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ふくふく日記

絵本・紙芝居作家のよこみちけいこのブログです
子育てに家事に音楽に創作のことなどなど,マイペースでのんびり更新中

転機

2016-08-06 15:21:30 | 絵本作家への道
絵本作家への道!シリーズの続き。。。23の巻


そして、そして!!


4月のある日、


とうとう会社を辞めてしまいました!!!


もちろんいきなりやめてしまったのではなく、3か月前に会社に申請して。
ものすごく、グールグルグルグールと色々考えて、自分の中をととことん見つめなおして出た結論です。

そして10年あまり住んでいた大阪から
「広島に帰る。地元で絵本を描きながら、絵本の勉強をしながら働く」
という結論になりました。

これが、私の大きな転機になったと思います。

私はもう大阪が大大大大だーい好きだったんです。
なので、大阪にずーっと暮らしていたいと思っていました。

でも、今、自分が何が一番やりたいのか、どうしたいのか、と、考えたときに
「大阪に住む」
ではなくて、
「絵本を描く環境を整える」
というほうが、大きくなったんだなと思います。

大阪で薄給で一人暮らして、夜な夜な絵本を描いて~の生活がかなりしんどくなってきてたのもあります。
家賃も光熱費もかかるし、ほしい絵本も気軽に買えないし、画材だってお金がかかる。

だったらもう地元に戻って、実家暮らしで衣食住の心配はせずに、絵本描く!って決めれました。スンナリ。

どこかに「自分の好きなことしてるんだから、実家に甘えちゃいけない」
っていう思いもあったんですよね。
でも、もう甘えられるものには甘えさせてもらう!だって夢をかなえたいからさ!っていう気持ちが出てきました。

実家の母はもう大喜びで、ようかえってきたなーって迎えてくれました。
大学進学からずーっと家を出ていたので、10年ぶりに一緒に暮らしますよ。ドキドキ。

「ただいま帰りましたー」
って戻ったそのとき、実家のおばあちゃんが
「よくがんばったねえ」
って言ったんです。

思いがけない言葉でした。

ああ、私、一人で頑張ってたんだなあって。
ぜんぜん頑張ってたつもりはなく、一人で気ままに暮らしてただけと思ってましたが。
あ~、そうだよなあ。。。いろいろあったなあ。。。だけど、頑張ってきたんだなあって。

こうして、迎えてくれる実家があることが、とてもありがたかったです。
ま、実家とはこの後いろいろあって、もう出ていく!ってなこともあったんですけど、そこはちょっと割愛しまして、とにかく仕事も家もひき払い、私は地元の広島で、また新しいスタートを切ることになりました~~。


つづきます。



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新しい目標

2016-08-06 14:51:42 | 絵本作家への道
絵本作家への道の続き~~21の巻

自費出版のワルイ会社だったとはいえ、初めて絵本でなんらかの賞にひかっかったことは、私の中で大きな一歩になりました。
このころも「こころの法則」はずっと続けていまして、毎日絵本作家になったぞーとなりきり日記も書いてました。3行くらいだけど。

毎日、絵本のことで頭がいっぱいなので、以前のようにはウツウツとしていなかったんですけど、それでも
「この先、どうすべき?私どうすんの?」
っていう不安は常にありました。

このまま仕事しながら、絵本作家になる夢を追いかけていって、それでもしダメだったら???
どうするの?どうなるの?

ってね。
ま、こんなん考えてる時点で、「こころの法則」が全くできていないんですけども!


毎日、会社帰りに阿倍野の本屋に立ち寄って、いろんな絵本を読むのが日課でした。
(図書館が近所になかったので)
世の中にはいろんな絵本があるもんだなあーと思い、はて?私はどんなもんが描きたいのかしら?
絵は相変わらず下手っぴでしたが、それは置いといて、自分はどんなお話しが描きたいのかなあと。

大人になってから、改めていろんな絵本と向き合いました。
その中で、子供のころからあるいわゆる名作絵本「はじめてのおつかい」を久々に読んでびっくり!
これですね。

「これ、こんな話だったのかー!」

このことについては、過去日記「はじめてのおつかいのトラウマ」にも書いてますので参照いただければ。

この子供の何気ない日常、それがこんなにドラマチックで面白いものになるんだ!という驚き!
細部までこれでもかと描き込まれた絵も魅力的で。

絵本は動物が出てくるメルヘンなものや、妖精やオバケなんかが出てくるファンタジーなもの、ナンセンスや昔話などなど、いろいろあります。
それはもう読み手の好みの問題で、決まりは特にないのですが、私はもう
「わたしも、このはじめてのおつかいみたいな絵本が作りたい!」
と思ったのです。

さりげない当たり前の日常の中にこそ、宝物みたいな大事なものがあって、それを見つけ出したいなあと。
とはいっても、しつけ的なものではなく。
子供の目線で、子供の出会うもの感じることを絵本にしてみたいなあと思ったのでした。
それは自分の子供時代がすごく楽しかったからかもしれません。

「はじめてのおつかいみたいな絵本をいつか作ってみたい!!」
というのが、私の新しい目標になりました。

つづきます。。。




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自費出版の甘いワナ

2016-08-05 08:30:59 | 絵本作家への道
絵本作家への道!の20巻

続きです。。。



ある日、かかってきた電話!

「奨励賞にはいりましたー!」

「ありがとうございますー!」

もう、受話器をにぎりしめて、ドキドキ!!



ですが・・・




「すごく素敵な作品です!ですので、もしよければ共同出版されてはいかがでしょうか?」
と、言われましたヨ。

「はい?」

まとめますと
・大賞作品は出版するんだけど、それ以外の作品は共同出版を提案していると。
・「共同出版」っていうのは、出版費用を作者が負担する。
・出版社は販売を手伝ってくれたり、作品創りにアドバイスをくれたりする、だそうですよ。

「なんか、思っていたのと違うなー。お金がかかるんだなあ」

と、腑に落ちない私。共同出版って言ってるけど、結局、自費出版のことよね???
とりあえずいくらくらいかかるんかなーと思って、見積もりを送ってもらいました。

そしたら!!

