おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ドラマや映画から現実を覗く

2023-07-02 03:31:06 | 日記
「絶対に失敗しない」外科医の女性や、貸し剥がしの苦い記憶を原動力にやられっぱなしどころかやられた分は「倍にしてやり返して」しまうタフな志高き銀行員、そして、自分の子どもでなくとも育てると決めたら、子どものためならエリート街道を捨ててどんな「ブルースな人生」にも立ち向かってしまう義母、など、が、ドラマで流行った歴史が最近の日本にはあり、映画では最低の総理大臣が政治家になった頃からの「記憶をなくす」ことで勧善懲悪に燃える政治家に生まれ変わり、周囲もその影響で変わり問題の根本に立ち帰る内閣となる。
......しかし、現実は、「失敗する」医者に怯えるからこそ、失敗しない大学病院ランキングが途切れ暇もなく売れ、相変わらず、日本では外科は未だに男性社会だ。
銀行が合併しすぎて「貸し剥がし」た相手どころか、銀行の名前の名残を探すにもひと苦労だろう。あと高齢化社会なのに個別に訪問して傘をさして帰って行く銀行員の後ろ姿どころか、窓口閉鎖をしまくるがシステム不具合頻発問題があり、最近のマイナ保険証問題の中の紙の保険証問題対応に根本は似ている気がする。
自分の親や子どもですら虐待するというおぞましいニュースを視たばかりだが、(→私も女性なのでしみじみ思うが)エリートで退職しても経済力やスキルがあり多くを子どもにかけられる女性が多い世の中とはお世辞にも言えないと思う。
ドラマは「あって欲しい姿」を描くから(特に話題や人気の)ドラマたり得ているのだろうし、続きを想像して楽しく、結末に感動するのだろうけれど、なんだか、いつも、一抹のさみしさや不安な気持そして問題提起をそっと残してゆくように私は思う。
先に挙げた映画はテレビで放送しており、これまた、(あり得)ない世界が映画の中にだけはあることを見せつけられた気がしている。
治療と回復の話から脱線する??が、たまに、現実の皮肉というより問題提起の観点で、映画(「カッコーの巣の上で」など)や本の感想(「夜と霧」、「死と愛」の作者など)を私が何故ツラいときの支えにした(出来た?)のかという視点も加えながら書こうと思う。
ここまで読んでくださりありがとう。また、次回。