なぜ国立公園内で、そんな大規模伐採をするのか?

 この木が日本産で、国立公園からは外来種は除去したいと言うのです。
 チョウセンカラマツの韓国名は「日本イプカラム」。
 それで日本産と言う事になっているのです。

 記事によれば、この太白山のチョウセンカラマツは朴正煕時代に、当時禿山だった太白山の緑化の為に植えられそうです。

 しかしチョウセンカラマツはそもそも日本産ではありません。 
 
 ウィキを調べると、チョウセンカラマツはシベリア沿海州、満州、北朝鮮などの海抜500~1000mの山岳地帯に分布するとあります。 
 
 日本産どころか日本には自生しないのです。
 だから日本名もチョウセンカラマツなのです。


 しかしこの木の韓国への植林が始まったのは、日韓併合時代です。

 当時の朝鮮の山々は殆どが禿山だったので、総督府は1億本もの木を植林して朝鮮の緑化に務めました。

 チョウセンカラマツを植林に使ったのもこの頃からです。

 これは浅川巧の功績です。

 彼は朝鮮総督府農商工部山林課林業試験場の林業技師として、当時難しいとされたチョウセンカラマツとチョウセンマツの養苗に成功したのです。

 これでチョウセンカラマツやチョウセンマツの大量植林が可能になったのです。

 彼はこうした朝鮮の植林、山林研究に大変な功績を遺したばかりか、朝鮮の民俗文化研究、民芸美術品のコレクションなどでも有名です。

 だから林業なんか全然知らないワタシでも、ネットで「チョウセンカラマツ」を検索すると、これらの話が直ぐヒットしたのです。


 しかしねえ…・韓国では・・・・・

>太白山国立公園事務所は「伐採事業は国立公園内に分布する外来種の木と草本類は除去して土地産に変える」という国立公園管理原則にともなう措置といった。 

‘民族の霊山’を生かすという名分も主張する。太白山国立公園事務所チャン・スリム資源保全係長は「全国の国立公園では外来種草木を除去する作業を着実に広がってきている」とし、「民族の霊山である太白山が国立公園に指定され、日本イプカラムが大量棲息するのは地位に合わない」とした。 

>国立樹木園は「日本が原産なので木を伐採するべきだというなら、国内の大部分の山にある木を全部伐採しなければならないだろう」と話した。特に日本イプカラムは100年間、韓国の土壌と気候によく適応しており、1960年代から造林事業をする時はすでに韓国産と異ならないという。一部の造景学者は「日本イプカラムが原産地のせいでニセアカシアのように扱われてはならない」と指摘した。 


 元記事を見れば、専門家が揃ってチョウセンカラマツは日本産として話しをしているのです。
 
 ウィキではチョウセンカラマツについては、日本語版はありませんでした。
 しかし学名から英語版にアクセスする事ができます。

 ま、まさか韓国の専門家は誰一人、チョウセンカラマツの学名を知らないの?

 「日本イプカラム」と言うチョウセンカラマツの韓国名がどのようにしてできたのかはわかりません。
 しかし日本統治時代に、日本人の手によって大々的に植林されたことから、この名がついたのかも?

 しかし北朝鮮にも自生している木ですから、朝鮮名はなかったのでしょうか?

 無いのかも?


 人間は元来、自分に関心のない物には名前なんか付けないのです。

 例えば自然の中で暮らす狩猟採集の民族でも、食べるわけも無ければ格別害もないような昆虫や小鳥や植物などには、名前を付けていません。

 元来韓国人にとっては木はオンドルの燃料でしかありませんでした。
 だから桜もカラマツも関係ないのです。

 こんなモノに一々名前は付けないのでしょう。


 韓国人は今でもそうした伝統の中で生きています。

 彼等が植物に無関心なのは、ソメイヨシノ韓国起源説についての韓国記事を見ると良くわかります。

 受験勉強の量では日本人を明らかに圧倒している韓国人インテリでも、植物には人間が品種改良して作った園芸植物と、野生種の違いがある事も理解していないようです。

 また桜属全体とソメイヨシノと言う一品種の関係も全く理解できないようです。

 そして済州島だけでなく朝鮮全土にも数種の野生の桜が自生した事などは全く無関心です。

 山に生えている木に一々名前を付けるような事をするのは、木の利用法や植林、園芸などの技術が相当進み、植物全体を理解する必要を感じるようになってからです。

 こうした基礎と学問的好奇心が重なってリンネの植物分類学のようなモノが生まれるのたのです。

 江戸時代にはソメイヨシノのような園芸植物を作っていた日本人なら、リンネの植物学の意味は中学生でも理解できます。

(ワタシは学習塾の講師だった頃、理科でこれを教えたけど、これを理解できない中学生は見た事がありません。 電流など物理系の話は全然ダメと言う子は非常に多いのですが。)

 つまり植物や動物に一般の国民が一定の関心を持つと言うのは、実は近代以降なのです。

 それ以前の社会では、殆どの国民はそんなモノに関心はありません。

 木がオンドルの燃料でしかない朝鮮は、明らかに近代以前の社会だったのです。

 そしてそういう国であれば、専門家であっても学名を調べる意思もないのでしょう。

 歴史の本を読んでいると、人間は昔から変わらないと部分と、近代人と古代人や中世人とでは違うと思う部分があります。

 韓国人を見ていると近代以前の、中世人や古代人の発想をそのまま見る事ができるので、非常に面白いです。

 オンドルの燃料の為にただもう手近な樹を片っ端から切り倒す。

 そのような朝鮮人の樹木観は、今も根源的には変わっていません。

 今はオンドルの燃料が要らなくなったので、樹木は反日の燃料に変わりましたが、燃料として意外には関心を持たないと言う姿勢は変わらないのです。

 浅川巧はこのような朝鮮に緑を甦らせる事に一生を捧げたのでですが、結果はこんなモノでした。

 まあ好きなように切り倒せば良いんじゃないでしょうか?

 そもそも緑豊かで巨木が茂る山なんて日帝残滓ですから、早く朝鮮伝統の禿山を復活させるべきなのです。


よもぎねこです♪」より


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