250万円!!!

ですってよ!奥さん!ひー!驚愕!!!
ムリムリムリー!!

というわけで、奨励賞の賞金1万円をもらって、この件は終了。

「あーあ、お金があれば、絵本出版できたのになあ・・・」って悲しく思ってました。


ですが!

この数年後、この会社、いろいろ訴えられて倒産していましたよ!
自費出版ブームのさきがけを作った会社だったようですが、もめたり裁判沙汰になったりと色々あったようです。
あの時、お金なくて本当によかったな・・・。

自費出版が悪いんじゃないんですよね。
出版したい!っていう夢につけこんで、高額な出版費用を見せて甘い言葉で誘ってくる。
「本が作りたい!」って強い思いがあればあるほど、それだけ心が揺れます。

今もこの手のコンクールはあります。その誘い文句が怪しかったら要注意デス!
みなさん、気をつけてー!


余談になりますけども、自費出版は去年、私もやりました。
これは自分で構成から紙選びから全部やって、パソコンでデータを作って、印刷屋さんに印刷してもらって
本当に「自分で作った」まさに自費出版です。

地元のお話を、地元の人に読んでもらいたい!という思いで作りました。
もちろん200万もかかりません。
最初は50部作って、5万円くらい?
その50冊はすぐ完売したので、また追加で印刷して、徐々に部数を重ねています。

今は、パソコンでデータを作って納品して印刷してもらえる時代。
昔より、もっと手軽に作りたいものが作れる時代だなと思います。

ちなみにその作品はこちら。

「ふうちゃんのそら」一冊1000円です。

地元の小学校や幼稚園、保育所などで、じわじわと広まっています。
大手の出版社から絵本を出す、という以外にも、お金かけなくてもできるこんな形もありますよ~という参考までに。

つづきます。。。

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描いて書いて出しまくるの日々

2016-08-04 19:46:29 | 絵本作家への道
絵本作家への道の話の続きです・・・

前回の短期の絵本講習で、絵本の基礎のキを学んだ私。

絵本ってね、縦書きだと右開きで、横書きだと左なんですってよ!
初めて描いた絵本は、まずそこから間違えてたよ!
さらに、オチに神様が出てきたり、夢オチはタブーだそうですけど、まんまそれで作っていましたわ!

それから、印刷の関係で絵本は基本は11見開きか15見開きの絵本が主流なので、お話し作るときもそのどちらかで作るといいんだそうです。
お話し絵本なら15見開き、小さい子向けのお話しだと11見開きがいいのかな。

それから本屋にせっせと通って、いろんな絵本を読むようになりました。

最初に描いた絵本は見事落選したのだけど、そのあとも公募ガイドを見てると、いっぱいいろいろな絵本のコンテストがあったのですよ。なのでもう、片っ端から出しまくっていました。

絵本を作るのが楽しくって、面白くって、
「つぎはどんな話にしようかしら~~」
って考えるだけでわくわくですよ。

コンテストの〆切に合わせて、どんどんどんどん絵本を描いては公募に出す。
もちろん一作完成するのは、ものすごーく大変でした。
それで徹夜になったり、絵がへたくそなのでうまく描けずに悩んだり・・・コンクールの〆切に間に合わないかも!
ってあせったり・・・。
でもでも、そんな日々すらも「なんだか作家みたいだ~」と、楽しかったもんですよ。

そのころ描いてた絵がこンな感じ。まだまだ絵本の絵なっていないなあ。





そんなある日。。。

プルルルルルルルル・・・・

夜、電話がかかってきたんです。

「○○事務局のものですが、あなたの絵本作品が奨励賞に入賞しましたー!」

「えええええええ!!!!」

もう心臓止まりそうに!



つづきます!







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初めて描いた絵本の絵

2016-08-03 12:58:16 | 絵本作家への道
生まれて初めて描いた絵本。

その原画はもう手元にないのですが、コピーが残っていました。

絵本について全く知識ゼロ状態で描いた絵ですよ。
もう恥ずかしくて、ずーっと封印していましたけど、おもしろいからのせてみます。

これ。タイトル「あおいほし」


これは甥っ子のN君モデルでした。すまんね。こんな絵でね・・・。
今、もう甥っ子は大学生なんですけども。

この絵で絵本作家になろう!って思いついて、
この絵で、自信マンマンだったんですよ!もう入賞する気マンマンだったんですよ。こわいわ~。
17年前の絵ですねえ。

そんで、前回の日記で出てきたねぎぼうすのショーゲキシーンを見てから、
「あ!こんな絵じゃ全然だめだ!全然つまらん!」
って思って、画風をどんどん変えていきます。

つづきます。

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絵本アンテナ

2016-08-02 09:53:34 | 絵本作家への道
絵本作家への道!17巻

つづきです。。。

生まれて初めて、絵本を一冊描きあげたことで、もう胸いっぱい!
「やったわー!」とガッツポーズしてました。
そして、意気揚々と、絵本のコンクールに応募しました。

原画を梱包して、郵便局から送るのですが、それだけでもう気持ちがあがる!
会社の昼休みに、いそいそと郵便局から送った時、送料が結構高くついて「ギョギョ!」ってなったのを覚えておりますよ。
そんで、返却希望の場合は同額の切手を同封しないといけなかったんだけど、もう自信マンマンだったから、まあいいかなって、返信用のお金を入れませんでしたよ!
なので、このときの記念すべき初作品はもう手元にありません・・・。

応募して、もう結果が出るまで毎日ドキドキ。
仕事から帰って、留守電に何か入っているかも!?!?と思うと、それだけでわくわくしていました。
留守電がチカチカしていたら
「ももも、もしかして!入賞のお電話では!!!」
てな感じな毎日でした。
宝くじ買って、当たるかも!?!?っていう感覚となんとなく近い。

そしてそして、応募してから何か月かしたある日、
ひょろろ~~んとお手紙が届きました。

ドキドキしながら、封筒を開けると~~、見事落選!!


えーーーーーーーーーーーーーーーーん。

最終審査にすらひっかかっていませんでしたねえ。

ま、考えてみればそりゃそうなんだけどね。
ど素人が初めて、よくわからずに描いたものだもの。でも、その時はひとり静かに落ち込んでいました……。

ちなみに、このころ絵本を描いているということは、保育士の勉強していたころと同じように、
またしても、だーれにも言ってませんでした。

何か始めたときって、だれかに宣言するといい!っていう人もいるけど、私はそれができないタチです。
なんだろう・・・恥ずかしいのかなあ。
自分が今すべてをかけてやっていることを知られるのが。

落選したのだけど、絵本を作る楽しさと面白さにすっかりはまってしまった私は、
「絵本ってほんとはどうやって作るんだろうなあ。どこか習いに行けるとことかあればいいのに」
と、思ってました。
「どっかないなかー、近くでないかなー」って思って、会社帰りに地下鉄に乗っていたら、

なんと!!



目の前に!!!



「絵本教室 生徒募集」の広告がはってあったのですよ!

え?

ええ!?!?

えええ!?!?!?

しかもうちから自転車で15分くらいのところ!

教室といっても、短期講座で、絵本作りの基本から製本までをプロの絵本作家の先生に教えておらえるという、夏期講座でした。

慌ててメモして、すぐに問い合わせて、その講座に通うことにしました。

もう今はやってないみたいですけど、大阪芸術大学のBISENっていう社会人向けの講座です。
夏季集中講座なので、全部で5日くらいだったかな?

はじめてプロの絵本作家の方にお会いしました。
その方はひぐちともこさん。
ひぐち先生はものすごーく気さくな方で、面白くってかわいらしくって
「あーこれがプロの作家さんなんだなあ」とドキドキしちゃいました。
イラストレーターをされていて、絵本も手掛けるようになられたとか。

ひぐち先生に絵本の原画を見せてもらっては「ほーーーーーー!」
絵本の基礎のキソを教えてもらっては「へーーーーー!」
と、もうね、わくわくドキドキでした。

きっと、ふつうに地下鉄に乗っていたら、その広告を見てもスルーしてたと思うんです。
でも「絵本作家になりたい」っていうアンテナをピコーン!って私がたてたことで、こういう絵本に関する情報が
どんどん勝手に入ってくるようになっていきました。

そのとき、ひぐち先生から
「これ見に行ってみたら~」って、もらったチラシが絵本原画展の案内ノコピー。
よく見たら、会社から歩いてすぐのとこで開催されてました。

見に行ってみたら、ものすごーい原画がたくさん並んでてビビった私。
ざーっとあげますと!長新太、片山健、荒井良二、飯野和好,田島征三、スズキコージ、丸木俊、などなど!
私ね、恥ずかしながら、この時まで知らなかったんですよ。
絵本はなんか見たことあるかなーってくらいだったんですけど、この大御所の作家さんの名前を!
そこで初めて飯野和好さんの「ねぎぼうずのあさたろう」って絵本を見て、ショーゲキを受けました!

「こ、こんな絵本があるんだ!!!」っていうね。
そのショーゲキシーンがこれ!

ねぎじるを飛ばして、悪者をやっつけるシーン(ねぎぼうずのあさたろう1巻 福音館書店)

この絵を見たとき、絵本って自由なんだなあ!なんでもアリなんだー!って初めて知りました。
それまでぐりとぐらみたいな、かわいい動物が出てきて、ほわーんとしたものしかしらなかったですねえ。


というわけで、絵本アンテナがピピピっていろんな情報を勝手に寄せ集めてきて、
これか!これがよくいう「呼んでる」ってことなんだな~~~!と。
光に羽虫が集まるかのごとく・・・。

そうして、私の毎日は絵本一色になっていきます。

もうウツウツしてるヒマもありませんでした。
とにかく、もっと絵本の勉強したいな!ってことで頭がいっぱいでした。

つづきます




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初めての絵本作り

2016-08-01 18:27:12 | 絵本作家への道
絵本作家への道!16巻

続きです。。。

「よーし!絵本作家になろう!」
と思ったものの…
はて?どうやって?

そのころ「公募ガイド」って雑誌があって、いろんな懸賞とかがばばばーって載った雑誌がありました。
たぶん、今も売っているのかな?

懸賞目当てで、、時々みていたのだけど、その中に
「絵本作品募集!大賞は出版します!!」
みたいなのが、ちょこちょこ載ってました。

そのことを思い出して、
「よーし、これに応募すれば、絵本出版してもらえるんじゃん!」
と、まずは公募ガイドに載っていた絵本コンテストに応募することに。

絵本を描いたこともないのに、いきなりコンペに出すこの無謀さよ。。。

早速、当時3歳の甥っ子をモデルにしてお話しを作ってみました。

お話しはするする~~ってできたのね。まあ、絵本だから文章も短めがいいよねーって思って。
仕事で絵本を読むときも、文章が多い絵本だとゲンナリしちゃってたので。
そのとき作ったのは、なぜか環境問題を扱ったお話しでしたよ。
イキナリ社会派テーマですよ!当時の私はなに考えていたんでしょうかねえ・・・。


わーい。いいお話しできたわー!
じゃあ、絵を描いてみよー!
と思っても、

「はて?絵本ってどんな紙にかいたらいいの?
色はなにで塗ればいいの?絵具?色鉛筆??」

もう、なんもかもわからなくて、なにがわからないかがわからん!っていう状態です。

今ならネットで検索~~!!ってできるし、絵本の作り方みたいな本もたくさん出てますけどね。
よくわからんけど、とりあえず家にあった画用紙に、マジックで絵を描くことにしてみましたよ。


「絵本一冊分の絵を描く」
これが、まあどーれだけ大変なことか!身にしみて初めて知るのでした。

このときのコンテストの規定では、「11見開き分の絵と、扉絵、奥付は自由」と書かれてたんですけど、
「11見開きに扉」って言われましても、その意味がよくわからず……。

いろいろ絵本を見てたら、たぶんB4サイズの絵を11枚描いて、絵本の前についてる半ページの絵が「トビラ」っていうのかな?ってことが、うっすらわかった気がしました。

しかも!ずーっと絵なんて描いたこともなかったど素人が描くんですから、大仕事ですヨ!

描いても描いても終わらない~~~~~!!!
今振り返ると、落書きみたいな絵ですけど、それでも描いても描いても、なかなか終わらない。。。

とにかくもう、ひたすらもくもくと描いていてました。でも気が付いたら、どんどん夢中に!
お話しに合わせて絵を描くこと、色を塗ること、本当にもう楽しくて楽しくて!

お風呂にも入らず、ごはんも食べず、ずーーーっと休みの間、座りっぱなしでひたすらに絵を描き続けていました。

そして、そうして……
「できた・・・」

もう部屋中、消しゴムのカスだらけ。手も服も真っ黒け。
生まれて初めて、自分の絵本を描き上げたのですよ。一冊分!
完成したときの、達成感!そしてやり遂げたことへの爽快感!!

「やった!やったぞーーーー!!!!」
っていう湧き上がる熱い気持ち。

できあがったのは、絵本の基本をもうあれこれ無視した、全くなってないものでした。
だけど、
「絵本作るのって、こんなに楽しいんだ!すごい!すごいー!」
徹夜明けでフラフラになりながら、ものすごく幸せな気持ちでした。

ちょっと前まで、生きてる意味すらよくわからんくなってうつうつしていた日々だったのに!
まだ何もなしとげていなかったけど、大事なのは、心が喜んで、楽しくって、自分が夢中になれることに出会えたこと。

絵本作りにはまった瞬間です。

そして自信満々で、絵本のコンクールに応募したのです。

果たして結果は!!

つづく!!

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よーし!絵本作家になろう!

2016-07-29 08:55:54 | 絵本作家への道
絵本作家への道!第15巻

こころの法則を実践してみるの巻!

「よーし!心の法則とやらをやってみるかー」
って思ったんだけど・・・あれ?私の夢ってなんだっけ?願いってなんだっけ?
このころ、それすら何にもない日々だったんですよね。

なので、「小さいころって、私はなにが好きだったのかな、なにがしたいって思ってたのかな?」を、掘り起こしてみました。

もう今のダメダメな自分のことはいったん忘れて、自分ができるできないとかできそうと、そういうのを全部取っ払ったとき、
果たして、自分の本当にやりたいことって、なんだ???

と、考えてたら
「そうだ。昔は作家になりたいって思ってたなあ」
と、思い出しました。
そんで絵を描くことも好きだったんだなあって。
絵を描く仕事がしたいなあ~って、あこがれてたことを思い出したんです。
家でできる仕事がしたいなって思ってました。おお、思い出したぞ!

でも専門に絵を習ったこともない。、
それどころか、今の毎日の中で、もうまったく、絵を描くことも、お話しを作ることもしてませんでした。
なんと!絵本だって家には一冊もなかったんですよ。
もちろん絵の具とか絵を描く道具も一切もってませんでした。

夢って呼べるほど何の努力もしてなくて、ただ憧れて遠くから
眺めていたような、そんな昔昔の、夢のかけらが「絵本作家」でした。

そんな今ゼロの状態の私が、こころに強く「絵本作家になりたい!」って願ったら、どうなるんだろう。
必ず実現するのかしら?
こころの法則って、ほんとに誰にでもあてはまるの?
私にもできんの???

よーし、実験実験!
半信半疑だけど、こころに願うだけなら、まあね、タダですからね。

「強くしっかり願うために、毎日ノートに書くといいよ」
と、校長先生が最後にちらっとおっしゃってました。

なので毎日、日記帳の最後の3行くらいに「絵本作家になって、毎日楽しいなあ」っていう感じで、なりきり日記を書くようにしていました。
当時、ブログなんてものもないので、ふつうにノートに日記をせっせと書いてました。
読み返すと、昔の日記はグチグチ愚痴ばかり書いてましたよ!
愚痴ばからい書いてると、それがどんどん増幅するんですねえ。
言葉の力ってほんとにすごいんだなと、改めて思いました。

そんなスタートです。私の絵本作家になろうって動機は。


よく、「どうして絵本作家になろうと思ったのですか?」って聞かれることがあるんだけど、
「実は、こころ法則の証明のために、実験がてら始めまして~」
とは言えないので、いつもごにょごにょごまかしています。

でも、ほんとは絵を描いたり、お話しを作ったりするのが大好きだった、こども時代の夢のカケラがまだ自分の中に
残っていたんだなと思います。

やっと「絵本作家への道!」らしい話が出てきました~~。長かった~~~。
さあ、果たして!絵本一冊持っていなくて、絵もまったく描けないこの私、
心の法則の力で、どうやって絵本作家になったのでしょうか~~!!じゃじゃん!

つづきます・・・
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こころの法則の話を知る

2016-07-28 11:13:20 | 絵本作家への道
絵本作家への道!シリーズ第14回。
勝手にシリーズで書いてますが、まだまだ長いので、つまらなかったらすいません。。。


続きです。。。

20代の後半、自分はダメダダメダダメダダメダ~~~~~~!!!
言い聞かせるように、生きてました。
今思うと、恐ろしい・・・。なにしてたんでしょうかねえ。

今、40代ですけど、20代なんてもうなんて楽しい!なんて輝かしい!若さがまぶしい最高に素敵な時期ですよ。
なんでもできそう。可能性の塊じゃ。
それなのになにやってんだい!って気持ちですよ。
もっと日々、目の前のことを楽しんで、自分のやりたいことをすればいいいのに~~。もうもう!

そんなうつうつしてた頃、会社で勉強会がありました。
勉強会というか研修会みたいなもので、朝9時から夕方17時まで、みっちり各県にいる講師が集まって日ごろの成果発表や、指導の勉強なんかをするわけです。

私の教室からの発表もあったりして、なかなか大変!
2日間、みっちりみちみちのスケジュールで、なかなかハードな勉強会です。

で、最後の日の夕方に校長先生の講義がありました。
校長の話方はソフトで柔らかく、その声色がまるで子守歌のように・・・。
もう研修会も二日目でみんな催眠にかかりそうなくらい、眠い。。
ぼーんやり聴いておりました。

その中で
「今から、『心の法則の話』をしますよ~。これすごく大事なところだから~!」

ん???心の法則~???

半分寝ながら聞いてたけど、このときだけ「はっ!」としました。

「心の法則を使えば、なんでもどんなことでも、自分の夢は必ずかなうんだよ~、
そのことを子供たちにしっかり伝えてくださいねー」

なになになに?それってなに?

校長の話を、おおざっぱですけどかいつまんでいうと

・心に強く強く願って、思い描いたことは、必ず実現する。
・なりたい自分を潜在意識にインプットするだけでいい

という話。
「え???」って感じですよね。
それを聞いて
「そんなんうそやろー。心に思い描くだけで、夢がかなうわけないじゃん」
って、鼻ほじほじするくらいの気持ちで「へっ」って感じで聞き流していたんだけども・・・

ふと
「これがほんとかどうか、まず自分が証明しないと、子供らにも教えられないなあ」
って思いました。
そのとき、私は小学生のクラスを受け持っていたので、子供たちにしっかり教えるには、まず実践してみせてみないとねえ。

こんな何もとりえもなくって、何にもできない私でも、何か心に強く願えばかなうのかな?
夢って実現できたりするのかしら?
ほんまに?
本気で???

そう思ったら、なんだか楽しくなってきたんです。

よーし、だまされたと思って、この「こころ法則」とやらをやってみよう!

とにかくまあやってみることにしました。
このとき、わくわくしてうきうきして、こころが高揚してきたのを覚えていますよ。

今まで自分サゲの日々だったけど、やってみるか!って思った瞬間、スゴク楽しくなった!


は~,やっとここの話まで来ましたわ~。
も、もうすぐ絵本の話が出てきますんで!

つづきます・・・。

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サゲサゲな日々・・・

2016-07-28 11:06:12 | 絵本作家への道
転職したけど、なんだかうまくいかない話の続き。。。

このころ、もう自分に全然自信がもてない人でした。

まわりの同世代の友達は結婚したり、出産したり、仕事で頑張っていたり、
もうね、自分以外のみんながすごくまぶしい~~~!

あーあ、自分はなんでこうなってしまったんだろう・・・。
私の人生って、つまんねえな!・・・と思っていました。

もう27歳だというのに!自分探しか!

あ~あ、もっとこうしてたらよかった・・・とか、
もっと違う人生があったんじゃないか・・・とか。
そんなことばかり考え始めていましたよ。

自分には何の力もなくて、自分には何もできなくて、こんな自分が子供たちに何を教えておるのだ!?!?
っていう自己嫌悪感、自己肯定感はもともと低かったけど、さらに加速!

一人暮らしでお金もなかなか貯まらない、大体お給料が高くない。
やりがいで選んだ仕事だったのに、結局はまた前回の仕事と同じ気持ちになってしまってました。

結局、仕事のせいじゃないんだなってことですよね。
今なら、わかりますよ。
自分の考え方のせいだって。

でも、そのころは
「自分の何がダメなんだろう。なんで自分がダメダメなんだー!」
ってことしか、見えてない。
仕事がうまくできないのも、自己肯定感がかなり極端に低かったせいもあるなあ。

自分のやりたいことを見つけたかったのに・・・結局、みつかってない。
というより、自分が何をしたいのかすら、わからん。もう、わからーん。
どうやって生きていけばいいんだろう。

友達も多くない、趣味もない。彼氏もいないし、未来が見えない。
そんな感じで日々、激しく自分サゲしては欝々としてました。

占いにもよくいってましたねえ。
占い行くと、占い師には
「あなた、何も心配ないわよ、未来はあかるいわよ」
みたいなことを、よく言われてましたが、
「そんなの信じられない!」
と、思ってました。なら、占いに行くなよ!って感じですけども。

今思えばさ、20代なんて、なんでもできるし未来は何でも手に入れられるのに。
何をうつうつしてるんじゃ!って張り倒したくなるんですけどね。

この当時の私ときたら、まわりと自分を比べては、あれができない、これもできない、
あれも持ってない、これもしてない・・・と、どんどん自分で自分を下げまくっては、落ち込む・・・
という、ひじょ~うにマゾヒスティックな楽しくない日々を送っていました。

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転職したものの・・・

2016-07-26 19:48:52 | 絵本作家への道
新しい仕事に転職した話。

心震えた求人は幼児教室の講師のお仕事。
ちょうど、うちの姉がこの教室の通信講座を受けていて
「すごいいいよー!楽しいよー!」
って絶賛おすすめしてくれたんですねえ。

そこの校長の本とかも貸してくれて読んでいたので、入社試験の時も
ちょっと難しい質問にも、すらすら~と答えられたので、のちに教室の室長が
「あのときの面接での回答があなたほんとうに完璧で、感動したのよ~」
と言ってたくらいですいお。おお!おかげですんなり採用になりましたよ、ありがとう姉!


幼児教室の講師なんですが、ここの対象年齢はなんと胎児から!
胎教指導から、小学生向けの教室。
教室の内情を詳しくは書けないのでちょっと省くとして~
人間の脳の話や潜在意識の話を使った指導でした。

わたしの初めて担当したクラスは赤ちゃん!
6か月の赤ちゃんと4か月の赤ちゃんですよ。
めちゃめちゃかわいかったです。

このとき担当した赤ちゃんのお母さんとは、年賀状のやりとりもしていて、もうかなりおっきくなってます。
はやいな~。あっというまだなあ。。。

まだ20代の新米講師の私はもうアップアップでしたけど、保護者のお母さんたちの
やさしいまなざしのもと、一生懸命レッスンしておりました。

まわりの上司も先輩も変わった人が多いけど、でもいい人ばかり。

ちびっこ相手のレッスンなので、準備することが多すぎて、時間との勝負!みたいな感じでした。


まあ、いろんな保護者の方がいらしてね、ほんとに心折れることも多々あった。
「顔が気に入らないから、担当変えて!」
とか
「あの先生じゃなくて、○○先生のがいいわ~」
とか、あからさまに言われる。きついわ~~。。。

子供はかわいいんだけど、お母さまたちはなかなかスゴイ人が多かった。。。
教室のお月謝も結構なお値段だったので、今思えばそりゃそうだよなあとも思うんですけどね。
だれでも自分にとって合う先生がいいよね。。。でも傷つくわ~~ん。

この会社も、変な人は多かったんですけど、みんな楽しい人ばかりでした。
途中、先輩がいろいろやらかしてクビになっちゃって、その人の仕事全部ドバーっと来たり、
大好きだった先輩が、なんと独立して教室を開くことになったり~
後輩が結婚して、先に辞めてしまったり~。

みんなが20代の女性ばかりなので、どんどんどんどん辞めて行く~~。
そして、会社の同僚だけでなく、自分のまわりの友人たちも、みんなどんどん結婚したり出産したり独立したりと、人生の節目を迎えていってました。
20代も後半になると、そろそろみんな次のステージに行くんだなあ。

と、何にも考えてなかった私。人生ノープランだったんです。
相変わらずぼんやーりしているよ、とほほのほ・・・。


仕事に慣れてきたころから、
「私はずっとこの仕事、続けていくつもりなのかしら?」
「なんで、大阪で一人暮らししているのかしら?」
「これからどうするんだろう。どうしたいんだろ~」
とかとか、色々考えるようになってきました。


こういう「先のことがどうなるのか不安」って若いころはアルアルですよね~。
このころ、男運も最悪で、ほんとろくでもない人とばかり付き合っては分かれて~ってしてたので、
結婚とか全くイメージもできなかったなあ。

ほんとにまあ、私の中身、すっかすかのからっぽでしたね。
今、思い返すと、大丈夫か?と心配になるレベルね。。。
タイムマシーンがあったら、乗り込んでいって「しっかりしろやー!」と喝をばしばし入れたいくらいです。

つづきます・・・。
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心が震える

2016-07-26 10:27:54 | 絵本作家への道
保母資格をとった!よーし転職するぞー!

このころもですが、求人見に行くと、保育園や託児所のお仕事はいろいろありました。

でも、前回の仕事で失敗してしまったので、安易には決めないように、ここは慎重に。。。
このころの愛読書は「とらばーゆ」っていう転職雑誌でした。

ハローワークもまだまだ電子化されていないころでした。
大きな太いファイルが、職種ごとにわけてドドーンと置いてあってね、はさんである求人資料をいろんな人が回し読みしてお仕事を探すんです。
ものすごいアナログな世界!でもそこからほんの数年で、電子化されていきましたねえ。

今は仕事探すのは、PCで条件いれてポチンと検索!できますよねえ。
あまりの便利さに感動すら覚えましたよ。
今なら、スマホで仕事も探せるというね。
こうして振り返ると、ここ10年くらいの世の中のデジタル化はすごい進化だなあ。

近所の学習塾で事務のバイトをしながら、これだ!って思える仕事を探してました。
この学習塾で、パソコンの使い方を初めて学んだのでありましたよ。
パソコンの使い方を教えてくれた副塾長が左ききだったので、今でもパソコンのマウスは左じゃないとうまく使えない。


そうしてある夏の夜、仕事帰りにとらばーゆをコンビニで立ち読みしていたときに、

「幼児教室の講師募集!」の求人が出てました。
・ピアノが弾けて、
・保育士資格持ってる人、
っていう条件。

おおお!これだこれだ!
ここで働いてみたい~~~!!!

コンビニでこの求人広告を見たとき、心がうわ~~んって震えた気がしました。
武者震いみたいなのがして、あ、私今めちゃめちゃ興奮してるわ!って感じです。

自分の心にズキューン!って来るものがあったときって、こういう風になるんだなあと。
なかなかそういう経験って普段はないので、あの時のショーゲキ波は貴重な体験だったなと思います。
まだその仕事が決まったわけでもないのにね。もう心が震えてました。

このとき、全く給料みてなかったんですよね。
仕事の内容が、自分のやりたいことなのかどうか。
そこだけ見てました。

そんな感じで転職です。

この会社で学んだことが、ようやく絵本作家になりたいってところにつながっていきます。
やっとここまで~~~。

つづきまーす





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資格とったどー!

2016-07-25 18:06:06 | 絵本作家への道
保育士(当時は保母)資格をとるために、ユーキャンで勉強するためだけの日々の続きの話。

このころはパソコンも携帯も持っていなかったので、どうやって情報収集していたのかしら。。。
今となっては記憶もおぼろげなんだけど、保母試験対策講座とか、ユーキャンに質問したりとかして、保母試験の情報を集めてました。

保母資格は各都道府県によって、問題が違っていました。
そこでいろんな県の過去問を解きまくって、傾向を比較。
その過去問もどこにも売ってないので、各県に問い合わせたりして、閲覧したりする。

とにかく足を使わないと、情報が手に入らないの~~~!
ほんと今って便利ですよねー。
グーグル様で検索したら、たいていの情報は入ってくるんだもんなあ。

というわけで、大阪・京都・滋賀・兵庫の近県の受験日を調べ、問題の傾向を見た結果、自分に合っていそうな
滋賀と京都で受験することに。

このとき、大阪の試験は四択問題なんだけど、ものすごく細かい問題やひっかけ問題が多かったんですよ!
なので、大阪で受けても受かる気がしないなーって近かったんだけど受けず。
兵庫はリズム運動の実技があって、運動が苦手なのでここもパス。
滋賀の問題はオーソドックスな筆記試験だったけど、基本を押さえていれば解けそうな問題が多かったかな。

受験科目が多いので、2日間にわたって朝から夕方まで試験があるんですわな。
もう受けるだけでくたくたです。
滋賀県まで出かけていくだけで、ふらふらですよ。遠い~~~!

でも試験の手ごたえはありました。
3か月の勉強で、ここまでできるんだなあ・・・と自分に感動よ。

10月になったら、郵便で結果が送られてきまして~~~
結果は~~~~

見事一発合格でした!!!!!うおー!やったー!
私、保母さんになれるよ!うおおお!!!

やったわ!ってめちゃめちゃうれしかったんですけど、これまた合格したこを、特に誰にも言うでもなく。

いや~無職の一人暮らしって、孤独ですね。人に会わないしね。
だれとも喜びを分かち合うことなく、一人達成感を味わいのでありました。。。


あのころの私、本当におめでとうおめでとう~~~~!

ちなみにユーキャンのテキストは本当にわかりやすくて、添削もスムーズで丁寧。
ほんとうにいい教材でした。おすすめです。
今は値上がりしていてまして、6万円近くするみたいですが。


自分で「これ!」って決めれば道は開けるものだなと、身に染みた体験でした。

この保育士資格を取得したことが、この後、私の人生のあらゆるところで
かなりのお役立ちアイテムとなっていくのであります

つづきます。
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無職な日々

2016-07-23 13:40:08 | 絵本作家への道
仕事をやめた話の続きです。

もうやめたくてやめたくて、いやでいやで、毎日が、生きてるのがしんどくて、何やってんだ自分は!!
と、思いながら働いていたので、辞めたときは本当に気分爽快!

仕事やめて、大阪市内で引っ越して、まっさらな状態デスヨ。

しかも!
なんと!
次の仕事決まってない!っていうね。

さて、どうするか。

社会人になって、働いてみて、仕事ってほんま大変やな!ってことを、遅ればせながら知った私ですよ。
ほんと遅いですな。気づくの。

身に染みて、人に感謝もされず、怒られてばかりの仕事はもうするまい・・・と思いました。

じゃあ、次はどうするのか。私、どうしよう。どうしたいんだろう。

もう、お客さんに嫌がられて、迷惑がられることはしたくないなあー。
せめて、ちゃんと人から「ありがとう」って言われてみたい。そういうお仕事がしたいなーと。
そんでピアノを弾く特技が生かせると、なおいいかなー。

などなど考えていて、そこで思いついたのが、「保母の資格をとろう」ってことでした。
でもお金ない。無職だから。
手持ちのなけなしの貯金をちびりちびりと使いながら、暮らしてましたからな。

今は「保育士」って呼び名が変わりましたが、このころは「保母」でした。
で、保母資格を取るには、
専門学校とか短大に行って、勉強して資格を取る。って方法と、
国家試験を受けて、資格を取る。
っていう方法があったのでした。今はちょっと変わっているのかもしれないんですけど。

もちろん、学校とか通えないからさ、よーし!勉強して、国家試験を受けて資格とろう!
そこでユーキャンの保母資格取得講座を開始。
どっさりのテキストと通信講座がついて、39800円だったかな?これで資格とれるなら安い!

試験があるのは夏です。7月!
勉強始めたの4月!準備期間3か月です。

仕事辞めて、毎日ヒマ。
他にやることもないんだから、この3か月みっちみちに勉強すれば絶対試験通るはず!
とユーキャンの講座を信じ、資格取得のために勉強を始めましたよ。


この保母資格試験、なんと国家試験での合格率10パーセント未満だそうで!
結構、ハードな試験なんですよね。
受験科目がとにかく多くて、栄養学から、教育学から、看護衛生とか、10科目くらいあったのかな。
もちろん実技試験もあって、ピアノも課題曲とか初見演奏とか即興伴奏つけとかね。あと絵描いたり、リズム運動のある県もある。

なかなか大変な試験なのでしたよ。
でもまあ、ほかにやることないんだし、もうそれやるしかないですよね。
仕事も家事も子育てもない。ほんとに自由のみがありました。
このころ、ネットもないし携帯もないので、誘惑するものもありません。
唯一の楽しみが、お昼にやってた昼メロドラマを見ることだったかなあ。

「やるぞーーー!」
って決めて自分の時間をすべてこの勉強にささげてました。
でも、このことを私はだーれにも言いませんでした。親にも友達にも。

一人暮らしで、無職。もう、孤独にもくもくと勉強しておりました。
好きな時間に起きて~
好きなものを食べて~
お金はあんまりないけど、時間だけはありあまるくらいあった。

とにかく目標に向けてまっしぐら~~~!!!
ストイックな無職生活でした。





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電話が苦手になったわけ

2016-07-22 13:54:17 | 絵本作家への道
大阪に引っ越ししてきて、指導部に移動になり、「よーし、がんばるぞ!」と、はりきって出社!

しかーし!

「営業から指導部に移動になった新人」=「営業で使いものにならなかったダメ社員」

というのが、この会社のお約束的見解なのですよ。
もう営業ができないやつは人類じゃない!ってくらいの勢いですよ。

、転任してきて挨拶に行って、そのあと大阪の所長に
「お前は、できなくてここにやってきたんだ!」
って感じでお昼の定食を食べながら、めちゃ怒られたのを覚えてます。
もうイキナリ!涙目!


でも所長は面白くて、何事にも熱い、人に対して根底に愛のある人でした。
怖いけど、みんなから慕われていて、私も嫌いじゃなかった。

ちなみにこの所長さんは1年くらいで栄転されて、いなくなっちゃいました。

「指導部」の仕事をかいつまんで説明してみると・・・
ファックス指導が主。
50人くらいの中学生を社員一人が担当してます。
そんで子供から送られてくるファックスの添削をします。

担当の子には週に2回、電話する曜日と時間が決まっていまして、勉強の進行具合や教材のわからないところなんかをアドバイス。
大体夕方から夜の9時くらいまで、ずーっと電話。はい、また電話デスヨ・・・。
でもテレアポ営業の時と違って、がチャン!って怒られて切られることはない。
(でも子供が家にいないことは多々ある。)

あとファックスを毎日送ってくるようにと、フォロー電話したりね。
この
「生徒がどれだけファックスをちゃんと送ってきているか」
っていうのも提出率を全部計算して数字化し、グラフにして張り出しですよ!

なので、提出率がよくないと指導不足!ってことで、怒られる。

このファックス指導は基本は3か月だけしかついてないので、3か月たったら
「そろそろ終了ですけど、どうされますか?継続されますか~?」
って、親子さんに何とか継続してもらえるように、アプローチする。
これも「継続率」っていうのを計算して、この数字が低かったら、指導不足!となるわけ。

あと、春と夏・冬に特別講習があり、これはふつうの塾の夏期講習みたいに電話やファックスじゃなくて、
普通の講義をする。
その講義も写真で教科を振り分けて、事業をしますよ。私は国語担当だったかな。
「講習会は別料金ですけど、ぜひ受けましょう!」とアプローチして、受け持ちの生徒を動員しないといけない。
これも「動員率」っていうのを計算し、数字が低いと指導不足!って怒られる。

というわけで、もうすべてが数値化されて、グラフになって張り出されるので、会社の中は営業部のころとあまり雰囲気は変わらない。

仕事は主に電話だし、数字をいつも電卓で計算しては一喜一憂です。

で、「電話で勉強を教えてはいけない」っていう決まりもあってね。
あくまで教材をうまく使えるがためのファックス指導なので、わからない問題はファックスで送ってもらって、書面で指導するってのが鉄則です。

営業と大きく違うのは、外に出ることがほぼない。
ずーっとオフィスで添削して電話する毎日。

それでも営業時代に比べれば、仕事は楽しかったかな。
時々、モーレツなクレームがきたり、継続してくれてても
「塾に行くことにしますんで~」って、やめちゃったり。
ごくまれに「先生のおかげで、志望校に合格したんです!」ってものすごく感謝されることもありましたが、めったいにないです。

受け持ちの子供のために、年度替わりじゃないと退職認めないっていう制度があって、年度替わりの3月にならないと退職できない。

電話とファックスで指導、って当時、なかなか画期的だっと思うけど、
それでもやはり対面で教えてもらえる塾や家庭教師に比べたら、全然弱いシステムだった。


今、もしこの仕事をどうしてもやれ!って言われたら年をとったこともあり、もっとうまくこなせるだろうなーって思ってしまう。
まあ今の時代に、ファックス指導ってね、ないだろうけどねえ。いや、まだあの部署あるのか?

このころ、25歳。
若いだけで、何にも知らない、できない子だったわー。まあ向いてなかったんだと思いますが。この職業に。

周りはほぼ同じ世代の若い人が多くて、仕事終わりにみんなでカラオケいって朝まで飲んで~とか、わやわや楽しい会社でした。
同年代の友達もすごい面白い人が多くって、ひとには恵まれていたのかなあ。

そのせいか、この職場で出会って結婚した人が結構たくさんいましたね。(そしてみんな辞めてる)
「ええ!あの人とあの人!付き合ってたの!!!」
みたいなこともいっぱいあった。

あのころ、仕事は嫌いだったけど、それよりも全然うまくできない自分のことがいやだった。
仕事とはいえ、やりたくないことをやることは、ほんとに辛い・・・っていうことが身に染みてわかったんだと思います。
周りの人たちもやさしくていい人多かったし、仕事もルーチンでこなしていけば、そこまでひどい!ってわけでもなかったのかもしれない。
でも、本当にやりたくない!つまらん!ってのが何より大きかったのかなあ。若かったわね・・・。


ちなみに、電話が今でも大の苦手です。電話をかけるのが特に。
今でも、美容院の予約電話するだけでも、ものすごい心がふさぐんです。
電話するのはいつも「えい!」って勢いつけないとできない。

なんでだろうと思ってたけど、この日記を書いてたら、この仕事の影響だったんだなあーとわかった。

というわけで、年度が変わるときに、思い切って退職してやりました。
退職したら、手続きがいろいろ大変なんだ!と、世の仕組みをもろもろ初めてしったのであった。

つづきます。

コメント (2)
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